22 婚約破棄
その後も従者たちは勝手に勢力を拡大していった。
何せ彼らを訓練しているときから、「学院に入ってからが本番だ」とわたしが言い続けてきたのだから、今更止めることはできない。
騎士クラスの生徒がリチャードに対して「サー、イエッサー!」と叫んでいる姿を目にしたが、見なかったことにした。まさかとは思うが、わたしが従者たちにした教育を、従者たちが一般生徒に施しているのではなかろうか?
「あれは暗殺者向けの教育だから、普通の人にはやってはいけませんよ?」
なんて言えない。
前世では優雅だった学院の雰囲気が、段々軍隊のそれに近づいてきているのも、きっと気のせいだと思う。
そして最終的にはわたしが学院を歩いているだけで、生徒が直立不動で敬礼してくるようになった。
わたしを見る眼差しが狂おしいほど熱を帯びている。一体、彼らの中では、わたしはどういう存在になっているのだろうか?
嫌な形で学院をほぼ手中に収めたことを実感した後、ふと気になって、本物の聖女であるエレノアがどうしているかをイザベルに尋ねた。
「エレノアは偽聖女と揶揄され、あまり思わしくない立場にいるようです」
わたしが聖女もどきになってしまったので、光の魔法が使えるのに聖女として実績を挙げられないエレノアは苦境に追い込まれているということか。
……いや、エレノアは聖女になりたくないと言っていた。
思えば、前世ではエレノアは学院に入る前も、在籍している最中も魔物退治に駆り出され、忙しなく働いていた。その上、学院では他でもない、わたしに目をつけられて辛い目にあっていた。
もしかしたら、現世の今の状況のほうがエレノアにとって良いのかもしれない。
「エレノアにちょっかいをかける連中を排除しなさい」
「よろしいのですか?」
聖女にまつり上げられたわたしと本物の聖女であるエレノアは、他から見るとあまり良い関係には見えないらしい。
「わたしの目の届くところで、そのような見苦しい真似は許しません」
「確かに。ではそのように手配致しましょう」
イザベルは跪くと、わたしの命をすぐに実行すべく立ち去った。
──
それから数日経って、エレノアがわたしのクラスの教室に入ってきた。
わたしとの不仲が噂される聖女の登場にクラスメイトたちは騒めいたが、エレノアはお構いなしにわたしのところへと一直線にやってきた。
「セリーナ様、ありがとうございました」
エレノアが丁寧に礼を述べた。上辺のものではない。その緑色の瞳が、その声が、心からのものであることを物語っていた。
「何のことかしら?」
わたしは小首をかしげた。
「いいのです。わたしはセリーナ様に礼が言いたかった。それだけのことです」
イザベルは上手くやったはずだが、エレノアの勘が良いことは知っている。わたしも前世で何度も悪だくみを回避されたものだ。で、その勘の良さで誰が手を回したかを察したようだ。
「ねぇ、エレノア。あなたは聖女をやりたい?」
わたしの言葉にエレノアではなく、従者たちが身を強張らせた。
「いえ。わたしは臆病者ですから。魔物と戦うのは怖いです」
エレノアは微かに微笑んだ。わたしはエレノアの耳に口を寄せた。
「そう。でも覚悟を決めなさい。学院を卒業したら、あなたが聖女をやるのよ?」
「セリーナ様……」
エレノアが当惑した表情を浮かべている。
「学院生活を楽しみなさい、エレノア」
わたしは手を振って会話が終わったことを示した。別にわたしは聖女がやりたくて人生をやり直したわけじゃない。エレノアと戦うつもりでやり直したのだ。しかし、彼女にその気がないのなら、無理に戦うこともない。
30半ばの女が10代の女の子と戦う。今考えれば滑稽な話だ。
エレノアが教室から去っていく。
学院を完全に掌握し、エレノアから聖女の座を奪った。婚約者の座も奪われることはないだろう。わたしのやりたいことはすべて成し遂げたわけだ。
