10 従者
孤児たちに犬を飼わせて、3年が経とうとしていた。
リチャード、ルイス、エマ、アリスはすぐに犬と仲良くなったが、ひねくれたところのあるイザベルとオスカーは犬を飼うこと自体に抵抗があったようだ。
しかし、イザベルたちも不器用ながら時間をかけて犬と通じ合えるようになり、今では全員が犬を家族のように思っているようだ。
自らの手で殺さなければならないとも知らずに。実に滑稽なことだ。
わたしはそれだけを心の支えに、今日まで生きてきた。
恐ろしい相手だった。いつの間にか飼い主たちの部屋から抜け出して、わたしの部屋に潜入し、あまつさえベッドの中にまで入り込んだことがあった。朝起きたら6匹の野獣がわたしと一緒に寝ていたのだ。
あのときは心臓が止まるかと思った。
その場で魔法で焼き殺そうとしたが、起きた犬たちに吠えかけられて腰が砕けてしまった。
それをいいことに、野獣たちはわたしの全身を舐めまわし、手足を甘噛みし、尻をくっつけてきたりとやりたい放題だった。
あんな屈辱は生まれて初めてである。あやうくベッドの上で永眠するところだった。
おまけに気付いた飼い主たちが慌てて引き取りにやってきたが、彼らは必死に笑いをこらえていた節があった。威厳も何もあったものではない。
しかし、そんな地獄も今日で終わりだ。愛を育んだ相手を自らの手にかけることによって、彼らはわたしの従者としての最後の階段を上ることになる。
あの地獄の野獣どもが、どんな悲痛な鳴き声をあげて最期を迎えるのか楽しみだ。
わたしは孤児たちに、犬を連れて庭に来るよう命じた。
3年も経つとさすがにちゃんと躾けられており、以前のように犬が勝手にわたしに飛びかかってくるようなことはない。
……気のせいか、犬たちが獲物を狙う目でわたしのことを見ている気もするが。
飼い主である孤児たちは犬と共に呼ばれたことに何かを感じているのか、少し緊張した面持ちである。まったく勘の良い連中だ。「犬を殺せ」と命じられたとき、どんな顔になるのか想像するだけでも頬が緩んでしまう。
わたしは死刑を宣告する裁判官の気分で命令を下そうとしていた。
将来はこの国の王妃になる予定だけれど、きっと裁判官という職業もわたしの天職であったに違いない。何故なら今とても素晴らしい気分だからだ。わたしが裁判官であれば、罪人たちはすべて死刑になることだろう。
満面の笑みで「犬を殺せ」と言おうとしたそのとき、6人の孤児たちと目が合った。
十二の瞳はわたしのことを信じ切っていた。わたしのことを純粋に想う瞳。それは初めてのものではなく、見覚えがあった。あれはたしか……
わたしがわずかに逡巡している間に、屋敷のほうから声がかかった。
「セリーナ様、お父上がお呼びです」
お父様の側仕えの者だ。わたしは内心舌打ちしつつも「すぐに行きます」と答え、孤児たちには各々に訓練をするように伝えて屋敷へ戻った。
──
「セリーナ、国王陛下がおまえと会いたいと仰せだ」
国王がわたしとの面会を希望していることを、お父様はにこやかに告げた。
希望というより命令なので、万難を排してでも行かなくてはならない。しかし、わたしの記憶している限り、前世ではこの時期に国王と謁見したことはなかったはずだ。
「お父様、何故陛下はわたしと会いたいのでしょうか?」
まさか人生をやり直していることに気付かれたのだろうか? 前世で無慈悲に処刑宣告を下した国王は、わたしがエドワード様と婚姻できなかった場合、3番目の抹殺候補となっている。ちなみに1番目はエレノア、2番目はエドワード様である。いっそ城ごと燃やした方が手っ取り早いかもしれない。
「うむ、実はおまえが孤児を従者として教育していることが、城で評判となっていてな。少し前に、修道院の院長が我が家に様子を見に来たことがあっただろう?」
