第23話 イオとルナ
長い時を経て巨大に、広大に成長した森の中を白い影が走る。
複雑に隆起した根を軽々と飛び越し、そのまま木の幹を蹴りつけて前方へと加速する。
ルナが走ればすぐにすっころぶ森の中を、巨狼は止まることなく走り続けていた。
そしてその背の上で、振り落とされないようにしがみ付いているのが俺だ。
(速すぎるだろ……!!)
子供のため、髭狼は全速力で森を駆け抜ける。
全力過ぎて前も碌に見えないが、何とか道案内だけは行う。
と言っても、方角がわかっているのか髭狼はほとんど迷わずに進んでいる。
「――――!!」
不意に髭狼が吠える。
リヴラはもう少しかかるし、方角は変わらない。
ならその意味は――。
両足に全力で力を込めて、片手を離す。
そのままでもいいが、万が一でも髭狼に蛇をぶつけるわけにはいかない。
進む先、前方の木の上から巨大な蟷螂が現れる。
その巨体は紫に変色しており、特に爪は腐食したように赤黒い。
あれが錆蟷螂だろう。
気づいた髭狼から殺気が膨れ上がる。
「丁度いい、そのまま走れ。とどめはお前だ」
「――――!!」
減速どころか加速する髭狼に必死で掴まりながら、蛇を五匹解き放つ。
進行方向、錆蟷螂の前に巨大な魔方陣を作り上げる。
何かを感じたのか錆蟷螂がたじろぐ。その足に、蛇のうちの二匹が絡みついた。
「……!?」
きしきしと気色の悪い風切り音が響く。
虫が巨大になるとそんな音が出るのかと思いながら、さらに蛇槍をまとめ上げてぶん投げる。
魔方陣を通過した槍。その瞬間に魔法が発動し、雷を帯びて爆発的に加速する。
渦を描く雷槍が錆蟷螂の腹を穿ち、背後の巨木に激突する。
「そのまま行け!」
「――――!!」
髭狼は跳躍し、そのまま魔方陣へ飛びこんだ。
俺ごと全身に雷が付与され、白銀の閃光が錆蟷螂にぶち当たり――背後の巨木ごと焼き貫いた。
髭狼は背後を振り返ることなく、そのまま駆け抜けている。
喜びなのかわからない咆哮を上げながら。
***
髭狼の全力疾走のおかげで、僅か二時間ほどでリヴラへとたどり着いていた。
流石の巨狼も荒い息を上げているが、気を使っている余裕なはい。
「お前はここにいろ」
背から飛び降りて、リヴラへの入口へと飛び込んだ。
いつもの魔法陣で地下空間へと降り立った俺の前に、イオとエリが駆け寄ってくる。
エリがいるから大丈夫だと思ってはいたが良かった、間に合ったようだ。
「魔王、いったい何があったんですか?」
「緊急の合図が来たから戻ってきたけど……ルナは?」
「悪い、急ぎだ。進みながら話す」
困惑する二人をよそに、資材置き場へと駆け出す。
「イオ、大型のバックパックはあるか。魔獣でも背負えそうなやつ」
「あるけど……魔獣? 何に使うの?」
「後で話す! エリ、お前は俺と資材置き場だ」
「は、はい!」
俺の声色で事態を察したのか、イオが俺を追い抜いて別方向へと駆け出した。
流石の犬ジカも、空気を呼んだのか入り口で立ち止まっていた。今はありがたい。後でな。
「エリ、お前は力仕事だ。今から言う資材を一緒に運んでもらうぞ」
「はい! 説明もお願いしますよ、魔王」
走りながら、エリには事情を説明していく。
といっても説明できることはそんなに多くはないのだが。
魔獣の治療と聞いても、エリは難色を示すことなく大きくうなずいた。
「なら、急がないとですね! 任せてください!」
そういうと、俺を担ぎ上げて全速力で加速した。
地面が砕けていた気がするが……気のせいか?
