第19話 平和の村
「いやー無事にまとまって何より! 連れてきた甲斐があったわー。それで、これからどうする?」
満面の笑みを浮かべたイオの手には巨大なバックパックが置かれている。
片付けといいつつちゃっかりと出発用に荷物をまとめていたらしく、直ぐにでも出発する準備ができていた。
だがその日は集落に泊まることになった。
「魔王さまのこと、もっと知りたいのです」
そう強く主張してくるルナに否と言える者は、俺たちの中にはいなかった。
それからやたら袖を引っ張ってくるルナに連れられ、集落を回った。
とはいっても俺がここに来たのは村を建てた最初だけで、思い出なんてほとんどないのだけれど。
「魔王さまがここを作ったのですよね?」
「ああ。俺と、あいつらでな」
エリの家を出て、眼前に広がるさびれた集落を眺めながら頷く。
「あいつら……城に住み着いたという方々、ですね」
「そうだ。わかりやすい言葉で言うなら仲間ってやつだ」
といっても、一緒に人類と戦った、なんて関係ではない。
学も芸もなければ、行き場もなかった戦争孤児たち。
魔王なんて存在を理解もできずに、ただ強くて安全を確保してくれる俺に纏わりついていた子供たちだった。
だから自分たちだけの国が欲しい、なんてできる筈のない夢を語って、それを真に受けた俺は誰も来ないこの場所に村を作った。
最初にできたものを見たときは小さい!なんて文句を言われたが、直ぐに忘れて馴染んでいたのを覚えている。
勇者に殺された後に、俺もここに来るはずだった。そのための封印装置で、複製体だったから。
もしそうなっていたら、リヴラではなくここで村を作っていただろう。
どちらにせよ、やることは変わっていなかったかもしれないな。
「見ての通り小さな村だ。外界と交わることもない。自給自足するしかない辺鄙な場所だよ。見ても何もないぞ?」
「……確かに、小規模な集落かもしれません。でも、仲間の人たちはずっといたんですよね? この場所に」
「……本当に、何でいたんだろうな」
最初は10人だけの小規模な村だった筈だが、今は20を越える建物が並び、かつては畑だっただろう草地がいくつか見受けられた。
暖炉が赤々と燃えていたエリの家から煙は昇っておらず、村を囲う柵には魔物除けの魔術が刻まれていた。
獣道の類すらなかった道中も含めて、徹底的に外界から隠れるための村。
資源的な価値も一切ない枯れた場所に建てたから、偶然迷い込むでもなければ決して見つかることはなかっただろう。
だがそれを何年も続けていたというのは、律儀というかなんというか……。
「あいつらはいいとしても子孫たちはどうしてたんだ?」
「外に出たい子たちは止めませんでしたよ? むしろそういった子たちの協力で隠れ続けられていたというのもありますね」
この村の人材は優秀なんですよ?とエリは微笑む。
全てが自給自足。人員は最低限。それ故に農耕に工作に狩りに魔術までこなす人材が量産される……ということらしい。
しかも守護者は勇者様だ。そう考えると、凄い村なのかもしれない。
「そしてアンタは優秀な村人たちに世話させてたのよね」
「それは! ……気づいたら皆が色々やってくれたから……」
「聞いてよ、ルナ。こいつこんだけ長生きの癖に料理もできないのよ?」
「……料理は苦手なんだもん……」
「あははは……」
……駄目な村なのかもしれない。
小さな集落は、少し歩いただけで回りきれてしまう。
最後にたどり着いたのは、村の真ん中に建てられた共同墓地。
俺の背丈を超える石に刻まれた筈の文字は、もう削れて読むことはできない。
だが、ここだけは雑草もなく綺麗な花が手向けられていた。
エリが定期的に手入れをしているのだろう。
「……ああ、そうか。これがあったか」
