20 オスカー
俺が覚えている最初の記憶は、母親に手を引かれて孤児院に連れていかれたときのものだ。
「あなたの本当のお父さんは貴族なのです。そのことに誇りを持って生きて」
母は悲し気な表情を浮かべて、そう言った。
今にして思えば、母は若くして子を成してしまったが、貴族だった相手に結婚を迫ることもできなかったのだろう。かといって、女ひとりで生きていくには難しく、他の男と結婚するために子どもを孤児院に預けたというわけだ。
要は俺の存在が邪魔だったと。
まあそれはいい。……いや、良くは無いが理解できなくもない。ただ、別れの一言は余計だった。
幼い俺は、その言葉を本気にしてしまった。
俺は本当は偉いんだと、そのうち貴族である父親が迎えに来るのだと思い込んでしまった。
「俺はおまえたちとは違う、本当は貴族なんだ」
そんな風に本気で考えていた。意味の無い選民意識にまみれて、他の子どもたちを馬鹿にしていた。
俺が能無しだったら、ただの痛い子どもだが、ある程度の知恵と力に恵まれていたので、それで上手くいってしまったのも良くなかった。それに周囲の女の子たちや修道女の態度で、自分の顔が良いことをすぐに自覚してしまった。ちょっと優しく声をかけてやれば、大抵のお願いは聞いてもらえた。
調子に乗った俺は「実は俺は国王の隠し子なんじゃないか?」とさえ思っていた。
生意気なガキだったと思う。他の子どもはもちろん、院長の言う事もロクに聞かなかった。
だから、孤児院ではそれなりに楽しくやっていたと思う。あの方が来るまでは。
公爵令嬢が従者を探しに来ると聞いたとき、「俺は将来貴族になるのだから、そんなものになる必要はない」と思った。院長も俺の妄想じみた願望を知っていたので、最初は従者の候補に出さなかったようだ。面倒な子どもを公爵家と引き合わすわけにはいかないと考えたのだろう。
それで聞き分けの良い子どもたちを選抜したわけだが、あの方はそんな連中を必要としていなかった。
あの方が、セリーナ様が必要としていたのは、真に秀でた資質を持っていた人間だったのだ。
イザベル、アリス、エマ、リチャード、ルイスは問題こそあったものの、優れた才能を持っていた。俺もその中に含めて頂けたことは、今にして思えば身に余る光栄だ。今にして思えば。
そのときはそんな風に思わなかったのだ。何せ俺を選んだときの言葉が
「貴族の子であろうが、平民の子であろうが、わたしのところでは等しく価値が無いことを思い知らせてあげるとしましょう」
だったわけだから、悪い予感しかしなかった。
何しろ、俺がすがっていた選民意識を踏みにじったのだから。それも公爵の娘がだ。
そして、その予感は当たった。公爵家で待っていたのは過酷な訓練の日々。
肉体的にも辛かったが、精神的にはもっと厳しかった。
「あら、それで貴族の血を引いているつもりだったの? 豚の血の間違いじゃないかしら? 大体、本当に貴族の血を引いていたら、あなたのお母様だって、もったいなくて捨てなかったでしょうに」
セリーナ様は事あるごとに、えぐるような言葉で俺たちを罵倒していじめ抜いた。
最初の1年くらいはセリーナ様のことを憎んだ。
「何でおれたちをこんなひどい目にあわせるんだ? 貴族というだけで、そんなに偉いのか? 人間の価値は生まれで決まるようなものじゃないだろうが!」
と自分の価値観が変わるくらいには憎んだ。
しかし、それは過ちだった。セリーナ様の目的は俺たちの心と身体を一度バラバラにして、そこから再構築することにあった。そのためにあそこまで酷い……今思い出しても吐き気がするような訓練が必要だったわけだ。実際、俺の中の「貴族は偉い」なんて思い込みは、いつの間にか消え去っていたのだから。
俺は悟ったのだ。セリーナ様の言っていた通り、身分など意味がないということに。
そして、セリーナ様はそれを実証した。
サーペント退治を皮切りに、各地を転戦して名声を高めた。高価な椅子に尻を乗せるくらいしか能の無い貴族どもを嘲笑うかのように、俺たちは力を示した。
もはや、この国で俺たちのことを知らない者はいない。
その実績を引っ提げて、セリーナ様はローズウッド学院へと入学された。
目的はわかっている。学院の掌握と、その先にあるこの国の実権を握ることだ。
セリーナ様は学院に集まるこの国の貴族の子弟たちを束ねて、将来の自分の派閥を作るおつもりだ。
1年時に3年生までを、3年時に1年生までを掌握すれば、前後2年と自分の学年を合わせた計5学年を支配下におくことができる。この影響力は大きい。
