26 代償
『レコード』を読んでから1週間ほど経った。
揺れ動いていたわたしの心は、ようやく落ち着きを取り戻した。覚悟が決まったといってもいい。
マリウスをこの世界に呼び戻すには相応の魔術的儀式を執り行わなければならないが、わたしでは難しい。
魔法使いには2種類いるのだ。魔法を暴力としてぶっ放す魔法使いと、魔法を人の役に立てようと研究する魔法使い。わたしは典型的な前者なので、儀式系の魔法は不向きである。
ただ、わたしの従者には前者も後者もこなせる有能な魔法使いがいる。
アリス。無表情の活字中毒者であり、知識欲の権化。一度読んだ本から得た情報を何でも覚えている驚異の記憶力の持ち主だ。その膨大な知識から使える魔法も多岐に及び、七曜にまで推薦されている。
わたしはアリスを自室へ呼び出した。
赤髪の魔法使いはいつものように表情が薄い。
「アリス、魔法の対価として世界に存在を捧げた人間を取り戻したいの」
「はい」
二度目の人生を送っていることは言いたくなかったので、かなり曖昧な説明になってしまったのだが、アリスはあっさりと返事をした。話は通じているのだろうか?
「わかっている? 魔法の対価として失った人間を取り戻すには、身代わりとなる人間が必要となるのよ?」
「理解しております、セリーナ様。代償を置換する儀式をお望みなのですね?」
理解が早いのは助かるが、少しは驚いて欲しい。わたしとしては結構な覚悟で話をしているのだ。
「その人間が使った魔法は代償は誰でもいいわけじゃないわ。代償になることへの本人の意志も必要なのだけど……」
「恐らくその魔法は世界に働きかけるものであるため、単に存在が必要というわけではなく、指向性を持った意志も不可欠なのでしょう」
さすがアリスだ。少し話しただけで、その先まで推測ができている。
「わたしはその代償となった人間を取り戻したいの。具体的な術式はわかる?」
「わかります」
即答だった。アリスは10才から魔法を覚えた人間である。わたしよりもずっと遅い。にも関わらず、魔法に対する造詣がとんでもなく深いのだ。これが天才というものなのだろうか? ひょっとしたらマリウスの上をいっているのかもしれない。
「どうすればいいの?」
「一番難しいところは、その代償となった人間と関係のある触媒が必要なことです。縁を結ぶものが無ければ、その人間へと繋がることができません。しかも、存在を代償とした以上は、その人間の痕跡がこの世界に一切残っていないと思われます」
なるほど、確かに難しい。通常ならば。
「触媒ならあるわ」
わたしは『レコード』を取り出した。マリウスが作り出した唯一無二のアーティファクト。縁を結ぶ触媒としては充分なはずだ。
「中身は読まないで。それはわたしの大切なものなの」
アリスは『レコード』を丁重に受け取ると、本を開かずに魔法を使って素性を調べた。対象の真贋や履歴を調べるときに使われる魔法だ。
「……本の形を取ったアーティファクトですか。時間軸を固定することで、外的な影響を完全に排しているのですね。一般的には理解されにくいかもしれませんが、魔術的には凄い本です。確かにこれなら世界が変わっても存在し続けることができたでしょう。この本が代償となった方の所有物であるとすれば、触媒になります」
七曜候補になるだけはある。それがアーティファクトであることを、あっさりと看破した。
「他に必要なものは?」
「魔法は対価を要求します。身代わりとなる人間が必要でしょう。誰を身代わりと致しますか?」
「……まだ決めていない」
命じれば従者たちは迷いなく身代わりとなるだろう。その証拠に、目の前のアリスも誰かを身代わりとすることに躊躇いを見せていない。
「その儀式の準備にはどれくらい時間がかかるの?」
「触媒は用意できているので、1週間ほど時間を頂ければ」
「1週間? そんなに早く?」
その倍は時間がかかると思っていただけに驚いた。
「1週間で問題ありません。わたしは儀式の準備を進めますので、セリーナ様は身代わりの人選をお願いします。例えそれがわたくしであったとしても構いません。我々の命はセリーナ様のためにあるのですから」
「…………」
わたしはその言葉に答えを返すことができず、アリスはそれが礼儀であるかのように、返事を待たずに静かに部屋を去っていった。
──
色々迷いはあったが、儀式に関しては従者たちに伝えることにした。アリス曰く、魔力は少しでも多い方が成功率が上がるので、どちらにしろ協力者が必要となるからだ。
それに彼らは8年間わたしに付き従ってきた者たちであり、常にわたしの一挙手一投足に目を凝らしている。わたしの行動を先読みすることも珍しくない。そういう教育をしてきた。
何かやろうとしていることぐらいは、既に察知しているだろう。隠しても無駄だ。
わたしは従者たちを全員集めて、アリスに話した内容と同じ説明をした。
「その人物がセリーナ様にとって重要であるならば、我々は喜んで代償となりましょう」
オスカーが顔色ひとつ変えずに言った。他にも色々聞きたいことがあると思うのだが、従者たちからは特に質問はなく、平然と受け止められた。
結局、臆病なわたしは人生をやり直していることを隠した。前世でロクでも無い理由で処刑されたことは知られたくない。従者たちに失望されて、その忠誠を失いたくはなかった。
「生贄は人間じゃなくちゃダメか? 魔物とかを捕まえてきて代わりにするってのはどうだ?」
リチャードが雑な質問をした。生贄ではなく代償なのだが、確かに似たようなものかもしれない。
「世界にとって、魔物だろうと人間だろうと大した違いはないのですが、前提として代償となることに前向きな意志が必要なので、魔物では難しいでしょう。また、神に似せて人間を造ったという伝承から、他の種族が人間の代わりとなるのは等価交換にはなりません。人間ひとりに対して、複数の代償が要求されるものと考えられます。代償となることに前向きな魔物を複数体用意するのは、恐らく不可能でしょう」
アリスがリチャードの案を明確に否定した。
「ふん、人間と魔物の違いなど大したものでもないのに、随分過大評価されたものだな。俺としては人間を一番下におくべきだと思うが」
人が代償として高評価されていることに、オスカーは皮肉を述べた。
「学院の生徒たちの中から適当なヤツを見繕っては? どうせ存在ごと消えるのだから問題無いでしょう?」
イザベルがなかなか非道な提案をした。
「選んだ人間がどこまでセリーナ様に忠誠を誓っているかわかりませんし、最悪、情報が外に漏れるリスクがあります。その場合、セリーナ様の名前に傷がつくので、あまりお勧めはできません」
これにもアリスは反対した。
「じゃあ僕がなるよ」
ルイスが手を挙げた。
「この中では僕が最も役に立たないから、僕がなる」
そこに悲壮感はなく、微笑みすら浮かべていた。別にルイスは役立たずではない。僧侶としては一流で将来を嘱望されている。
「抜け駆けは無しだ、ルイス」
リチャードが怖い顔をして、ルイスに詰め寄った。
「セリーナ様の役に立ちたいのはおまえだけじゃない。俺がなる」
「いや、あたしが」「いや、俺が」と、そこからは立候補合戦が始まった。存在が消えてしまうということは、役に立ったかどうかもわたしは記憶できないのに、そんなものになってどうしようというのだろうか? さっぱり理解できない。
「誰が代わりになるかはわたしが決める。異論は許さないわ」
そう言って、わたしは不毛な議論を終わらせた。