そうだ、この石だ。
俺の封印装置が解除されたときに、この石が光を帯びて報せる仕組みにしていた。エリはこれで、俺の目覚めを察知したのだろう。
いつ俺が起きてもいいようにと、あいつらにせがまれてつけた仕掛けだったが……。
待たせてしまったのだろうな、きっと。眠りに着くその時までずっと。
「なあエリ、こいつらは幸せに暮らせたか?」
手を合わせて祈るルナを見ながら、思わずそう言っていた。
「ええ。慎ましくはありましたが、皆楽しく暮らし、旅立っていきました」
「そうか、ならいい」
人類を滅ぼして安全を確保することはできなかったが、静かに暮らすことができたなら問題ない。
それこそが俺たちの求めたものだったから。
この場所の守護も、勇者とあの巨人がいたというなら問題なかっただろう。
「『誰も立ち入らない、私たちだけの国をつくる』――そいつらのリーダーだった少女の言葉だ。結果できたのは、こんな小さな集落だったけどな」
「充分ではないですか。この村が残っているのが、何よりの証拠です」
「……そうだな。だといいんだが」
碌に世界を知らなかった彼女たちに、もっと多くのことを教えてあげたかった。
そう思うのは我儘だろうか。
いや、きっとその代わりはエリが務めてくれたのだろう。
自分が殺した魔王の代わりに、ずっと。
感謝しなければならないだろう。
異世界へ帰れる機会もあったはずなのに、彼女はここに残ることを選んだ。
その気持ちには、必ず報いなければならない。
「エリ、ありがとうな。お前がいてくれて、良かった」
「はい……はい!?」
上ずった声を上げて、エリが硬直する。
「私は、別に……ただ知りたかった、だけだから……」
いや、そのために数百年も残ったりはしないだろう。
そう言おうとしたが、あまりにも挙動不審な勇者に何も言えなくなってしまう。
「あの、その……なんでしょう……」
「……そうだな。この話はこれまでにしよう」
「そ、そうしてもらえると、助かります……」
ルナとイオの目線が痛いので、これ以上はまずそうだ。
「……ふう。熱い……すみません。私からも質問が。ルナさん、私以外の勇者はどうなりましたか?」
息を整えてから、エリがルナへと問いかける。
「知らないのか?」
こんな僻地でも、外と交流があったのなら流れて来るだろうに。それくらい、この世界で勇者は大きな存在だった様だが。
「ええ。勇者の居場所はほとんどが秘密にされていましたから。……それに」
言葉を途切れさせると、小さな声で呟くように続ける。
「召喚から50年後、世界規模での勇者の葬儀が行われました。……勇者はあくまで人だったとして。それ以降、彼らの情報が流れてくることはありませんでした」
「ちょっと、それって……」
「露骨な隠蔽工作だな。まあ、市井には有効か」
勇者は世界を発展させる大事な人材であった。
余計な争奪戦を避けるためにも、情報は伏せておきたかったのだろう。
……本当に、よく逃げられたなこの勇者。頭がキレるようには見えないが。
「だから、私は他の勇者たちのその後は知らないの」
「なるほど、そういうことなのですね」
ならばルナも知らない可能性もあったが、ルナの製作経緯を聞くに彼女は『勇者側』だったのだろう。
合点がいったと手を合わせると、それならばとルナは勇者について話し始める。
「私の知る限りでは、勇者マークは人類と一緒に異世界へと戻りました。アルマは約200年ほど前に事故で死亡。ハオは人類に反旗を翻し、随分と前に討伐されたと記録にはあります」
生き残りは二人だけか。
不老とはいえ、不死ではないというのは勇者であろうと変わらないらしい。
「そうですか。……あの人らしい最期」
それが誰のことかはわからないが、勇者たちにも色々とあったのだろうな。