しかし、わたしの心にはぽっかりと穴が開いていた。
何かが足りない。前世ではあったのに、この人生で足りないものがある。
それが何であるのかがわからなかった。
──
その後、学院では特に何事もなく順調に月日は流れ、わたしたちは3年となった。オスカーとイザベルが新入生たちもきっちりまとめあげているので、わたしの敵となるような者はいない。
気になることと言えば、エドワード様がエレノアに近づいているらしい。
「セリーナ様の光が強すぎて、輝きを失った者同士、共感するところがあるようです。要は負け犬の馴れ合いですな」
オスカーがふたりの関係を辛辣に評した。
エレノアはわたしに遠慮して、その関係に一線を引いているようだが、エドワード様のほうがご熱心なようだ。
なるほど、歴史はそう簡単には変わらないというわけか。
ただ、わたしはエレノアに嫌がらせなど一切していないし、この学院の生徒たちはわたしに完全に服従している。前世のようにいきなり断罪され、周囲の人間に裏切られることはない。もっとも裏切られたところで、わたしは自分自身の力でねじ伏せる自信がある。
「どういたしますか?」
オスカーはその黒い瞳に闇を宿らせた。わたしが「殺せ」と命令すれば、聖女だろうと王太子だろうと殺してみせるだろう。
「放っておきなさい」
もう婚約者や王妃の座に未練はなかった。ただ、わたしがなりたくなくても、周囲の人間が今更許さないだろう。あのふたりは一体どうするつもりなのだろうか?
わたしの言葉にオスカーはただ黙って頷いた。
──
それから数ヶ月が経ち、わたしはお父様に呼ばれた。「内密の話がある」と。
わたしがお父様の部屋を尋ねると、すぐに人払いがされて、ふたりだけになった。
お父様はいつものように笑っていたが、少しぎこちなさを感じた。
まさか、婚約破棄だろうか? 現在の王家と公爵家の力関係ではそんなことはできないと思っていたのだが。
「エドワード様が婚約の破棄を希望されている。『自分にはセリーナは見合わない』という理由でな。その代わりにエドワード様は王太子の座を降りるそうだ」
婚約破棄は予想していたが、王太子の座を捨てるとは想定外だ。何のことは無い、前世も現世もエドワード様はエレノアのことが好きだったというわけだ。
「……国王陛下はどうするおつもりでしょうか?」
自分でも驚くほどショックがない。むしろ、笑ってしまいたいくらいだ。
「国王陛下は第二王子であるフェリックス様を王太子にし、セリーナにその婚約者になってはどうかと仰られておる」
フェリックス様はエドワード様とは10才離れた弟君だ。今は7才くらいだろうか。男であればそれくらい年下の娘と結婚するのは珍しくないが、女がそんな年下の男と結婚するのはあまり聞いたことがない。それも相手は将来の国王。無理のある話だ。
「フェリックス様に年上の女を押し付けるのは申し訳がありません。陛下にも『エドワード様を王太子の座から降ろす必要はない』と伝えてください」
「……いいのか?」
お父様が珍しく探るような目でわたしを見た。
「無理に王妃の座を狙っては物笑いの種となりましょう。公爵家としても王家に貸しを作れます。何なら婚約破棄の代償として、領地のひとつでも要求してみては如何でしょうか? 体面的にも、そのあたりが落としどころかと」
「ふむ」
お父様は目を伏せて少し考えた後、
「そうだな、それがよかろう。陛下はどうしてもおまえを王室に入れたかったようだが、今のローゼンバーグ家であれば、そこまでして王家と繋がる必要もあるまい」
いつものように朗らかに笑って、そう結論付けた。
わたしの代わりに王妃となるのが実績の薄い聖女であれば、むしろ王家は弱体化する。
卒業後はエレノアに聖女の役割を負ってもらうつもりだが、それでも公爵家の権勢が弱まることはないだろう。
何にせよ、わたしはもうあのふたりにはそれほど関心は無かった。




