19 学院
ようやく、ローズウッド学院に入学する日がやってきた。
わたしは入学直前まで魔物討伐に明け暮れていた。このままでは約束を反故にされるのではないかと不安に思っていたが、そこはお父様が国王に取りなしてくれたらしい。
変な話、国王は王家の権力強化を狙って王太子の婚約者であるわたしを戦わせているのだが、わたしはまだ公爵家の令嬢なので、現在はローゼンバーグ公爵家の影響力が高まる格好となっている。
笑顔を絶やさない温厚なお父様は権力争いに向いている方ではないが、元々我が公爵家は力の強い貴族のひとつだ。そこにわたしの武功が加わり、内外からの評判が高まっているというわけだ。
入学当日、わたしは従者たちを引き連れ、学院に足を踏み入れた。
実に16年ぶりだ。わたしは待っていた。前世でわたしを見捨てた学友や教師たちに鉄槌を下し、復讐を果たすこのときを。
さあ寄って来い、前世のように。公爵家の恩恵にあずかろうとして、形ばかりの友誼を結ぼうとした学友たちよ。
わたしに近づこうとしたが最後、散々弄んでからゴミくずのように捨ててやる!
……あれ? 誰も寄ってこない?
生徒たちはおろか、教師すらわたしの側に近づこうともしない。
それどころかわたしが近づくと、みんな怯えたように逃げていく。
「さすがですね、セリーナ様」
リチャードが誇らしげに言った。
「人としての格の違いに、学院の連中は近づくことさえ恐れおおいという感じですな!」
本当にそうだろうか?
何というか格の違い云々ではなく、単に怖がられているだけのような……
学院の人間たちの反応を訝しんでいると、進路上にいた女子生徒のひとりが、わたしに気づいて慌てて立ち去ろうとして、道をふさぐように転んだ。
「すいません! すいません! 道をふさいだご無礼をどうかお許しください!」
女子生徒は這いつくばって泣いて謝った。
さらにその子の友達らしき生徒も横から飛び出してきて、一緒に謝り始めた。
「もうしわけございません! この子、どんくさいだけで決してわざとじゃないんです! どうか命だけはお助けを!」
いやいや、さすがに道をふさいだだけで殺すとかないんですけど? わたしは鬼か悪魔と勘違いされているのか?
「オスカー、あの子に手を貸してあげなさい」
とりあえず邪魔なのでオスカーに対応を任せた。
オスカーは、すっと前に出ると、倒れていた女子生徒に優しく手を差し伸べた。
「お怪我はありませんか、お嬢様? わたしの手でよければ、どうぞおつかまり下さい」
よそ行きの笑顔を浮かべているオスカーに、女子生徒は頬を赤らめて、その手を掴んだ。
オスカーは腰を抱き寄せるように必要以上に密着して優しく立ち上らせると、自然な動作で通路の端へと導く。
女子生徒は潤んだ瞳でオスカーから目を離さないでいた。
さすが女ったらし。無駄に顔が良いわけじゃない。他の女子生徒たちからも熱い視線を集めている。
まあ、そんなことはどうでも良い。
問題はわたしの評判だ。一体どうなっているんだ?
「イザベル」
「はい」
「学院内でのわたしの評判を収集しなさい。悪い話でもかまいません」
「かしこまりました」
イザベルは情報を集めるために、わたしから静かに離れていった。
──
「結論から申しますと、セリーナ様の評判はとても良いものと思われます」
昼休みになって戻ってきたイザベルは、早速報告を始めた。
ちなみにこの時間になっても、わたしの扱いは変わらず、誰も近寄ってこなかった。
授業中もわたしのまわりに空白地帯が生まれている。前世では鬱陶しいほど人が集まって、代わる代わる挨拶を受けたものだったというのに。
「評判が良いのに誰も近寄ってこないの?」
「近寄りがたい、と考えられているのでしょう。ただ、魔物討伐の際の逸話が幾つか広まっており、それが原因で恐れられているのではないかと」
「逸話? どんな逸話?」
「ゴブリン退治をしたときのことを覚えておいでですか?」
「覚えているわ」
他国から流れてきたのか、たまたま繁殖したのかはわからないが、王国のある地方でゴブリンが大量に発生したのだ。あまりに数が多かったので、その土地の領主と合同で討伐作戦を遂行した。
「あのとき、ゴブリンたちが潜んでいた森で、セリーナ様は何でもかんでも燃やしましたよね?
