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07 犬

 孤児たちが屋敷に来てから1年、今では彼らの訓練は多岐に及んでいる。

 最初はルイスが体力的についていけてなかったので脱落させようかとも思ったけれど、わたしの教育が良かったのか徐々に訓練をこなせるようになってきていた。

 体力的な訓練はもちろん、礼儀作法、教養もわたしの家庭教師たちから学ばせている。彼らは将来わたしと共にローズウッド学院に行くのだから、最低限の知識を覚える必要がある。最初は家庭教師たちに反抗的な態度を見せる者もいたが、そういった場合は庭を走らせて魔法の的にした。

 動く標的に呪文を当てるのはなかなか難しく、魔法の良い練習になった。孤児たちがすぐに教師たちに反抗しなくなったのは残念だったが。

 彼らの訓練はそれなりに過酷なものだったが、多少怪我をしたところで、公爵家には専門の治療師がいる。普段はまったく仕事をする必要がないので、働かせるには良い機会だったと思う。

 ちょっと怪我をさせ過ぎて、お父様のところに苦情がいくこともあったが、そんなことは知ったことではない。こっちは自分の命がかかっているのだ。訓練に手を抜くことなどできない。

 6人のうちアリスには魔法使いの素質が、ルイスには僧侶の素質があったので、このふたりには魔法も学ばせている。その時間、残りの4人には武器を使った訓練を施した。


 訓練は非常に順調である。最近では孤児たちに余裕すら出てきている。そこで彼らに新たな試練を課した。


 犬の飼育である。


「サー、犬の飼育でありますか、サー」


 リチャードが質問した。不用意な発言はしなくなったものの、真っ先に質問してしまう危険性をまだ理解していないようだ。多分、他の5人はわかってて放置しているのだろう。スケープゴートは必要なのだ。


「そうです。犬を飼うことを通して、あなたたちの心の教育を行います。孤児であったあなたたちには欠けたものがあります。犬の飼育を通して、それを埋めるのです」


「サー、イエッサー!」


 何の疑問も持たずにリチャードは納得した。他の者たちは多少の違和感を持っているようだが、わざわざ口にはしない。賢いことだ。

 さて、彼ら6人に飼育を任せるのは、ルイスに街で集めさせてきた6匹の野良犬である。犬種はわからないが、いずれも子犬だ。何故ルイスに集めさせたのかと言うと、一番逃走の恐れが無く、昔犬を飼っていた経験があり、犬に慣れていたからだ。


 ちなみにわたしは昔から、というか前世から犬が苦手である。

 呼んでもないのに、あいつらは勝手にわたしのところへやってくる。

 例えば一匹の犬がいたとしよう。犬好きな連中が一生懸命構おうとするのだが、それらをすべて無視して、わたしのところへ一直線に突撃してくるのだ。逃げたりすると、全力で追いかけられる羽目になる。

 これはわたしの体質のようなものだ。ただ、噛まれて怪我をしたようなことはない。

 犬を飼うのが好きな貴族はそれなりにいて、王室主催の園遊会に連れてきたりするのだが、わたしにはそれが怖くて仕方なかった。

 前世の、とある園遊会の場で、わたしが他の貴族の子弟と話をしていたときの話だ。後ろから奇妙な音がずっと聞こえていたことがあった。ザッザッザッと、たくさんの兵士が足を揃えて歩くような、そんな音だ。

 何かと思って振り向くと、2頭の犬がわたしに飛びかかろうとして前足で何度も地面を蹴っているのが目に入った。それを飼い主の貴族とその従者と周囲の者たちが、力を合わせて縄を引っ張って制止していたのだ。

 2頭の犬は目をギラギラと輝かせ、口を開いて牙をむき出しにし、そこから舌を出して唾液を垂らしていた。どう見ても、わたしを食べようとしているとしか思えなかった。

 あれは恐ろしい体験だった。2度の人生の中で2番目に怖かった体験だ。1番は毒を飲まされて死んだときだから、事実上の1番と言っても過言ではないだろう。


 まあ、わたしの話はどうでもいい。わたしが直接犬と関わることは金輪際ないのだから。

 孤児たちには子犬を一頭ずつ面倒を見させることにした。これからは寝食を共にしてもらう。手抜きは許されない。

 その生活を3年程続けさせて、犬と家族同然の関係性を築き上げた後に、飼い主である孤児たちの手で殺させるのだ。

 かの執事曰く、愛着を持った犬の殺害こそが暗殺者の教育の仕上げであるらしい。これをさせないと、いざ任務となったときに、なかなか相手を殺すことができないそうだ。

 わからなくはない。いきなり人を殺せと言われても簡単にはいかないだろう。それを犬で、しかも自分の飼い犬で予行演習をさせることで、事前に心理的な障壁を取り除くというわけだ。

 まったく先人の知恵は偉大である。孤児たちが自らの犬を殺し、血も涙も無い冷酷非情な暗殺者となったそのときこそ、彼らは正式にわたしの従者となるのだ!

