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02 やり直し

 目を覚ますと、そこは柔らかいベッドの上だった。わたしが閉じ込められていた牢獄塔の硬いベッドではない。

 良かった。さっきまでのことは悪い夢だったんだ。

 それにしても酷い夢だった。おかげで身体が火照って汗だくになっている。

 わたしは召使いを呼ぼうと声を上げようとして、


「ふぎゃぁ」


 と泣いた。


「まあ、お目覚めになられたわ!」


 側にいたのか召使いがすぐにやってきて、わたしを軽々と抱え上げ、肩に寄せて抱いた。


(あれ? わたし小さくない?)


 召使いの肩に置かれた小さな手が視界に入った。まるで人形のようだ。まさかと思って手に力を入れてみると、その小さな手が持ち上がった。

 

(えっ?)


 わたしは懸命に首を動かして部屋の周囲を見回そうとしているのだが、思うようにいかない。その間、召使いはずっとわたしのことを優しくあやしている。

 ここは間違いなくわたしの住んでいた屋敷の一室だった。少し綺麗なようにも見えるが間違いない。

 召使いの肩越しから。ようやく大きな姿見鏡を見つけた。


 そこに映っていたのは、召使いに抱っこされた赤ん坊の姿だった。


──


 その後、わたしは泣き叫んだ。召使いは狼狽えたが、そんなことは知ったことではない。

 こっちは死んだと思ったら、赤ん坊に生まれ変わっていたのだ。泣きたくもなる。というか、赤ん坊は感情の起伏が激しくて簡単に泣いてしまうようだ。

 ひとしきり泣いた後で、わたしは落ち着いた。具体的に言うと寝た。少し疲れただけで、赤ん坊の身体は簡単に眠りに落ちる。


 目覚めた後、冷静になったのだが舌が回らないので、はっきり言葉を喋ることもできない。召使いと話をしたくても意思の疎通ができなかった。わたしが生きていた時は、こんな召使いはいなかったと思う。

 わたしは一体誰に生まれ変わったのかが知りたい。生きていたときには、屋敷に子どもを身籠っている人間はいなかったはずだ。ひょっとして何年も経った後の世界なのだろうか?

 そうこうしている間に、誰かが部屋にやってきた。

 召使いは「奥様」と呼んだ。

 上手く動かない身体をよじって扉のほうを見ると、そこにいたのは見たことがないくらい若いお母様の姿だった。

 わたしと同じ絹のような綺麗で長い黒髪。美しくも作り物めいた顔。

 最初は似ているだけかと思ったが、その声、話し方、仕草からお母様であることは確実である。

 お母様はわたしのことを抱きもせず、一瞥しただけですぐに部屋から出て行った。

 やはり、わたしには無関心なようだ。わたしのお父様とお母様は形ばかりの夫婦関係で、お母様はわたしに興味が無く、牢獄塔に閉じ込められた時も一度も会いにこなかった。

 皮肉なことにその冷たい母の姿を見て、わたしはようやく状況を把握することができた。


 どうやら、赤ん坊から人生をやり直しているらしい。


──


 状況を理解したところで、何かできるわけでもない。赤ん坊は無力なものだ。

 大体、いきなり赤ん坊が喋り出しても奇妙に思われるだろう。

 そこでこの期間に、わたしは考えを巡らせることにした。

 わたしが非業の死を遂げたのは、有能な味方がいなかったせいである。

 味方がちゃんとしていれば、エレノアはとっくに死んでいたはずだし、わたしは王妃になれていた。前回のわたしの人生は人に恵まれていなかっただけだ。

 であれば、この新たな人生で必要なのは、わたしの手足となって働く忠実な下僕たちである。

 それをどうやって集めるかが問題なのだが、わたしは長い幼児期を経て、ひとつの名案を思い付いていた。

 その名案を実行するためには、清く正しく慈悲深い子供を演じる必要がある。

 もちろん、わたしは元より素晴らしい人間だが、エレノアのような偽善者臭い聖女みたいな人間であると周囲に思わせなければならない。

 かくして、3才の誕生日を迎えた後から、わたしは「憎きエレノアだったらどうするか」を考えて行動するようになった。


 召使いが花瓶を落して割った場合、前世だったら


「あら、その花瓶、あなたより高いのよ? あなたも屋根から落ちて割れる?」


 と軽妙な冗談を言ったのだが、現世では


「大丈夫? 怪我はない? こんな花瓶よりもあなたの身体のほうが大事よ?」


 と心にも無いことを言った。


 召使いがわたしの服にお茶をこぼせば、前世だったら


「あなたの服も濡らしてみる? あなたの血で」


 とエレガントな対応をしたのだが、現世では


「こういう色で服を染めてみるのも悪くなさそうね」


 と趣味の悪い気遣いをしてみた。


 召使いが私の予定を間違えて伝えたりしたら、前世では


「これであなたの将来の予定も空白ね」


 とインテリジェンスなことを言ったのだが、現世では


「あの予定は今日は気が進まなかったの。気にしないで」


 と口からでまかせを言った。


 おかげで公爵家でのわたしの評判は高まった。

「セリーナ様は慈悲深い」「セリーナ様は幼くして高い徳を備えてらっしゃる」等々、こんなあざとい芝居に引っかかるなんて、みんなどうかしている。こんな他人のことばかり気遣う人間などいるわけがない。