「ありがとう、少しすっきりできました。さっ、明日は早いのですから休みましょう」
「はい。付き合ってくれてありがとうございます、勇者さま、魔王さま」
「気にするな」
その後も戻りがてら村を見て回ったが、元々大して何かある場所でもない。
残っていた幾つかの物品を収集して、その日は引き上げることにした。
念のため、俺だけ別の家屋で寝たことはここに報告しておく。
***
眠りにつく前。俺はもう一度、皆の墓の前を訪れた。
「……行けなくて悪かったな。お前たちのことだ。ずっと待っていてくれたんだろう」
俺に宛がわれた部屋には、懐かしい紋章が飾られていた。
魔王の、俺の家として用意してくれていたんだろうな。
何故かエリの肖像画まで飾ってあったのはよくわからないが。神様扱いでもされていたのだろうか。
「よくわからないよな。1000年も経っているんだと。……寝すぎだよなあ」
集落で見つけた蝋燭に火を灯し、墓の前に置く。
あいつらはどうでもいいなんて言いそうだが、最後の見送りくらいはするべきだと思った。
「でも、遅くなったが、ここにたどり着くことはできた。それだけでも、俺が起きた意味はあったと、そう思うことにするよ」
掠れて読めない、石の上部に刻まれた名前は今でも忘れることはない。
とはいっても最初の10人だけで、後は顔も知らない者たちなのだけれど。
『私たちだけの国をつくろう』
『私と一緒に、この世界を再生してはくれませんでしょうか?』
「まさか、同じようなことを言われるとは思わなかったぞ。しかも今度は正真正銘世界が相手だ。……お前たちも見届けられなかった俺に、できるなんて思ってなかったんだが……ここを見て考えが変わった」
意志があれば、力があれば。護れるのだ。この長い時を経ても、おかしな世界を相手にも。
それをこいつらは、あの勇者はやってのけたのだ。
ならば、俺もやって見せようじゃないか。あの無表情の、ちっぽけな少女もどきの願いのために。
「できる限りやってくる。だから、安心して巡っておいで。魔王は不死身だ。お前らが戻ってくるまでに、今度こそ作ってやろう。俺たちの国を」
答えが返ってくることは勿論ない。でも、それで充分だ。
一方的な会話を終えて立ち上がると、近くの建物の方へと顔を向ける。
「もういいぞ」
「……気づいてましたか」
声をかけると、その陰からエリが現れる。
散々勇者と対峙してきたのだ。その圧は近づくだけでわかる、ということは流石に黙っておこう。
エリは変わらず帯剣せずに、左手首を右手で掴むようにして、こちらへと近づいてくる。
「眠らなくていいのか?」
「イオを送り出してから、ずっと眠っていたので大丈夫です。……魔王って、眠るんですか?」
「眠るに決まってるだろ」
ルナに引き続き、こいつも人のことをなんだと思っているのか。
伺うような目線だったエリも、その返答に微笑みを浮かべた。
「ですよね。ルナさんから聞きました。あなたは、私たちと変わらないんだって」
「……」
こいつもこいつで、ずっと抱いてきた勇者像とはだいぶ違う気もするんだが、これも余計なことなので言わないでおく。
「それで、何か聞きたいことでもあるんだろ?」
「あ、はい。……私があなたを殺した時のこと、覚えてますか?」
「ああ……あの時か。勿論覚えているさ」
聖剣に貫かれた自分の胸に触れる。
何せ俺にとってはまだ最近の記憶だ。
「あの時あなたは、私に『すまない』と、そう言いました。世界を相手どる巨悪の魔王が、自分を殺した相手に怒るでもなく、謝った。その理由を聞きたかったんです」
「……大した理由じゃないさ」
本当に、大した理由ではない。
俺は勇者たちにわざと殺された。魔王殺しという罪を故意的に被せたのだ。
