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14 避暑

 わたしとエドワード様の婚約はあっさり成立した。前世よりも1年程早い。

 もちろん、早い分には問題無いだろう。

 けれど、あれほどもう一度なりたいと願っていた婚約者なのに、そこには思っていたような喜びはなかった。多分、犬のおかげだし。

 もっと言えば、前世ではあんなに素敵だと思っていたエドワード様は、どこか物足りなかった。

 これならオスカーはおろか、リチャードやルイスのほうがまだマシのように思える。

 前世と合わせれば30年以上生きているせいだろうか? わたしは自分の気持ちが良く分からなくなっていた。

 そんな混乱しているわたしに、ルイスがとんでもないことを提案してきた。


「セリーナ様、犬が好きな王太子様と婚約なされたからには、毎日犬と接するべきなのではないかと思いますが如何でしょうか?」


 こいつ、一体何を言い出しやがるのでしょうか。毎日犬と接する? それは何の拷問なの? まさかわたしの犬嫌いを察していたのか?


「……何が言いたいの?」


 わたしは努めて平静を装った。けれど、全身に冷や汗が流れている。


「毎日、我々の犬を相手に1時間ほど遊ぶ時間を設けてみてはどうかと」


「1時間?」


 今まで散々訓練でいたぶってきた仕返しのつもりなのか、ルイスの提案は嫌がらせ以外の何物でもなかった。

 しかも、王太子様との婚約の件と絡めてきているので非常に断りづらい。何て狡猾な!


「短いでしょうか?」


「いえ! 良い提案です。さすがは我が従者。褒めて差し上げます」


 虫も殺さないような顔をして、主人に反旗を翻すとは恐ろしい子。オスカーやイザベルが可愛く思える。

 わたしは渋々ルイスの提案を採用することにした。


「ありがとうございます! では早速今から犬を連れてきますね!」


 わたしが止める間も無く、ルイスは他の従者たちを引き連れて部屋へと戻っていった。

 え、嘘? 今日から?


──


 この時間を何に例えるのかと言えば、部屋にただ座って処刑を待っていた前世のあの時に似ている。

 わたしは神に願った。このわずかな間に、犬たちが何らかの病気にかかって全滅していることを。

 しかし、そんなささやかな願いは神に届かず、6人の従者たちが6匹の犬を連れてきた。実に元気いっぱいで、わたしは悲しい。


「ではごゆるりとどうぞ」


 ルイスが温かみのある声で、死刑執行の宣告を行った。

 一斉に飼い主たちから解き放たれる犬たち。かつてわたしを襲ったときよりも大きく成長しており、まさに血に飢えた野獣である。

 

「ハッハッ!」「フッフッ!」「バッバウッ!」「ワンワン!」「クンクン!」「ガウガウ!」


「ひっ、ひぃぃぃっ!」


 わたしは耐えることができず、思わず悲鳴を上げてしまった。

 しかし、野獣たちは許してはくれない。まず、リチャードの飼っているでかい犬が、わたしを押し倒した。そこに他の5匹の犬たちも加わり、わたしを蹂躙し始めた。

 服をくわえて引っ張る、足をのせる、手足を甘噛みされる、尻をすりつけられるとやりたい放題だ。

 え、これ、1時間も続くの? 無理、死んじゃう!

 わたしは助けを求めようと、従者たちのほうを見た。

 しかし、そこには人の不幸をニヤニヤ笑って眺めている6人の悪魔たちが立っていました。


(はっ、はめられた)


 わたしにはただのひとりの味方もいなかったのだ。

 彼らはこの屋敷に来たときから、わたしへの復讐の機会を待っていたに違いない。

 しかし、わたしはセリーナ・ローゼンバーグ。公爵家の令嬢だ。いずれはこの国を統べる王妃となる人間でもある。

 この程度の嫌がらせに屈していては話にならない。

 わたしは立ち上がった。犬に蹂躙されながらも立って見せたのだ。誰かにこの偉業を讃えて欲しい。何なら今の姿を銅像にして、未来永劫記憶してもらいたいぐらいだ。

『野獣たちに立ち向かうセリーナ・ローゼンバーグ』

 素晴らしい銅像のタイトルだ。

 ……そんな妄想で気を紛らわせつつも、わたしは気合で笑顔すら浮かべて犬たちに対応し、苦行の1時間を立ったまま耐え抜いた。服が犬たちのよだれでべしょべしょである。

 どうだ見たか、公爵家令嬢のプライドを!