次の瞬間には資材置き場の目の前に到着していた。
「さ、急ぎましょう。魔王」
「……とんでもないな、お前」
目的の資材を回収するべく、中へと入っていった。
***
直ぐにイオも合流し、資材の収集が始まった。
改めて二人に事情を説明しながら、ルナから貰ったメモを元にバックパックに荷物を詰め込んでいく。
「魔王様、12番棚のコード……じゃわかんないか、黒い紐詰めて! エリは八番棚にあるシリンダーをあるだけ!」
「シリンダーって?」
「金属の筒だよ、アンタの文明のもんだろ!」
幸いなことにイオも直ぐに事態を飲み込んでくれ、手際よく必要なものを選んでくれている。
正直名前を見てもどれがどれだなわからないのでイオがいてくれて助かった。
しかし、いくら見てもこれで修理ができるとは思えない。
だってこれとかただの紐……いや、中に金属が入ってるのか? どういう仕組みなのか……。
エリも同感なのか、素材をもって首をかしげている。その手にあるのが人ひとり分の重さがありそうな金属片なのは目をつむろう。
チビルナにも手伝ってもらいつつ、倉庫の中を駆け回りながら、イオの指示の下素材を取っては入れていく。
しかし、とシリンダーと言う名の金属片をバックパックに突っ込みながらエリが呟く。
「破癒か……この世界の魔法は本当に複雑だね」
「お前の世界にはないのか?」
「ありません。魔法そのものがなかったです。空想上にはあったけど、そこまで複雑でもありませんでした」
彼らの概念では、回復魔法はそのまま一つの体系しか存在していなかったという。
確か勇者の一人に会うたびに違う魔法を披露してくる魔法マニアがいた気がするが……それも異世界に魔法がない影響なのだろう。
こちらの世界で覚えなかったのかと聞けば、
「私には不要なものなので」
と苦笑いを浮かべて首を振った。
まあ、液体金属の毒も効かない体だからな。回復魔法は不要か。
「でもすごい能力だよね。初めて見た機械を修理できるなんて……」
「それがルナがアタシたちの統括個体である理由の一つよ。文明を集めるだけではなく、作り直すこと。それがあの子に求められた役割」
アタシたちはその護衛よ、と引っ張り出した素材をこちらへと投げながら続ける。
「人類史を復興させるために……正確には人類の文明を復興させるためにあの子は特化してる。初めて見るものでも、それが人類が生み出したものであれば理解ができる。だから、修理もできる」
それ以外は全然ダメだけど、とイオは笑う。
そういえば、目覚めたその日に手に入れた食材もすぐに食べられるようになっていた。
元から機材があったのかと思っていたが、ルナが再現していたのか。
ポンコツなリーダーではなかったようだ。
「……でも、そう。あの子が自分から言ったんだ」
ほう、と息を吐きだすようにイオは言う。
様々な感情の入り混じった声。彼女にその機能があれば、泣いていたかもしれないと思うほどに。
問いかけるように目線を向けると、先ほどまでの感情とは異なる、はにかんだ様な笑みを浮かべた。
「あの子はずっと、自分の存在意義を失ってた。任された人類史保管に失敗して、仲間たちを失って。いるかもわからないアンタたちの存在にすがるようになって、外に出ることすらなくなってたもの。だから、あの子が自分から力を使ったのは、いいことだと思う」
だから、こうなったことを素直に喜びたいと、そう思っている筈のイオの表情は複雑だ。
手放しに喜べない何かがあるかのように。
「でも、それはまたこのつらい現実に向き合うってこと。もし何かあったら、何か一つでも失敗したら、あの子は今度こそ折れてしまうかもしれない……それが、少しだけ気になるの」
「イオ……」
親友の思わぬ告白に、エリが手を止めてイオを見る。
ルナといいイオといい、こいつらは本当に感情豊かだと思う。
世界の探索という行動に感情は必要だというのは理解できる。
が、それにしても彼らはあまりにも感情豊かで、あまりにも人間らしい。
本当に造られた存在なのか、疑ってしまうほどに。
……いずれ彼女たちの出自も調べないといけないな。
「ちょっと、変な顔しないでよ。だからアタシがサポートしてあげようって話! ほかの二人もどこに行ったかわかんないしね」
「そういえば、戦闘型が後二人いたって話だが……」
「そうそう。変な奴よ、どっちも。まーそのうち会えるでしょ」
一人は人類の捜索に、もう一人は……確か武者修行だったか?