……勝てたかと言われたら難しいが、あの時は負けるつもりで戦っていたのは事実。
だからこれを罪だと思わないで欲しいと、そう伝えたかっただけなのだ。
……まさかその後人類の下を離れてまで探そうとするとは思わなかった。
「悪いな。ちゃんと言えれば良かったんだが」
「いえ! あそこで口にしていれば、他の勇者も感づいていたと思います。それに、恨んでもいません。私はこの選択に、後悔してませんから」
慌てて両手を振りながらそう言って、エリは再びあの神聖を帯びた笑みを浮かべる。
「……でも、やっぱりそうだったんですね」
「何?」
「あの子たちが教えてくれたんです。あなたが謝ったのなら、きっとそういう意味だろうって」
「……なんでもお見通しだな」
思えば、俺とエリがこうしてこの時代に向かい合っているのも、あの子たちのおかげと言えるのだろう。
……あの子たちはいつも、俺を先へと導いてくれている。
仕舞った筈の感情が浮かび上がって墓をもう一度見つめていたら、突如、背後からエリの声が聞こえてくる。
「あー! スッキリした」
驚き振り返ると、さっぱりした表情の――見た目相応の少女がいた。
勇者相手にその表現が合っているかは分からないが。
「ありがとうございます。魔王。……ずっと、気になってたんです。でもこれでスッキリしました」
「なら良かったよ」
「もう休みますね。じゃあ、また明日」
「ああ」
そう言って、エリは彼女の家へと戻っていった。
「……まさかあいつ。それを聞くためだけに残ってた、なんて言わないよな……」
それだけはないと信じつつ。
もう一度名前を手で撫でてから、俺もゆっくりと自分の部屋へと戻っていった。
***
翌朝、俺たちはリヴラへと旅立つことに。
集落は、そのままにしておくことにした。
エリが定期的に管理しに来ると言うし、俺としても、魔王城がない今唯一の縁のある場所。
また、来るとしよう。
「それでは、行きましょうか……おや、エリさん。その恰好は?」
「ああ、これは勇者になったときに着ていたもので……私にとっては制服のようなものです」
俺と戦った時に来ていた、赤を基調とした格子柄のスカートに、白いシャツ、その更に上から金属の胸当てを身に着けている。
そして、腰には装飾のない銀の柄の剣を提げている。
「異世界の衣服ですか。興味深い……」
「なんてことない、普通の服ですよ。……異世界に来てから、一切綻んだりしない、丈夫なものになりましたけど」
それ、多分世界で一番丈夫な防具だよ。
また長くなりそうだったので、出掛かった言葉を飲み込んだ。技術の話は特に、ルナが止まらなくなるからな……。
ちなみに、あの人形は守護役として置いておくらしい。
ついて来られても地下に隠されたリヴラでは無用の長物になるだろうから構わないのだが、また魔獣が犠牲になるのだろう……。
義理はないが、心の中で祈っておいた。
「さて、出発ですね。では入口を……よっと」
そう言って、道脇から巨大な岩石を担ぎ上げると、そのまま集落の入口に置いた。
ずん、と大地が揺れ、集落の入口は完全にふさがれた。
いや、その岩、エリの倍の大きさは余裕であったが……。
呆然とするルナと俺に、エリは気恥ずかしそうに頬をかく。
「……これが私の勇者としての力なの。不老の身体と、怪力。あとは毒とか魔力にも強いかな」
ちなみに、昨晩の間に口調はより砕けたものに変わっていた。
ルナとも打ち解けたようで、何よりだ。
俺相手にはまだ緊張しているのか、敬語が抜けないが。
「さ、行こう――あれ?」
エリの言葉を遮るように、俺たちを影が覆った。
直後、吹き荒れる風と鳴り響く咆哮。
見上げれば、日を隠すほどの巨鳥がこちらを見下ろしていた。
「魔獣……!! それも、かなり大きい」