 わたしは従者たちを睨みつけた。

 彼らは笑っていた。その意味するところは「今日のところはこれで勘弁してやろう」ということに他ならない。

 そう、この地獄が明日からずっと続くのだ。わたしは湯浴みをしながら泣いた。


──


 ……犬たちのことはひとまず置いておくとして、わたしにはやることがある。婚約は成立したのだが、このままでは前世同様、あのエレノアによってぶち壊されるのが目に見えていた。

 それを防ぐためにやらなければならないことは、エレノアの手柄を横取りすることである。

 前世では、わたしが15になった年に、エレノアが聖なる力で魔物を倒したことによって一躍国中に名を轟かせた。そこから聖女伝説が始まるわけだが、わたしが先にその魔物を倒してしまえば、その伝説も始まる前に終わるというわけだ。

 そして、今年はわたしが15になる年。

 ようやく、わたしの力を示すときがきたのだ。


「全員傾注!」


 オスカーの号令で従者全員が整列し、わたしの声を聞く姿勢をとった。

 

「これより我々はエルフェン湖へと向かいます。みな準備を整えておくように」


 エルフェン湖ではこの夏、巨大な蛇の魔物が暴れることになっている。それをエレノアにさきがけて倒すために行くのだ。


「セリーナ様、何用があって、そこに行くのでしょうか?」


 イザベルが軽く手をあげて質問した。


「エルフェン湖には蛇の魔物が現れます。我々はその討伐を目的とします」


「蛇の魔物……ですか?」


 イザベルは怪訝な顔をしている。エルフェン湖は貴族たちの避暑地として有名な場所であり、最近魔物が出現したという話は無い。


「わたしの言葉が信じられませんか?」


「いえ、失礼しました! セリーナ様の仰ることに間違いはありません!」


 イザベルが敬礼して、自分の非を詫びた。


「蛇の魔物に関しては、わたしだけが知っている情報なので他言無用です。いいですね?」


「サー、イエッサー!」


 従者たちが声を揃えた。彼らは口が堅く、他に情報が洩れる心配はない。


「わたしにとっても、あなたたちにとっても初めての実戦になります。そしてこの戦いでわたしという存在を国中に知らしめる必要があるのです。しかも相手は強敵です。決して気を抜いてはいけません。きちんと怠りなく準備を整えておくように。いいですね?」


「サー、イエッサー!」


 ……いつになったら止めるんだろう、その返事は。



 さて、従者たちには「蛇の魔物を倒す」と説明したものの、お父様にはそんな話はできない。

 なので、お父様には無難に話を通しておいた。


「避暑のためにエルフェン湖に行ってまいります」と。


 もちろん、お父様は笑って許可して下さった。


──


「セリーナ、あれは何かね?」


 わたしたちがエルフェン湖に旅立つ当日、お父様はわざわざ見送りに来て下さった。

 お父様が指差した先には、今回の旅の荷物を載せた馬車がある。


「もちろん、今回の避暑のための荷物ですわ、お父様」


 馬車の荷台には鎧兜、盾、剣、槍、弓矢などが満載されており、日の光に照らされて物騒な輝きを放っていた。他には回復用のポーションなどが樽で乗っかっている。どこからどう見ても軍事用の馬車にしか見えない。


「……あれが、かね?」


「最近の道中は危険が多いと聞いておりますので」


「そんな報告は受けていないのだが……」


 あまり納得していないようだが、お父様は視線を他へと動かした。


「……彼らは何をやっているのかな?」


 その視線の先にはわたしの従者たちがいた。今回の旅に向けての円陣を組んで、何事かを叫んでいる。



「我々はセリーナ様を愛しているか!?」


 オスカーが叫んだ。それを受けて全員が声をあげる。


「生涯忠誠! 命を賭けて! 忠誠! 忠誠! 忠誠!」


「我々を育てるものは何だ!?」


 イザベルが叫んだ。


「血だ! 血だ! 血だ!」


「我々の存在意義は何だ!?」


 リチャードが叫んだ。


「殺しだ! 殺しだ! 殺しだ!」



 従者たちは、まるで百戦錬磨の傭兵団のような様相を呈していた。


「彼らは従者として初めて遠くへ出かけるわけですから、ああやって気を引き締めているのです」


 わたしはお父様に説明した。嘘ではない。初の実戦を前に少し気合が入り過ぎている気もするが。


「……従者にしては、いささか物騒な言葉を使っているようだが?」

 

 いつものお父様の笑みが引き攣っていた。


「そうですわね。きっと孤児院の頃の良くない言葉遣いが残っているのでしょう」


 この際、すべての罪を孤児院になすりつけることにした。


「そんな孤児院だったかね?」


 お父様はいまいち納得していないようだった。

 もちろん、聞かなかったことにする。

 そして、釈然としないお父様を置いて、わたしたちはエルフェン湖へと旅立った。

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― 新着の感想 ―
[一言] なるほど犬まで含めると二十四の瞳ですか、これなら壺井栄(記念館)も抗議できませんね。
[一言] なんだか昔、弱小ラグビー部を餓狼部隊に生まれ変わらせた某軍曹を彷彿とさせるお嬢様。 もうこれから闘う相手が憐れに思えてきた。 しかし、彼らがどこまで傍若無人に暴れまわるのか見てみたい!
[一言] 12の瞳は従者のことだと思うけど…思うけど犬たちの可能性が…っ!
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