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13 ルイス

 両親は僕が小さい頃に亡くなった。僕が覚えている最後のお母さんの姿は、横転した馬車の中で僕を抱いたまま動かなくなったときのものだ。

 そして、身寄りの無かった僕は孤児院に送られた。うちでは犬を飼っていたけど、その犬がどうなったかはわからない。

 孤児院では、なかなか周囲と馴染むことができなかった。

 とにかく悲しかったし、お母さんや飼っていた犬と会いたかった。

 でもそんなことを言うと、周りからは嫌がられた。


「みんないないんだから我慢しなよ、ルイス」


 ちょっと年上の子どもから、そんな風に注意された。

 それはおかしい。みんなが我慢しているんだから、自分も我慢するなんて間違っている。

 だって悲しいものは悲しいじゃないか。それはどうしようもないことだ。だから、僕はずっと自分の殻に引き籠った。

 院長や他の修道院の人たちも、初めは何とかしようと寄り添ってくれたけど、しばらくすると放っておかれるようになった。

 孤児院は問題がある子が多すぎて、僕みたいに大人しい問題児に構っている暇はなかったのだ。


 リチャードは身体が大きくて力が強くて、すぐに暴力を振るった。僕も何度か殴られたことがある。ただ手が先に出るだけで、そこまで悪意は感じられなかった。悪いのはあの手だ。両手が無かったら、きっと良いヤツだと思う。

 その点、オスカーは悪いヤツだった。頭と外見が良かったので、それを利用して孤児院の男の子の中心的な存在になっていた。悪い意味で、だ。

 彼は父親が貴族というだけで、他の人を見下していた。徒党を組んで悪事を働いていて、僕も「根暗デブ」と散々馬鹿にされたし、からかわれることもあった。ただ、基本的には大人に対して反抗するタイプだったので、それほどひどい目にはあわなかった。

 イザベルは女の子たちのグループの頂点に君臨していたが、彼女は孤児たちに一定の秩序をもたらそうとしているように思えた。多少独善的ではあったが、子ども同士の争いやトラブルなどを仲裁し、悪い方には制裁を加えたりしていた。なので、リチャードやオスカーとはよく対立していた。

 エマは建物や木があれば何でも登りだす子で、まるで猫か猿のようだった。

 ホーリーヘイヴン孤児院は歴史ある結構大きな建築物だが、彼女はその屋根の上まで登ることを使命としているかのように何度もチャレンジして、院長たちの神経をすり減らしていた。何故なら落ちたら死ぬような高さまで登るからだ。ただ実際に怪我をしたことはほとんど無くて、最終的には放置されるようになった。

 アリスは文字が書いてあれば何でも読まなきゃ気が済まない子で、しかも一度読んだら忘れないという特技を持っていた。文字に対する執着は偏執的で、院長や修道女の部屋に忍び込むことにも躊躇がなかった。平気で人の手紙まで読むので、院長たちがもっとも警戒しなければならなかったのがアリスだったと思う。


 みんな個性的だったけれども、多分根っこのところは同じで、愛情に飢えていたんだと思う。構って欲しいから極端な行動に走っていたように感じた。

 でも院長は対処はしても特別扱いはしなかった。子供たちをできるだけ平等に扱うように心がけていた。誰かを特別に扱うことに子どもたちは敏感で、そういうことを好まないことを院長はわかっていたからだ。

 孤児院の子どもたちの人間関係は傍から見ると上手くいっているように見えたと思うけど、実際は綱渡りのように絶妙なバランスの上で成り立っていて、院長はそれを見極めるのが上手かった。

 だけど、年が経つにつれて問題児たちの行動はエスカレートしていったので、あの時期は結構大変だったんじゃないかと思う。


 そこにやってきたのがセリーナ様だった。

 公爵家のご令嬢が気まぐれで孤児たちの中から従者を選ぶということで、院長は聞き分けの良い子たちを選抜し、短期間で見栄えのする態度を覚えさせていた。

 ところがセリーナ様はそういったまっとうな子たちを選ばず、リチャードとかオスカーみたいな問題児たちを選んでいった。……僕もその中に含まれていたけど。

 でもセリーナ様は僕を選んだときに言った。


「大丈夫、何も心配いらないわ。わたしはあなたのことを必要としているのだから」


『必要としている』。そんな言葉は孤児院に来てから、一度も聞いたことが無かった。多分、あそこにいるほとんどの子どもが、そんなことは言われたことがなかったんじゃないかと思う。

 でもきっと一番言って欲しかった言葉だ。ここにいていいのか、生きていていいのか、何のために生まれてきたのか、僕らはみんなわからなかった。だって親がいないんだもの。無償の愛なんてものは存在しないんだから、存在する意義を自分たちで探さなきゃいけなかった。

