27 最後の願い
公爵家の地下には、大きな魔術の修練場がある。
自ら戦いに赴くことのない大貴族といえども、元をたどれば優秀な騎士だったり戦士だったりするわけで、ローゼンバーグ公爵家の場合は先祖が魔法使いだった。
この地下の修練場はその名残である。魔法の訓練にも使うことはあるが、元々は魔術的儀式に使用される場所であった。
現在では白昼堂々と庭で魔法を使うことも珍しくないが、そもそも魔法というのは秘術であって、あまり大っぴらにするものではなかったのだ。そのため、昔の修練場は地下に秘すことが多かったらしい。
黒い石の壁に囲まれた修練場は薄暗く、死霊でも出てきそうな雰囲気である。
今は屋敷の者たちが寝静まった深夜。アリスは修練場の床に巨大な魔法陣を描き、その中心に祭壇を設置していた。
祭壇には触媒となる『レコード』が置かれているが、他にも何のために使用するのかわからない様々な呪物が用意されている。
わたしと従者たちは儀式に必要な魔力を供給するために、その魔法陣の外の縁に等間隔で立っていた。
魔力というのは誰もが持っているものであるため、魔法使いでないリチャードたちでも魔力を供給することはできる。
『リセット』自体が世界に干渉する強力な魔法だっただけに、その代償を置換するこの儀式にも膨大な魔力が要求されるのだ。
いつもは軽口を叩くリチャードやオスカーも、この修練場に入ってからは一言もしゃべっていない。みんな、ピリピリとした緊張感に包まれている。それはそうだろう。いくらわたしのためとはいえ、自分の存在が消えてなくなるのは怖いはずだ。
魔法陣の中心から外の端までアリスが下がった。今わたしを含めた7人が魔法陣を取り巻く形となっている。
アリスが、呪文の詠唱を始めた。
身体から魔力が抜けていく感覚を覚えた。
巨大な魔法陣が青白く光り、その内側にある修練場の床が歪んで見える。
恐らく魔法陣の内部が、何かと繋がろうとしているのだろう。
さらにアリスの詠唱が続く。
祭壇の周囲に力の高まりを感じた。魔力とかではなく、もっと根源的なモノだ。
言葉では形容できない。よくこんなモノに接続できるものだ。わたしには恐ろしくて無理だ。
アリスもマリウスも、人としてどこかおかしいに違いない。
そんなことを考えていると、呪文を唱えるアリスの声に徐々に力が入っていくのがわかった。
儀式の成立が近いのだろう。
そして、魔法陣の中心に白い光の柱が立った。
「……セリーナ様、あの白い光の中に入った者が代償となります。ご指名下さい」
喘ぐような声でアリスが促した。儀式で力を使い果たし、今にも倒れそうだ。
正直に言えば、代償となる人間は最初から決まっていた。
わたしだ。
前世で18年、現世でも18年生きた。寿命としてはいささか短くもあるが、本当は18で終わりを告げた命だ。倍も生きたと思えば十分だろう。
わたしは黙って魔法陣の中心へと向かった。
「セリーナ様!」
従者たちから悲鳴のような声が上がる。
リチャードは反射的に走り出そうとしたが、そのまま足がもつれて倒れ込んだ。
「足? いや身体が痺れて……」
リチャードは自分の身体に起こった異変に気付いた。リチャードだけではない、従者たちは立つことができなくなり、全員その場にゆっくりと倒れ伏した。
修練場に来る直前、わたしは自分の部屋で手ずから従者たちに茶を振る舞った。代償として誰を選ぶにせよ、今までの彼らの忠誠に対するささやかな礼として。
茶の作法は貴族の令嬢なら誰でも習うことだが、わたしの場合は身分が高かったためか、自ら茶を振る舞う機会が少なく、前世と合わせても2度目である。
ちなみに最初に茶を振る舞った相手は、前世のエレノアだ。
1度目も2度目も、茶に薬を混ぜることになったのは因果なものだ。
もっとも、エレノアは薬に気付いて失敗したのだが、今回はわたしのことを信じ切っている相手だったので上手くいった。
気付いたところで、「わたしのお茶が飲めないの?」と脅せば済むことだし。
悪の公爵令嬢の面目躍如といったところか。