 しかし、おかげでエレノアがいかに狡猾なやり方で人心を掴んでいったのかがよくわかった。きっとエドワード様も、あの聖女を装った毒婦の演技に惑わされたに違いない。

 

 一方で、わたしは習い事にも励んだ。礼儀作法的なことは、前世で一通りマスターしているので問題はない。だが、二度とあのような死を迎えないためにも、わたしは自分自身が強くなる必要があるのだ。

 すなわち、馬術、剣術、護身術である。本来的には公爵家の令嬢が一生懸命やるようなことではないが、前世で無理矢理取り押さえられたときのことが、わたしにはトラウマになっていた。

 あのような無礼な振る舞いを受けないために、身体を鍛えたかったのだ。

 やり直した人生では、相手が誰であろうと勝手にわたしに触れることを許すつもりはない。


 魔法の勉強にも力を入れた。公爵家は代々魔力の高い家系ではあるが、わたしにはあまり魔力が備わっていなかったため、前世では真面目に取り組まなかったのだ。

 しかし、現世では魔法の力も必要となる。そのために赤ん坊の頃から、隠れて魔力向上の訓練に励んだ。魔力向上の訓練は基礎魔法を繰り返し唱えることやイメージトレーニングなどで構成されており、知識さえあればどんなに幼くても実行することが可能だ。しかも時間は腐るほどあった。

 幼児期のこの訓練はとても有効だったようで、わたしの魔力はぐんぐん伸びていった。


「セリーナ様は魔法の才能がおありだ!」


 6才になって、初めて付いた魔法の家庭教師が感嘆した。それはそうだろう。こっちは赤ん坊の頃から訓練を積んでいるのだ。そこらへんの子どもとはレベルが違う。

 ただ、魔法に関する知識は自分でも不思議なくらい持っていた。


(はて、わたしはこんなに魔法に詳しかっただろうか?)


 我が家には魔法の書は充実していたが、そんなに読んだ覚えが無いのに内容をよく覚えている本が何冊もある。

 逆にあるはずなのに無い本があるような気がした。

 そんな違和感を覚えつつも、わたしの魔法の力は順調に伸びていった。

 8才になる頃には中級魔法まで習得し、周囲からの称賛を浴びたが、こんなものでは満足できなかった。いざというときは、あの忌まわしいローズウッド学院ごと焼き尽くすくらいの魔力が欲しい。

 わたしを見捨てた学友たちや教師たちを一網打尽にすべく、わたしは魔法の勉強に取り組んだ。


──


 10才の誕生日を迎えた。誕生日会が盛大に開かれたが、相変わらずお母様は不愛想だった。わたしの素行がどれだけ良かろうが、勉強ができようが、魔法が上達しようが、それは変わらない。前世のときと同じだ。お母様はお茶くらいにしか興味がなく、色んな種類のお茶を嗜んで日々を送っている。

 わたしも今更お母様には何も期待していなかった。狙いはお父様だ。


「お父様、わたくし誕生日に欲しいものがありますの」


 愛らしい笑顔を浮かべて、わたしはお父様に抱き着いた。この日のために、あざとい笑顔を鏡の前で猛特訓してきたのだ。何せここが正念場だ。


「おお、セリーナ。おまえは天使のように可愛いな。おまえの望むものなら何でも与えよう」


 顔を綻ばせて、お父様はわたしを抱きかかえた。

 決して美男子というわけではないが笑顔を絶やさない優しい顔、ちょっぴりふくよかな体型。

 前世でもお父様はわたしのことを溺愛して、何でも言う事を聞いてくれた。監獄塔に閉じ込められていたときの、たったふたりしかいなかった面会人のひとりでもある。そしてわたしを救えなかったことを涙ながらに詫びたのだ。

 父の笑顔に一瞬覚悟が揺らいだが、わたしは気を取り直して望むものを告げた。


「わたしは自分の従者が欲しいのです。それも同じ年頃の子を」

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― 新着の感想 ―
「あら、その花瓶、あなたより高いのよ? あなたも屋根から落ちて割れる?」 「あなたの服も濡らしてみる? あなたの血で」 「これであなたの将来の予定も空白ね」 ドドドブラックジョークめっちゃ好き
[良い点] 嫌われないように振る舞う。それが保身のためだろうと、救われる人がいるなら結果オーライですね。 [一言] 貴族らしい価値観を隠して平民を慮っている内に、いつの間にか聖女になりそう。 と言うこ…
[良い点] 清々しいまでの性悪で失笑してたら、悪役令嬢の家庭事情を垣間見ると、いきなり切ない気持ちになりました。カリスマのある人間は極悪と美徳を併せて持つのですね。
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