28 告白
マリウスが戻ってきた。
もちろん、世界的にはいきなり戻ってきたことにはなっていない。
前世と現世が交じり合ったようなものへと世界が変化し、彼は元々いた人間として扱われた。
わたしとマリウスは『レコード』があるおかげで、ふたつの世界が存在していたことを知っている。
けれど、従者たちはマリウスのことを知らなかったのに、元々いた人間として認識していた。魔術の修練場で行われた儀式は、魔法で失敗をして存在を失ったマリウスを取り戻すためのものだったと思っている。わたしはマリウスのために健気にもその身を捧げようとしていた、というストーリーだ。
まあ大筋では間違っていないし、訂正する気も無い。
結局、身を捧げようとしたわたしは何故か助かり、奇跡が起こってマリウスは帰還を果たした。
奇跡──まあ奇跡なのだろう。確かにわたしは何も失っていない。従者たちはあのとき薬を飲ませて身動きできないようにしたし、あの場には他に誰もいなかったはずだ。
マリウスの記憶は前世のものがベースとなっているが、そこに現世のものが混じって、従者たちとは顔見知りということになっている。
「元々、記憶というのは曖昧なものなんだよ。すべてを正確に覚えている者はいない。それどころか思い込みで勝手に捏造することすらできるんだ。AとBという人間がいて、まったく同じ体験をしたとしても、視点が違えば印象も違うし、見ようによってはまったく別物にもなるんだ。人間は記憶で構成されていて、記憶は曖昧なものだから、人間は曖昧なものになるというわけさ」
戻ってきたマリウスが茶を飲みながら、わたしに語った。
マリウスは別に恰好良い男ではない。背は普通くらいで痩せている感じだ。
茶色い髪は無造作で寝癖が直りきっていない。眼鏡をかけていて、その奥にあるヘーゼルの瞳は普段は眠たげなのに、自分に興味があることを喋るときだけキラキラと輝く。
ちなみに茶はわたしが入れたものだが、もちろん薬は入っていない。
二度目の人生を経て魔法に詳しくなったわたしは、彼の良い話相手となっていた。
現在、マリウスは前世と同様に七曜の座についている。
アリスらと選考会を争い、勝ったことになっている。もっとも他の候補者たちは前世で実際に競った相手だ。
「不思議なことにアリスと競った記憶があるんだ。本当はそんなことはなかったのにね。『レコード』があるから嘘とわかるんだけど、その嘘自体には違和感がない。記憶の断片をひとつ書き換えられると、その回りの記憶には勝手に補正が入って、他の記憶と継ぎ目なく繋がってしまうようだ。そもそも記憶自体がその人間を構成しているわけだから、それを嘘だと思う者なんていないんだよ。疑問を持つこと自体がありえないんだ。僕らは『レコード』という楔があるから、世界がふたつあったことを覚えているけど、これがなかったら、辻褄が合うように綺麗に記憶は書き換えられただろうね」
マリウスは存在を取り戻せたことを喜ぶよりも、自分が実験台となった『レコード』と『リセット』が世界に及ぼした影響を考察することに余念がない。また何か新しい呪文を開発する気なのだろう。
ちなみに『リセット』は高く評価されたものの、現在では禁呪指定となっている。それはそうだ。誰かひとりのために世界が書き換えられるなんてあってはならない。わたしも二度目は望まない。誰かを犠牲にしてまで、やり直したいと思う人生は偽りだ。
そもそも、術者自身が消えてなくなってしまうような呪文を、使いたい魔法使いもいないだろう。目の前の変人以外は。
「そう。でも結局わたしは婚約を破棄されたわ」
婚約者の座に未練は無いが、その結果は変わらなかった。
「世界には矯正力が働くからね。意外と結果は変わらないものさ。僕は何となくそんな気はしてたんだよ」
マリウスは得意気に言った。
何か? わたしが二度も婚約破棄されることがわかっていたというのか?
