23 七曜
「七曜に推薦されるかもしれません」
アリスがそんな報告をしてきたのは、わたしと王太子の婚約破棄が内々に決定して、しばらく経った後のことだった。
七曜とは、この国の魔法使いのトップ7人に贈られる称号である。
魔力、能力、実績等々の評価基準があるらしいが、アリスの年齢で七曜に推薦されるのは珍しいことだ。
アリスは1年時から魔術クラスの首席で、在学中に新たな魔法を次々と生み出している。息をするように本の知識を吸収していく彼女の能力を持ってすれば、確かに七曜に入ることは難しくないだろう。しかし、わたしは違和感を感じた。
「七曜に空席なんかあったかしら? 確か7人全員健在だったはずだけど、誰か引退したの?」
七曜になるには、そもそも席に空きが無ければならない。七曜の誰かが引退するか亡くなるかして枠が空かなければ、どんな優れた魔法使いであっても七曜になることはできない。
「いえ、七曜の席は長い間ひとつ空きがありました。今回ようやく選考するという話になり、その候補者のひとりにわたしが選ばれたのです」
その話は知っている。前世でも選考会は開催された……開催された? 本当に? 前世では誰が選ばれた?
その誰かの名前が思い出せない。でも、わたしのなかでは、その誰かが七曜のままになっている。
「アリス、他の候補者の名前を教えて」
「はい。5年前の戦いで武勲を挙げたアルカナス。闇魔法の研究者として名高いエリアナ。前回の七曜の最終選考に残ったレイラ、新しい魔法を数多く考案しているセフィロスの4人です」
どの名前にもまったく心当たりがない。けれど、前世でも誰かが七曜になったはずだ。わたしはその魔法使いを知っている。何故か確信めいたものを感じた。
七曜になるからには、強力な魔法が使えたはずだ。
例えばもう一度人生をやり直せるような。
ずっと引っかかっていた。
何故死んだはずのわたしが、再び人生をやり直しているのか?
生まれ変わった当初は、神の導きだと思っていた。
悲劇的な死を迎えたわたしを神が哀れみ、チャンスを与えてくれたのだと。
しかし、そんなはずはなかった。今にして思えば、あれは悲劇でも何でもない。
世の中のことを何も理解していなかった18の娘が、使い慣れぬ権力を振りかざした挙句、その報いを受けたに過ぎない。
それに前世のわたしは我儘で気位だけが高い貴族の令嬢に過ぎず、善行など何ひとつ積んでいなかった。
神の恩寵が期待できるような人間ではない。
恐らく前世において七曜になった人物こそ、わたしに人生をやり直させた張本人なのだろう。
名前はわからない。しかし、欠けたいくつかの破片が合わさっていくような感覚を覚えた。
そして、わたしの中の記憶がひとつ開いた。
「セリーナ、これは凄い本なんだよ?」
前世で誰かがそう言って、一冊の本をわたしに見せたのだ。
「この本は『レコード』っていうアーティファクトなんだ。物理現象はもちろん、魔法や時間の影響を受けることもない。つまり、この本は何が起きても存在し続けるんだ。無かったことにもならない。記憶にも残り続ける。例え世界が滅んでも、魔法によって世界が変えられてもね」
「何それ? 全然凄くないじゃない。そんなの何の意味もないわ」
そのときのわたしは『レコード』を一瞥すると、すぐに関心を失った。
魔法に疎かったわたしは、ただ存在し続ける本に価値が見いだせなかった。
だから、前世のわたしはどうでもいい出来事として、あの本を記憶の片隅に追いやったのだ。そのせいで印象が薄く、今まで思い出すことがなかった。
あるはずなのに無いと思っていた本。でも、わたしはその本の在処を知っていた。
そして、世界を巻き戻し、人生をやり直す魔法。
魔法は対価を求める。人の人生ひとつに対する対価は、同じものでなければならない。
すなわち、術者の人生そのものだ。
パチリパチリとわたしの頭の中で色々なものが合わさっていく。
──
その日の学院からの帰り、ある貴族の屋敷に立ち寄った。
面識はない、はずだ。でもずっと引っかかっていた家。
レイヴンウッド子爵家。
代々優秀な魔法使いを輩出し、その功績が認められて貴族に名を連ねた家だ。
イザベルを先に向かわせ、わたしは門の前で待った。
「屋敷の中を見せて欲しい」
不躾な用件だ。けれど家の格が違うので、多少の無理は通るだろう。