咄嗟にバックパックを漁ろうとするルナを、エリが制す。
「ここは任せて。せっかくだし、私の力を見せましょう」
たまに来るんだよね、などと言いながら、前に出て剣を抜く。
柄だけでなく、刃も銀の剣であった。
「それは……聖剣ですか? 魔王さまを倒したという」
「ええ、そう。人類の手を離れた魔王を討つために、当時の人が力を結集して作った剣。……私はこれが、魔剣としか思えないけど」
威嚇する巨鳥へと剣を向ける。
光を受けて鈍く輝く刀身は……振るった瞬間に大きなしなりを見せる。
「……? その剣、軟らかいですね?」
「そう見えるでしょ?」
でも、違うの。
そう告げるのと同時に、エリは剣を斜めに切り上げた。
銀閃が奔る。
鞭のようにしなった剣は、瞬く光のように一瞬だけ伸び、次の瞬間には元の形に戻る。
「――!!」
そして、鳥は斜めにズレ、目の前に落ちてきた。
「……え?」
呆気にとられるルナ。イオは知っていたのか目を閉じてうんうんと頷いている。
だよなあ、あれ、初めて見たときは理不尽だと思うよなあ。
「な、なにが起きたのですか? 魔物が一瞬で……」
「この剣、伸びるんですよ。こんな感じで」
巨鳥の死骸を背にして、エリが剣を軽く振る。
すると金属のように見えていた刃がゆらゆらと揺れる。
「これ、液体みたいな特殊な金属なの」
そう言って剣を引くと、真っ直ぐに伸びた剣先で僅かに崩れ、螺旋状に変わる。
そのまま人のいない方へと突き出すと、金属とは思えない反動で剣先が打ち出され、近くの岩を軽々と撃ち砕く。
僅かにその形態を維持した後、伸びきった剣先が、ゴムのように元の長さへと収まった。
「……剣の動きではありませんね」
「でしょう? とっても強いんだけど、代わりに使ってると金属が身体の中に入って、侵されちゃうの。だから長く使うと死んじゃうか、腕が壊死しちゃうんだけど」
剣から手を離し、開閉して見せる。
「私は丈夫だから、使っても平気なの」
「異世界の方というのは、強靭な身体をもっているのですね……」
「あ、それは違うんだ」
顔の前で手を振って、エリが言う。
「私がこうなったのは、この世界に来てから。その前は、多分ルナさんより非力だったよ」
「そんなはず……あるのでしょうか?」
首を傾げて、何故か俺を見てきた。
何故俺を見る、と思うが、当のエリが知っているはずもないか。
……仕方がない、説明してやるか。
「ちょっと手を貸せ、エリ」
「へ?」
エリの手を取りその身体を確かめる。
先端まで蛇を這わせた指で手の甲に触れると、電撃が走ったかのように弾かれる。
「……やはりそうか」
「へ? ……ええ?」
異世界から来た勇者というからくりが、ようやく理解できた。
珍妙な声を上げているエリを他所に、同じように固まっているルナたちの方を向く。
「ルナ、魔人を知っているか? ああ、俺のいた時代の定義で頼む」
新しい時代のことは知らん。
突然話を振られたルナは、驚きつつも直ぐに答えてくれる。
「ええと、生まれつき魔力量が極めて多い人のことを指した言葉ですよね?」
「そうだ。人間は本来保有できる魔力には限界がある。だから大抵の人間は肉体的に獣人や魔獣には敵わないし、魔力だけを見たら妖精種に劣る……だが、その中には稀に人間としての許容範囲を大きく超える奴等が現れる」
それが、俺のいた時代の魔人の定義。要するに人間の中でも魔力的に特別優秀なもののことだ。
それ故大体の魔人は、高名な魔術師として名を馳せ、そして戦いの中で死んでいった。
だからこそ、知られていない事実がある。
「その魔人の中でもごく一部、とりわけ魔力の高い連中。そいつらは一定の年齢に達すると、肉体が消滅するんだ」
「消滅……? それは、死ぬということですか?」