 セリーナ様は存在意義をもっとも必要としている孤児たちを見つけ出して、それを与えてくれたのだ。

 過酷な試練という形ではあったけど。

 貴族風の上品な言葉を使って器用に僕らを罵倒し、体力の限界というか生命の限界に挑むような訓練を課した。

 毎日が辛かった。特に太っていた僕は何度も心が折れかけた。

 それを救ってくれたのがリチャードたちだった。断っておくけど、僕たちは仲良しではなかった。むしろ、孤児院にいたときは、お互いを嫌い合っていたと思う。

 けれど、セリーナ様は自分が悪役になることで、僕たちの心をひとつにし、いつしか絆を深めていったのだ。

 すべては計算されていた。

 リチャードはもちろん、オスカーやイザベルも気付かなかったみたいだけど、僕らは厳しい訓練や勉強を通して、曖昧だった自分というものを持てるようになっていたんだ。

 その極めつけが犬の飼育だった。

 ある日、セリーナ様は僕に命じた。


「6匹の野良犬を、できれば子犬を街から拾ってきなさい」と。


 僕はその命令が何を意味するか、すぐに理解した。セリーナ様は僕らに犬を飼わせるつもりなのだと。それを通じて僕らに責任感を持たせて、一人前の人間に育て上げるつもりだとわかった。

 だから、僕はそれぞれの仲間たちにあった子犬を街から探し出してきた。

 大きな犬はリチャード。見栄えが良い犬はオスカー。可愛い犬はイザベル。賢そうな犬はアリス。元気いっぱいな犬はエマ。そして自分には至って平凡な犬を選んだ。

 リチャードやエマは喜んでくれたが、オスカーとイザベルは嫌がった。

 でも、セリーナ様の命令は絶対だから飼わないわけにはいかない。

 こうして僕らは犬を飼い始めた。

 飼ってみればやっぱり犬は可愛いもので、あんなに嫌がっていたオスカーたちもだんだんと自分の犬を溺愛するようになり、誰の犬が一番可愛いかを言い争うようになった。僕たちがこんな微笑ましいことで言い争う日が来るなんて、想像もできなかったことだ。

 ただ、ひとつ僕が気になったことがある。セリーナ様が最初に犬たちを見るとき、一瞬だけ耐えるような表情を浮かべるのだ。

 僕はすぐに悟った。


──セリーナ様は犬と遊ぶことを我慢している──


 考えてみれば、セリーナ様はいつも強気な態度を崩さず、従者候補である僕たちに一切の弱みを見せることはなかった。それは上に立つ者として当然のことなのだろう。

 でも、セリーナ様だって僕らと同じ年頃の女の子だ。可愛い犬と遊んでみたいと思っているに違いない。何よりセリーナ様は不思議なくらい犬に好かれる人で、飼育し始めた当初はセリーナ様に突進する犬たちを押さえつけるのに必死になっていたくらいだ。

 こんなに犬に好かれる人なんだから、犬のことが大好きなのは当然のことだろう。

 でも、僕のような身分の低い者から「犬と遊んでみてはどうですか?」なんて僭越過ぎて言えるわけが無いし、言ったところで否定されるのは目に見えている。

 どうしたらセリーナ様が思う存分犬と戯れるようになれるのか、僕はずっと考えた。

 すると、素晴らしいチャンスが巡ってきた。

 国王陛下と謁見した時に、陛下のご家族が犬好きであることが判明したのだ。

 これはセリーナ様が犬と遊ぶ良い口実となる。

 そこで屋敷に戻るなり、僕はセリーナ様に進言した。


「セリーナ様、犬が好きな王太子様と婚約なされたからには、毎日犬と接するべきなのではないかと思いますが、如何でしょうか?」


「……何が言いたいの?」


 セリーナ様は努めて平静を装っていたが、その実、強い感情を隠しているように見えた。僕の提案の内容を予期して、心の中で喜んでいたに違いない。


「毎日、我々の犬を相手に1時間ほど遊ぶ時間を設けてみてはどうかと」


「1時間?」


 セリーナ様はぐっと堪えるような顔をした。きっと1時間では短いと思ったのだろう。


「短いでしょうか?」


「いえ! 良い提案です。さすがは我が従者。褒めて差し上げます」


 セリーナ様は慌てて僕の提案を採用してくれた。本当はもっと遊びたいのに、僕たちの手前我慢することにしたのだろう。

 良かった。顔は強張っているけど、本心ではきっとお喜びに違いない。ようやくお役に立つことができた。

 僕は自分のやったことに初めて誇りを持てたような気がした。

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何気ない復讐完了
[良い点] おもしろすぎますぞ!
[良い点] 地獄への道は善意で舗装されている
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