「セリーナ様! おやめください!」
みなが叫んでいた。よく声が出ている。わたしの心にまで届く声だ。
それで十分だ。わたしを案じてくれる人間がここには大勢いる。前世ではありえなかった光景。
きっと前世のわたしは寂しかったのだ。わたしの回りに本当の意味で人がいなかったことが寂しかったのだ。
ただ、たったひとりだけいた友達が、わたしにやり直す機会を与えてくれた。
それはとても幸運なことだったと思う。
白い光の柱の手前まで歩みを進めた。さすがに緊張して身体が強張った。怖くないといえば嘘になる。でも、現世でわたしはどんな魔物にも怯まず戦い続けた。進む勇気は持っている。
前世のわたしだったらそんな勇気はなく、躊躇なく従者たちの誰かを身代わりにしていたことだろう。
そういう選択をしなくなっただけでも、わたしは2度目の人生を生きた甲斐があったというものだ。
わたしは従者たちを見回した。
「忘れてしまうかもしれないけど最後の命令よ」
わたしは強張る顔に無理矢理笑顔を作った。
「みんな幸せになってね」
従者たちは泣いていた。前世では誰ひとりとして流してくれなかった涙だ。
なかなか上出来な最期ではないだろうか? わたしはよく頑張った。前世のような後悔はもう無い。
深く息を吐いて光の中へ足を踏み入れようとしたとき、修練場の扉が軋むような音を立てた。
「えっ?」
今この屋敷で他に起きている人間はいない。そもそも結界を張ってあるから、ここには近づくことすらできないはずだ。
振り向くと修練場の扉が開いて、そこから6匹の犬が入ってきていた。
最近は寝てばかりいて、あまり動かなくなってきていた老犬どもだ。
しかし、今は初めて会ったときのように荒い息遣いを立てて、わたし目掛けて走ってきた。
あまりの勢いに、反射的に身体がすくむ。
その隙をついて、一番大きなリチャードの犬がわたしを突き飛ばした。
光の柱から遠ざける方向へと。
「なんで?」
そこで目にしたのは、わたしを通り過ぎて光の柱に飛び込む6匹の犬の姿だった。
わたしも慌てて光の柱に向かおうとしたが、アリスの赤い犬が全身の毛を逆立てて、唸るように吠えかけてきた。
「ひっ!」
敵意むき出しのその鳴き声と抜けきっていなかった犬への恐怖心で、わたしはその場にへたり込んでしまった。
犬は6匹とも白い光の中だ。
「そこからどきなさい!」
わたしは叫んだ。
けれど、犬たちはうって変わって穏やかな顔になり、尻尾を振って、わたしの顔を眺めている。
十二の瞳。そこには間違いなく、わたしへの好意が見えた。
わたしだっておまえたちのことは好きだ。おまえたちが行くことはない。それはわたしの役割なんだ。
「最後ぐらい、わたしの言うことを聞きなさいよ!」
だが、彼らは動かなかった。
犬は嫌いだ。言う事を聞いてくれない。わたしの最後の願いさえも。
次の瞬間、白い光の中に犬たちの輪郭はぼやけていった。
──
白い光が収束し、魔法陣の中心にはマリウスが倒れていた。
何故、わたしはここにいる? 確か代償になるために、白い光の中に足を踏み入れたはずだ。
わたしが薬を飲ませた従者たちも、6人全員残っている。
「セリーナ様が残っている!」
イザベルが喜びをにじませて叫んだ。
「誰もいなくなってねぇよな!?」
リチャードが従者たちの数を何度も数えている。
「奇跡です! 神が奇跡を起こしたんです!」
倒れたままルイスが神に祈りを捧げた。
奇跡? 本当にそんなものが起きたのだろうか?
わたしは目の前で横たわっているマリウスを呆然と眺めていた。
すると、床に触れていた手が小さな水たまりに触れた。
(どこから水が?)
そう思ったとき、手の上に新たに水滴が落ちた。
他でもない、わたしが泣いていたのだ。
何故だ? マリウスが戻ってきたから?
わたしはこれでも鬼だ悪魔だと呼ばれ、この国で最も恐れられている公爵令嬢だ。
その悪魔が泣いているのは不味い。威厳に関わる。
わたしはこらえようとしたが、意志に反して瞳からとめどなく涙があふれて、しばらく止まることはなかった。
 