否、そうではない。
「身体が作り変わるんだ。肉体ではなく、妖精種と同じ魔力体に切り替わる」
同じ人型でも、妖精種と人類――人間・獣人は異なる生命体だ。その最たる特徴が、魔力体と肉体の違い。簡単に言えば前者は魔力で、後者は肉で作られた身体を指す。
妖精種がもつ魔力体は、成熟してからはほとんど劣化することなく、魔力を生成する核の寿命が尽きる数百年は生きる。ただその分、生物としては希薄であり繁殖力はかなり低い。群体よりも個体での生存を選んだ種、それが妖精種だ。
そして一部の魔人も、高すぎる魔力量が故に、人間でありながら妖精と同じ体を有しているのだ。
「なるほど、エリさんは妖精に近い体になったから不老、というわけですか」
「で、でも私は魔法、使えませんよ?」
上ずった声でエリが言う。
「魔法は使えなくてもいいんだ。要は身体がつくり替わるほどの魔力に晒されたかどうかだ……恐らくだが、勇者たちは異世界から移動した際に切り替わったのではないか?」
世界の外側には、超高密度の魔力が流れていると聞く。
故に我らは世界の外には出られないのだと、書に記されていたのを覚えている。
「それも世界の境界を渡れるほどの特別製のものにな。……世界を救う勇者の出自には、ぴったりだろ?」
異世界転移の時に大量の魔力を浴び、身体が変化したのだ。妖精とも違う特別製。故に不老。
毒などに強いことは妖精種すべてに共通する特徴だ。
なにせ、あれは肉体に作用するものだ。
しかも恐らく、肉体とさほど変わらない、いやそれ以上の馬力も備えている。あの怪力がその証拠だ。
全種族が羨望する良いとこどりの身体を持っている。本当に規格外の存在なのだ。勇者は。
「……確かに、他の勇者も不老だったと聞きます。妖精種と考えれば、納得できます」
「力が強いだの、細かい差異はたまたまだろう。勇者によって違う特性を持っていたはずだしな」
本当に、本当に厄介な相手だった。大抵の魔法は効かないし、向こうの攻撃は大体致死レベル。
何より、一人を除いて子供だった。殺さずに、殺されないようにするには化け物過ぎた。
だがこうして仲間になったのだから、頼もしい限り――。
「……あの、魔王? そろそろ手を離してもらえないですか」
「ん? ああ、すまんな」
「いえ、いいです……」
顔が真っ赤である。悪いことをしたな……。
「さ、これでいいでしょ? さっさと出発するわよ。犬ジカちゃんが、アタシを待ってるんだから!」
そう叫ぶイオの言葉に追われるように、今度こそリヴラに向けて旅立つのであった。
……そう言えば、妖精種たちはどうしたのだろう。
彼らは自然から生まれ、自然に還っていく種族たち。
人類についていったとは到底思えないし、世界が枯れた時、生きていられたとも思えない。
人類史末期には、殆どが消滅してしまったのだろうか。
そして、こうして世界が再生されつつある今、再び生まれていたりするのだろうか。
***
「ちょっとエリ。遅れてるわよ」
「……ここ、本当に南東部? 本当に?」
「そうだって何度言えばわかるのよ! てか一番長いことここにいたのアンタでしょうが!」
「だって、気づいたらすごく長い時間寝てて……イオが来る前はこんな感じじゃ全然……」
「はあ!? 何百年寝てたのよ! この駄目勇者!」
「だ……っ、また言った!」
やたら仲の良いイオとエリの口論を聞きながら、リヴラへは無事にたどり着いた。
お互い文句を言いあいつつも、会話は途切れず、また時折起きる魔物の襲撃ではいつもそうしているのか、イオの牽制からエリが仕留めるという連携の良さを見せている。
こいつら、いつもこんな感じなのだろうか。
そして道中の都市をいくつか探索してほくほく顔のルナと一緒に、二人の後をのんびりついていくだけの帰途であった。