『逃げるヤツはゴブリンだ! 逃げないヤツはよく訓練されたゴブリンだ!』とか言って、最後は森ごと燃やしていましたよね?」
……言い訳をすると、最初はちゃんと探索しながらゴブリンを倒していた。けれど、途中から確認するのが面倒くさくなって、それっぽいものを片っ端から焼き払ったのだ。
結局、山や森ごと焼いて、あの領地の半分を焼け野原に変えたっけ。
しかも、一匹残らず退治してやったのに、領主に嫌味を言われたのだ。
「ゴブリンとはいえ、よく女子供まで殺せるな」
わたしも頭に来たから言い返した。
「簡単よ、動きが遅いからね。でも、領主様はどうかしら?」
領主は太っていて、見るからに鈍重そうだった。
それで、わたしが掌に炎を浮かべてやったら、顔を青くして逃げていった。
あのときは胸がすっきりしたものだ。
ん? 逸話って、もしかして……
「まさか、あの討伐のときのわたしの発言が広まってたりは……」
「はい。セリーナ様は女子供でも容赦がないと評判です」
それのどこが良い評判なんだろうか?
──
その後、幾日か経っても、わたしの側に人が寄り付くことはなかった。
これでは復讐をしようにも、なかなか動き出すことはできない。
しかし、そんな状況にホッとしている自分がいる事にも、わたしは気付いていた。
恨みを持ち続けるには、16年という月日は長かった。
わたしの中の年齢は30代半ばに達している。もはや、昔のように何も考えずに突き進むような熱は失われつつあった。
わたしは他の生徒たちから距離を取ったことで、学院のことを俯瞰して見ることができた。
そこではまだ子どもである生徒たちが大人の真似事をするように、箱庭の中でささやかな権力闘争を繰り広げている。十代半ばである彼らには、それが魅力的なことに思えているのであろう。
前世の自分も同じように公爵家の令嬢であることをいいことに、人を思うままに動かそうとしていたのであれば、反省すべき点もあったかもしれない。
今思えば虚しい人生だった。周囲の人間とは上っ面の付き合いばかりで、わたしを本当に想ってくれる人間がいなかった。
──本当にそうだっただろうか?──
何かが脳裏をかすめたような気もするが、ただの気のせいかもしれない。
とにかく、やり直している今の人生は悪くない。深い絆で結ばれた6人の従者と共に、それなりに充実した日々を過ごしている。
……ひょっとしたら、従者たちにとっては不幸だった可能性も無くは無いが。
前世はあくまで前世であり、もっと今を大切にすべきなのかもしれない。
「あなたたちは好きにしなさい」
わたしは従者たちに伝えた。復讐の道具として使おうと思っていた彼らも十代の若い盛りだ。やりたいことも色々あるだろう。何もずっとわたしに付き従っている必要はない。
従者たちはわたしの言葉に黙って頷いた。そして、翌日から交代で人を残して、どこかへ行くようになった。
これで良い。
わたしはそう思った。このときは。
──
しばらくして、いつものようにわたしが学院に登校すると、門の後ろに誰かを出迎えるようにふたつの生徒の列が綺麗に出来ていた。
そして彼らはわたしの姿を確認するなり、一斉に跪いた。
「おはようございます! セリーナ様!」
ナニコレ?
当惑しているわたしに、オスカーがそっと耳打ちした。
「セリーナ様、とりあえず1年生の過半数は我々の傘下に収めました。すぐに学院すべてを我らのものと致しますので、少し時間を頂ければと思います」
……忘れていた。わたしの従者たちもまた十代の若い盛り。
こういう権力闘争が大好きな時期であることに。




