21 死闘
わたしと犬との死闘は学院に入っても続いていた。
何しろ王太子様(と王妃様)と会うのに、犬も連れて行かなければならないため、どのみち犬に慣れる必要があったからだ。
しかし、何度戦ってもわたしが一方的に蹂躙されるばかりで、勝ち筋が見つからなかった。
このまま無策で犬と相対するわけにはいかない。戦いにおいて敵のことを知るのは鉄則である。
そこで本日の戦いを前に、一番犬に詳しいルイスをわたしの部屋に招いて相談することにした。
「ルイス、あなたは昔から犬を飼っていて、今も犬の相手をするのは得意みたいだけど、何かコツがあるの?」
「え? セリーナ様ほどではございませんよ?」
うるさい。
「……わたしの場合は勝手に犬のほうから寄ってくるだけで、わたしのほうから何かしたわけではないの。あなたはそうじゃないんでしょう?」
「ああ、なるほど。確かにセリーナ様は何もされなくても犬が寄ってきますね。不思議なくらい」
それが死ぬほど迷惑なのよ。
「そう。だから何と言うのか、ちゃんとした犬の扱い方を知らないの。でも、王家の犬とも関わるようになると、そういうわけにもいかないでしょう?」
「確かにそうかもしれませんね。畏まりました。わたしでよければ、犬の扱い方を教えさせて頂きます。では、わたしの犬を連れてまいりますので、少々お待ちください」
一度席を立ったルイスは、ほどなくして犬を連れて戻ってきた。
ルイスの犬はこれといった特徴はなく、スタンダードなタイプともいえる。
最近、犬が勝手にわたしのところへ来ることはなくなったが、それでもルイスの犬から熱い視線を感じる。心なしか息遣いも荒い。
「やっぱり、セリーナ様を見るとちょっと興奮しているようですね」
ルイスが犬の様子を見て微笑んだ。頼むから、その興奮を止めて欲しい。
「そうですね。犬とうまくやるには、まず優しく話しかけることでしょうか」
「話しかける? 犬語でもあるの?」
「……いえ、そんなものはございません。人の言葉で十分です。ただ、気持ちを込めて優しく語り掛けることが重要です」
「言葉が通じないのに優しく話すの? それって笑いながら『丸焼きにして他の犬の餌にしてくれよう』とか言っていいのかしら?」
「あの……犬は人の気持ちに敏感な生き物なので、態度だけでなく言葉も優しくして下さいね?」
ルイスはちょっと困った顔をした。細かいヤツだ。
「わかった。じゃあ、その犬に話しかけてみるわ」
わたしは犬と向き合うと、軽く呼吸を整えた。
「かわいいわね?」
「ワッ、ワンッ!!」
文字通りケダモノと化した物体が、間髪入れずに飛びかかってきた。
話が違う!
組みついてきた犬はわたしの顔を舐めまわそうと顔を近づけてきたが、必死に避けた。
「さすがセリーナ様! 効果は抜群ですね!」
ルイスが褒め称えた。違う、そうじゃない。
「こんな熱烈なお付き合いじゃなくて、まずはお友達から始めたいのよ!」
わたしはルイスにも手伝ってもらって、何とか犬を引きはがした。
「いやぁ、無理じゃないですかね? こんなに好かれていると」
ルイスは無責任なことを言い始めた。
「……他に方法は?」
「餌をあげて教育するのが、一般的な方法ではあります。まずは餌を手に持って、『お座り』を教えるのですが……」
食べ物で懐柔する。人間にも有効な手段だ。こんなこともあろうかと干し肉を用意してある。
わたしはその干し肉を取り出すと、高々と掲げて宣言した。
「お座り!」
次の瞬間、わたしの顔面に犬の尻が飛んできた。
わたしはその勢いで後ろに倒れ、最後は犬がわたしの顔の上におすわりをする形となった。
しかも、そのまま尻をわたしの顔に擦り付けられた。この世にこれ以上の地獄があるだろうか?