 ……それはいいのだが、何で6匹の子犬たちはそろいもそろって、わたしのところに寄ってこようとしているのだろうか?

 ルイスたちが必死に抑えようとしてるのだが、まったく言う事を聞く気配がない。

 正直に言って怖い。いや、今のわたしなら犬くらい簡単に殺すことはできるのだが、前世から刷り込まれ続けた恐怖心は、そう簡単に消えるものではないのだ。

 とはいえ、孤児たちを前に犬を怖がることなどできない。わたしにも立場というものがある。


「ふぅっ、困ったものね? 子犬の一匹も手懐けることができないの? あなたたちに寄ってくるのは夏の夜の蚊ぐらいしかいないのかしら?」


 精一杯の強がりで皮肉を言った。


「サー、すいません、サー」


 ルイスが謝りながら必死に子犬を抱き上げようとしていた。しかし、子犬はその腕をするりと抜けると、わたしの元へと一直線に走り寄ってきた。他の5匹もほぼ同時にわたし目掛けて突進してきた。


「ハッハッ!」「フッフッ!」「バッバウッ!」「ワンワン!」「クンクン!」「ガウガウ!」


 6匹の子犬はわたしを取り囲み、吠えかけたり、服を引っ張ったり、足を乗せてきたりとやりたい放題である。

 正直に言おう、わたしは失神しそうだ。気を抜けば意識は遥か彼方に羽ばたいていくことになるだろう。

 しかし、倒れるわけにはいかない。聖女と戦う前に子犬に倒されたとあっては、ただの喜劇である。何のために人生をやり直しているのかわからない。

 孤児たちからも舐められることになるだろう。わたしは舌を強く噛んで意識を保った。


「犬は残酷ね。誰が魅力的なのかはっきりさせてしまうのですもの。親に見放され、犬に見放され、力でも負け、礼儀作法でも負け、魔法でも負けて、あなたたちに生きる意味はあるのかしら? チャンスをあげるから早く犬たちを連れて行きなさい。子犬の面倒も見れない者など、わたしには要らないわ」


──お願いだから早く連れて行ってください──


 わたしは心の中では彼らに懇願しながら、犬に揉みくちゃにされる地獄に耐えた。 

 ルイスたちは悪戦苦闘しながら、ようやく子犬たちを抱き上げたが、わたしの寿命は10年は縮まったことだろう。


「いいですか。寝食を共にし、その犬たちを育て上げるのです。犬はあなたたちの友であり、兄弟であり、子であると思いなさい。さっきのわたしの姿を見て分かる通り、わたしと犬たちは心で繋がっています。あなたたちが手を抜けば、すぐにわたしは気づきます。わかりましたか?」


「サー、イエッサー!」


 彼らは神妙な面持ちで返事をした。どうやら、わたしの言ったことを信じたらしい。

 冗談ではない。心が繋がっていたら「どっか行け」と命令していたことだろう。

 孤児たちと犬が親密になるまで3年期間を与えるつもりだったが、3日くらいで終わってくれないだろうか? あんな獰猛な生物が屋敷に生息していると思うと生きた心地がしない。

 魔物でも飼育した方がマシというものだ。

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[良い点] 完全無欠(?)のお嬢様のガチ泣き寸前の心の声が出るこの回好きです [気になる点] 書籍化ということでweb版改めて読んでいたのですが、ここで「作者そのHNなのに犬苦手なの!?」と本編全く関…
[良い点] 冷酷非情、傲岸不遜の体現者みたいなお嬢様にも弱点があったんですね。なんだか可愛らしく思えました。 [一言] とはいえ、調子に乗って犬をけしかけたりすれば、間違いなくぶち切れて最大魔法をぶっ…
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