どっちも早々は戻ってこられない気はするな。
「さ、これで全部よ。魔石はもう入れてあるから、急いで戻ろ」
自身の胴体くらいはありそうなバックパックを持ち上げてイオが言った。
見た目の反して、内容量に関係なく重さは一定になるつくりのようで片手で持てるほどらしい。
ただ純粋に大きいので、三人で持ち上げて運んでいった。
「うわー、大きいね……」
「流石この辺の主ね。しっかし、なんでまた魔獣と協力してるんだか」
「緊急事態なんだ。いいから取り付けるぞ。悪いが少し我慢しろよ」
そのままリヴラの入口へと戻り、髭狼にバックパックを取り付ける。
流石に足に通すわけにはいかないから、ベルトを使って体に括りつける。
少しきついかもしれないが、我慢してもらおう。
「これで良し。助かった、二人はそのままリヴラにいてくれ」
髭狼の背にまたがった――が、イオも俺の前に飛び乗った。
俺の股の間に収まり、銃は胸で抱えるようにして持っている。
顎の下から見上げるように見つめてきた。
「何言ってんのよ。アタシたちも行く。いいよね、主さん」
「――――」
髭狼が唸るが、どっちなのかはわからない。
ただ振り落とそうとはしないから、大丈夫なのだろう。
こいつがいいのなら、問題ないか。一方のエリは跨ることなく髭狼の隣に立つだけだ。
「私は走っていくので大丈夫です」
「いや……まあお前なら問題ないか」
当然と頷くエリを横目に見つつ、髭狼の首筋に触れる。
「行ってくれ」
「――――!!」
待っていたと言わんばかりに、髭狼は自身の住処へと駆け出した。
***
「本当に問題なくついてきたな……」
「身体能力には自信あるので!」
行きとほとんど同じ時間をかけて、髭狼の住処である廃教会へと戻ってきた。
エリは自身の言葉通り、髭狼の行く先にほとんど同じ速度で着いてきた。
一足で複雑な根を飛び越え、木々を蹴り移動する髭狼の代わりに自身の剣を鞭のように扱って走り抜けた。
流石、肉体お化けの勇者様だ。
この地域を縄張りとした魔獣の主も関係ないらしい。
なんならこいつ、途中からちょっとびびってたぞ。
「さ、急ぎましょう。ルナが待ってます」
「ああ。……お前が味方でよかったよ」
髭狼からバックパックを外し、三人で中へと運んでいった。
「――すごい」
その先の光景は、俺が見たものとほとんど変わらずにあった。
青い光の中でルナは破癒装置と対峙している。
光の輪郭はさらに明確になっており、いくつかの素材が光の中に浮かんでいる。
さらに、いつの間にか横にもう一つ装置が増えていて、その間は光の線で複雑に結ばれている。
あれだけの短時間でもうここまで修理したのか。ならば、今日中には間違いなく終わるだろう。
エリの呟きに反応したのか、ルナが弾けるように顔を上げた。
「皆さん、ありがとうございます。イオ、素材をこちらに。魔王さまとエリさんは魔石をお願いします」
「了解!」
ルナの指示に従って、作業を始める。
素材倉庫ですでに連携ができていたのか、乱れることなくスムーズに作業が進んでいった。
特にルナは俺たちの方をほとんど見ずに指示だけを飛ばしていく。
「皆さんのおかげで、準備はできました。直し、治して見せます。必ず!」
「……さっすが、アタシのリーダー」
微かに聞こえたイオの呟きは、喜びに満ち溢れているように感じた。