しばらくすると気がすんだ犬はわたしの頭の上から去り、手から干し肉をひょいっと咥えていった。何たる屈辱。
「犬って器用ですね」
ルイスは感心したように犬の頭を撫でた。主の介抱が先だろ? おまえはそれでも従者か?
──
その後もわたしは諦めなかった。
エドワード様に会いに城に行った時だけ、何故か犬は大人しいのだが、いつ裏切られるかわかったものではない。
わたしは来る日も来る日も犬と戦い続けた。
そして、ようやくひとつの境地に至った。
──人間って素晴らしい。だって言葉が通じる──
何故わたしはあんなにエレノアや学友たちを目の敵にしていたのだろうか?
彼女たちは人間だ。話せばわかる。
わたしが命令しようが懇願しようが、何ひとつ言う事を聞いてくれないあの野獣たちとは違うのだ。
それだけで尊いと言える。
わたしは人を許せるようになった。犬に比べれば、すべては些細な事だ。
現にわたしは人生をやり直せている。それで十分ではないだろうか?
ただ、そうは言っても、犬との時間は持ち続けた。
わたしは数々の魔物の討伐に成功してきた。犬如きに負けたままで済ますわけにはいかない。
それに……犬たちは昔ほど元気ではなくなってきている。
野良犬だったので正確な年齢はわからないが、恐らく犬としては老齢にさしかかってきているのだろう。
元気が無くなったとはいえ、相変わらずわたしの言う事は聞いてくれないが、相手にはしやすくなった。わたしにはそれが嬉しくもあり、寂しくもあった。
わかっていたことだが、犬たちはわたしに対して悪意は無く、むしろ好意しかなかったのだ。
わたしだって激しい愛情表現が嫌だっただけで、もう少し距離を置いてくれていたら、もっと好きになれたのかもしれない。
そんな風に思えるようになった。
──
学院では、門のところでわたしを出迎える生徒の数が日に日に増えていった。
よく見れば結構身分の高い貴族の子弟もいる。何で教師たちは注意しないのだろうか?
教師たちはわたしが視線を向けるだけで顔を背け、決して目を合わせないようにしている。
わたしの顔を見たら石になるとでも思ってやしないか?
もう少し教師としての責務を果たして欲しい。国王でも臣下にこんな仰々しい挨拶はさせないので、ちょっと恥ずかしいんですけど。
王族といえば、わたしの婚約者であるエドワード様が同じ学年にいらっしゃるのだが、何故か影が薄い。前世ではもっと目立っていてキラキラしていたと思うのだが、取り巻きの数も少ないような気がする。
オスカーに事情を聞くと、
「当然ですよ。もっと真に尊きお方がこの学院にいらっしゃるのですから、身分ぐらいにしか魅力がない方には人が寄ってきますまい」
いや、その身分ぐらいしか魅力のない方は、わたしの婚約者なんだけど?
それに身分は大事だよ? 前世のわたしは身分こそがすべてだと思っていたんだからね。
しかし、わたしの思いとは裏腹に、エドワード様はどんどん目立たなくなっていった。
初めは婚約者らしくわたしとも接し、時折お茶などを一緒に飲んでいたのだが、次第に疎遠になっていった。
婚約者になった当初は、犬と共に何度も楽しくお話をしていたのだが、わたしが魔物討伐に駆り出された後くらいからその回数も減っていたのだ。これでは前世とまったく変わらないではないか。
ただ、従者たちが集めた情報によると、エドワード様は同い年ながら数々の実績を立てているわたしに比べて、まだ自分は何もしていないので気が引けているらしい。
何とも気の小さなことだ。前世で辛辣に婚約破棄を言い渡した人とはとても思えない。
結局のところ、立場の弱い者にしか強く出れない男というわけか。
以前から薄々気づいていたが、わたしは自分が思っていたほどエドワード様のことが好きではなかったようだ。
王子様という立場に憧れていただけなのだろう。