「ただいまー! 犬ジカちゃーん!」
着くなり走り出したイオと、相変わらず帰ってくるのがわかっていたように待っていた犬ジカ。
一人と一匹はひしと抱き付き合い、愛を確かめている。
「あれは……犬……?」
「犬らしいぞ、残念ながら」
勇者エリの離脱前には普及してなかったんだな、犬ジカ。あいつ、本当に最新の生物なのか……。
抱き合い舐めあうイオを放って、俺たちは街の奥へと向かう。やることはたくさんあるのだ。
先ずはエリとイオの住居の確保から。
食料はチビルナたちが作ってくれているので、家さえ見つかれば済むというのは気楽だ。
俺の時と同じように街を見て回る。
チビルナたちは食料の生産に犬ジカたちの世話に半数。残りは重要な施設の復興に集中しているため、壊れた街の一部しかまだ修復が完了していない。
必需品ばかり集めていたから、そろそろ街の修復に乗りだす必要もあるだろう。
ちなみにしばらく街を眺めた後、なんだかんだ二人とも、当たり前のように同じ家に入っていったのだから不思議だ。
イオの話では、十年以上一緒にいたようだから、もう共同生活が当たり前になっているのだろう。
しばらく休憩を取った後、俺たちは村から持ってきた荷の整理と、道中集めた人類史の分類作業を行う。
流石、俺の時代から生きていたエリだけあって、当時の歴史から物品に至るまで様々な情報が手にはいった。
……引きこもっていたからか、かなりの部分で憶測がまじってはいたが。
特にありがたかったのは、使い方の分からなかったガラクタどもを知っていたことだ。
例えば、よくわからない革の張ってあるローラーはルームランナー……室内で走ることができる異世界産の装置らしい。
異世界は外すら走れないほど危険だったのか?
他にはテレビゲームとやら。映像を出力し、様々な物語やら戦争などを疑似体験できる代物だそうだ。
そんな、異世界発祥の製品が大量に作られ、普及していたらしい。
娯楽の少なかったあの村では長年愛されていたそうだ。
面白いものは多かったが、今の俺たちには不要なものばかりであった。
ルナは嬉しそうに倉庫へと仕舞いに行っていたが。
最後に、今後の方針についての相談。
何やら資料を抱えてきたルナが机をバン、と叩く。
「リヴラ本格稼働のため、周囲の街から物資を収集しましょう。まだ植木屋の復活には時間があります。今のうちに、集められるだけの物資を集めましょう」
「賛成だ。あれが動き出したら、碌に調査も儘ならないだろう」
イオとエリという戦力が増えたことで、行動範囲が大幅に広がることだろう。
何なら二手に分かれて行動することもできる。
街をチビルナたちに任せることができるとわかった以上、今後は遠征も積極的にしていくべきだ。
「その通りね。ここ、まだ人が住める環境にはほど遠いと思うのよ」
犬ジカを抱いたままのイオが右手を上げて喋り出す。
「アタシとしてはさ、もう少し家具とか娯楽とか増やすべきだと思うわけ。異世界産のものに詳しいエリもいるし、どんどん集めちゃいましょ」
「後、私としては服もあると有難いかな……。あの村では衣服の確保も難しかったから」
エリが恥ずかしそうに自分の身体を抱く。
やたら綺麗なルナたちの服や、防汚などの付与満載の俺の服とは異なり、彼女が集落で着ていたものは一般的に流通しているものだった。
「いちいち作るのも面倒で。服を作る設備とかあると助かるんだけど……」
「……ああ!」
ルナが合点が言ったと言うように手を叩いた。
何だろう、嫌な予感がする。
「勇者様も服を着るんですね、そういえば!」
……食、燃料と来て、次は衣の確保か。
今度はどこに行けば良いのだろうかと、俺は大きく息を吐いたのだった。