「でも、わたしは生きているわよ?」
矯正力が働くのであれば、死んでいないとおかしいはずだ。
「まあ、結局世界にとってどうでも良いことなんだよ。君や僕の存在なんて。いてもいなくても一緒なんだ。いなければならない人間とか、いてはならない人間なんてそうはいない。誰かで代用が効いてしまうんだ。
ただ、聖女であるエレノア様が王妃になることは確定していたんだろうね。彼女だけが特別だったというわけさ。そりゃ百年に一度しか現れない聖女の代わりなんて、どこにもいないだろうからね」
複雑な気分だ。学院を卒業した今、わたしは貴族社会において結構な力を握っているのだが、それでも世界にとっては替えの利く脇役に過ぎないらしい。結局、エレノアには勝てなかったということか。
しかし……マリウスは本当に替えが効く存在だったのだろうか? 二度目の人生を送って、ようやくわたしにも理解できたのだが、『レコード』や『リセット』は画期的な魔法だ。これを生み出したことには大きな意味があると思う。ひょっとして、マリウスが存在を取り戻すことは、最初から世界によって定められたことだったのではないだろうか?
わたしは頭を横に振った。難しいことは考えたくない。そういったことはマリウスやアリスが考えればいいことだ。
「ところでマリウス。その世界にとってどうでもいいわたしは、婚約破棄までされて貰い手がいないんだけど、何か言う事があるんじゃないかしら?」
貴族社会において、婚約破棄は傷物扱いである。そう簡単に次の相手が見つかるものではない。
とは言え、わたしの場合は傷物でなかったとしても、相手が見つかったかは疑わしい。
前世とは別の意味で悪名を轟かせてしまった。下手に縁づくと家ごと乗っ取られる、と噂されているらしい。
「僕が3才のときに思った通りだよ。『きっとこの子は結婚できないんだろうな』って予測していた」
3才で人の将来を決めないで欲しい。まあ、前世では結婚どころか処刑されたんだけど。
「あなた、『レコード』の最後に何て書いたか忘れたの?」
「誰にだって忘れたい過去はあるものさ」
そう言って、マリウスは顔を逸らした。
『レコード』に書き込んだ時点で、あれは未来永劫残る記録になっているのだが。
「僕はしがない貴族だから、本当はあんなことを言える立場じゃないんだ。もう二度と会わないと思ったから書いたんだよ」
彼の頬がほんのり赤くなっている。
その反応を見て、ちょっと虐めたくなった。
「触媒にできるくらいわたしの髪を集めていたの?」
「君の黒い髪は本当に綺麗だったんだよ。わざわざ魔法までかけて保存してたんだ」
……思った以上に、マリウスの性癖は著しく偏っていた。
「褒めるのは髪だけ?」
「いや、君は髪も肌も瞳も、何もかも美しい。性格以外はね」
最後の一言が余計だ。
「やっぱり何か言う事があるんじゃないかしら?」
「じゃあ、僕の秘密をひとつ教えよう」
マリウスが身を乗り出して、わたしの耳に顔を寄せた。
「……実は君の我儘を聞くのは嫌いじゃなかったんだ」
なんてヤツだ。自分から言うつもりはないらしい。
そういえば昔からこういう男だった。口ばっかり達者で、わたしの言う事をなかなか聞かなかった。
でも、最後まで側にいてくれた。
前世ではそういう対象として見たことはなかったけど、一度人生をやり直して、ようやく今のマリウスと同じ目線に立てた気がする。マリウスは年の割に老成していたのだろう。そして、前世のわたしは幼過ぎた。
人生をやり直して、ようやくつり合いが取れたというわけだ。そう考えれば、遠回りの人生も悪くはない。
……仕方ない。わたしは悪の公爵令嬢だ。
我儘を言うことには慣れている。
わたしはマリウスを指差して命じた。
「マリウス・レイヴンウッド、わたしと結婚しなさい」
マリウスは途端に真剣な顔になって跪いた。
「セリーナ様、わたしの秘密をもうひとつお伝えします」
そうして口の端に笑みを浮かべた。
「あなたの前世から好きでした」
The Normal Ending