しばらくすると、イザベルと屋敷の使用人が一緒に出てきて、わたしを屋敷の中へと案内した。
家の扉の前では、レイヴンウッド子爵の夫人が何事かと緊張した面持ちで立っていた。
「お初にお目にかかります、レイヴンウッド夫人。セリーナ・ローゼンバーグと申します。本日は急な来訪をお許しいただき、ありがとうございます」
わたしはできるだけ丁寧な挨拶をした。
「お名前はかねがね伺っております。今日はどのような用向きでこられたのでしょうか? 屋敷を見せて欲しいとのことですが……」
「そのまえにひとつだけ質問を、レイヴンウッド夫人。わたしと同じ年頃のお子様はいらっしゃいますか?」
「……いえ、うちには子供はいません」
レイヴンウッド夫人は少し悲しそうな表情を浮かべた。跡取りとなる子供が出来なかったことは、彼女にとって辛い話題に違いない。
「失礼致しました。それでは部屋をひとつ見せて欲しいのです。恐らく誰も使っていない部屋だと思います」
夫人と使用人が顔を見合わせた。多分、心当たりがないのだろう。
「そんな部屋あったかしら? 主人の部屋以外ならお見せしても構わないと思いますので、それでしたら中へどうぞ」
わたしは屋敷の中へと足を踏み入れた。
既視感がある。初めて来たはずなのに初めてではない感覚。
夫人は訝しげにわたしを見ている。その視線にかまわず、わたしは歩き出した。
玄関ホールから左に入った廊下の、突き当りのところにある部屋。そこが目的の場所。『レコード』に関する記憶だけが、おぼろげに残っている。
けれど、そこには何もなかった。本来は何か部屋がありそうなのに、不自然にスペースが空いている。
わたしはそっと壁に手を押し当てた。確かここだったはずだ。
壁……ではありえない、くぼみの感触が手のひらから伝わってきた。わたしはそのくぼみをなぞるように手を動かし、目的の物を探った。
手が軽くそれに触れ、カチャリと音を立てた。見えないドアノブ。わたしの目的の物でもある。
わたしがそのドアノブを握ると、まるで初めからそこにあったかのように扉が姿を現した。
夫人も使用人も、わたしが連れてきた従者たちも驚いている。
「セリーナ様、これは一体?」
イザベルが警戒している。恐らくは魔術的な何かだと思ったのだろう。
「幻覚の類ではありません。整合を取るために世界から隔離されていたのでしょう。本来はあってはならないものを隠すためにね」
時間が巻き戻っても存在し続ける本。時系列や作成者の喪失といった因果関係にも大きな矛盾を抱えているがために、不都合なものとして隠されていたのだろう。
わたしは躊躇なく扉を開いた。
中にはベッドと机と椅子、それに本棚が置かれていた。本棚は空っぽだ。
(懐かしい)
知らない部屋のはずなのに懐かしさを感じる。
わたしは机の引き出しを開けると、一冊の本を、『レコード』を手に取った。
──マリウス・レイヴンウッドの書──
本の表紙にはそう記されていた。
そのまま部屋を出ると、わたしは呆然としている夫人に挨拶をした。
「お騒がせしました。それではこれで失礼します」
やっていることは泥棒だが、この本の中身を見られるわけにはいかない。
見ず知らずの息子の本だと説明しても、夫人は混乱するだけだろう。
それに、あの部屋のことは少し時間が経てば自然に受け入れるはずだ。初めからそこにあったものとして。恐らく本のことも忘れると思う。そうでないと整合が取れないからだ。
実際、夫人も使用人も不自然なほど動けないでいる。今彼女たちの頭の中では、都合の良い様に世界が再構築されているのだろう。
わたしの従者たちも意識に混乱を起こしているのか、歩きながら顔をしかめて頭を横に振っている。前世からこの本の存在を知っているわたしだけが、一連の出来事を覚えることができているはずだ。
なるほど、この本は確かに凄い。世界の因果まで改変して存在し続けている。
わたしは馬車の中で本をそっと開いた。
対面に座っているイザベルも、隣に座っているエマも、さっきの出来事など無かったかのように本に関心を示していない。斜め向かいに座っているアリスでさえ他の本を読んでいる。多分、この本がわたしの手元にあることに何の疑問も感じないのだろう。
本の1ページ目にはこう書かれていた。
──親愛なるセリーナへ──