現在は王太子の婚約者となっておられるが、そんな地位に頼ることなく、この国を我が物とすることが可能となるだろう。
入学時こそ様子を見られておいでだったが、先日ついに命令して下さった。
「あなたたちは好きにしなさい」
試されている、と従者全員が思った。
具体的な指示を出さずとも、俺たちは自分たちで考えて行動できると思ってのお言葉だ。
訓練中、散々そういう言葉は聞かされていたから慣れている。
早速、俺たちは行動を開始した。
──
ローズウッド学院は一般クラス、騎士クラス、魔術クラス、神官クラスに分かれている。
俺たちはセリーナ様の従者だが、一応それぞれのクラスに籍を置いていた。
俺とイザベルはセリーナ様と同じ一般クラス、リチャードとエマは騎士クラス、アリスは魔術クラス、ルイスは神官クラスだ。
一般クラスと言えば、普通の生徒たちが学ぶ場所に聞こえるが、実態は貴族の子弟が集まる上流階級のクラスだ。
俺とイザベルは事前に集めていた情報を元に、既に出来上がりつつあったグループに調略をかけた。
孤児院のときとやることは変わらない。
相手が何を望んでいるか、何を欲しているか、何を言って欲しいかを把握し、ゆっくりと自分の影響下におく。
身分の高低など関係ない。所詮人間だ。むしろ、身分に頼る人間ほど、かつての俺のように他にすがるものがない。自分が身分以外に何も無いことに気付かせてやれば、たやすく付け込むことができる。まったく、セリーナ様以外の貴族というのは俗物ばかりだ。
俺とイザベルのもと、セリーナ様を頂点とした巨大な派閥を作るのに、そうは時間はかからなかった。
リチャードとエマのやったことはもっとシンプルだ。力を示す、それのみ。
リチャードは模擬戦及び私闘を通じて、1週間ほどで1年の騎士クラスを制圧すると、すぐさま上の学年の騎士クラスに殴り込みをかけた。
「1対1とは言わねぇ。好きなだけかかってこいよ、先輩方?」
リチャードに煽られた上級生は誇りと面子を秤にかけた結果、無様にも徒党を組んで挑んだ。
だが、相手が悪かった。リチャードは鬼のような怪力の持ち主である。しかも、巨体にも関わらず動きも速い。
あいつの振るう大剣は防ぐことも受け流すこともできず、剣や盾ごと相手を叩き潰した。
先輩方は誇りも面子も捨てて、リチャードを無視すべきだったのだ。
上級生たちはリチャードのいいように蹂躙された。
エマはもっと質が悪かった。あいつは堂々と他のクラスの模擬戦に乱入したのだ。
「あたしの相手になる人がいないので、ちょっと戦ってもらえませんか? この学校、レベルが低くて」
ちなみにエマの場合は煽っているわけではなく、素で言っている。
これに怒った教師がエマひとりを相手に、生徒全員で勝ち抜き戦を始めるのだが、ほとんどの生徒たちはエマの二刀流の前に秒殺され、最後はついでにとばかりに教師も倒される羽目になる。
腕利き揃いの騎士クラスの教師たちは、エマの前にことごとく敗れ去り、その力にひれ伏した。
こうしてローズウッド学院の騎士クラスは、リチャードとエマの影響下に置かれることとなった。
魔術クラスと神官クラスは身分や力が物を言う場所ではないが、アリスとルイスは入学時から首席の座を維持し続けた。魔法自体が特殊技能であるためクラスはひとつしかなく、そこでトップの成績を取っていれば自然とクラスの中心的存在となることができた。
あとはセリーナ様がいかに素晴らしいかを喧伝するだけである。
アリスとルイスは事あるごとに言った。
「孤児だった自分たちが、ここまでの力をつけられたのはセリーナ様のおかげ」
「セリーナ様の言う通りにすれば魔力が上がる」
「セリーナ様を信じていれば、どんな怪我や病気も治せる」
「セリーナ様さえいれば幸せになれる。他に何もいらない」
等々、多少の誇張はあるにせよ、そこに嘘はない。実際に優秀な成績を修めていたふたりの言葉は真実味があり、すぐにセリーナ様の信奉者は増えていった。
こうしてセリーナ様の威光は徐々に学院に広まっていった。
──
ある程度の人数が揃ったところで、俺たちは傘下に収めた生徒たちを校門の後に並べた。
無論、セリーナ様に挨拶をさせ、同時に誰がこの学院の真の支配者であるのかを示すためだ。
「おはようございます! セリーナ様!」
並んでいた生徒たちを見て、セリーナ様は声を失った。
きっと想像していたよりも数が少なかったことに失望されたのだろう。
申し訳ない。俺たちは選ばれたセリーナ様の従者だ。もっと励まねばならない。