もちろん、覚えている。初老の女院長のことだ。問題児たちがいなくなったおかげでストレスが無くなったのか、さらに一回り横に大きくなっていた。
「はい、記憶しておりますが」
従者候補たちの訓練の成果を見せてやったら、感激してむせび泣いていた。
「おまえには言っていなかったかもしれないが、彼女も貴族の出でな、『公爵令嬢の孤児を教育する手腕は見事だ』と方々で褒めているようなのだ。それが陛下の耳に入って『おまえと会いたい』と仰せになられたというわけだ」
「なるほど。畏まりました」
あまり嬉しいことではない。孤児たちを訓練しているのは復讐のためであり、礼儀作法も教え込ませてはいるが、基本的には戦闘技能を高めている。明らかに従者には不要な力だ。それが露見した場合、言い訳に苦慮するだろう。
「ということは、孤児たちも一緒に?」
「もちろんだ」
面倒なことになった。礼儀作法といっても基本的なものしか教えていない。国王相手の作法など、うちのメイドたちですら知らないのだ。こんなことに無駄な時間は使いたくないのだが……
まあいい。物は考えようだ。後々ターゲットになるかもしれない相手だ。しっかり顔を覚えてもらおう。ついでに城の構造も覚えさせれば役に立つかもしれない。
「それに犬も連れてくるようにとのことだ」
「犬も? 何故ですか、お父様?」
「隠すことは無いだろう。孤児と犬を同時に育て上げたおまえの教育は見事なものだ。あの犬たちはよく躾けられている。おまえも一緒に寝るぐらい可愛がっているではないか。わたしがその話を陛下にしたところ、いたく興味を持たれたようでな、是非犬も一緒に見てみたいとのことだ」
「えっ?」
わたしは愕然とした。目の前が真っ暗になり、今にも膝から崩れ落ちそうになった。
可愛がってなどいない! あれは勝手に侵入されただけだ! 誤解もいいところである。
しかも、国王がわざわざ見るということは、そのお墨付きを得るということだ。間違っても「飼い主たちの精神的な成長のために殺させました」などという理由で処分していいものではなくなる。
それどころか、他の貴族たちの興味の的になり、今後は社交の場にも連れていく必要が出てくるかもしれないのだ。
まさかこれは国王が仕組んだ巧妙な罠だろうか?
犬を殺すことを封じて、孤児たちをわたしの立派な従者にさせないつもりでは?
色々な考えが頭を駆け巡りながらも、わたしは
「はい、わかりました」
と返事をした。
──
庭に戻ると、孤児たちが犬と共に訓練を積んでいた。
障害物に挑んだり、剣の素振りに魔法の詠唱等々、サボりもせずにきちんと鍛錬に励んでいる。よく鍛えられたものだ。犬を殺さなくとも十分な戦力になりそうだと思った。
(もういいかな)
わたしは少し投げやりな気持ちになった。もちろん、復讐を諦めたわけではない。犬を殺させることを諦めただけだ。
わたしが戻ってきたことに気付いた孤児たちはすぐに整列した。各々の前には犬たちがちょこんと座っている。
皆が先ほどのわたしの言葉の続きを待っていた。
「犬を飼い始めて、今日で3年になります」
「サー、イエッサー!」
「そして今日という日で、あなたたちはもはやゴミ虫ではなくなりました。あなたたちはわたしの従者です。あなたたちは兄弟の絆で結ばれました。今から死ぬときまで、あなたたちがどこにいようとも、ここにいる従者たちは兄弟です。あなたたちはわたしと共に困難に直面するかもしれません。ひょっとしたら死ぬ者もいるでしょう。ですが、肝に銘じておきなさい。従者はわたしのために死にます。そのために存在します。しかし、わたしは永遠です! それはすなわち、従者であるあなたたちも、永遠であるということです!」
自分でも何を喋っているかよくわからないが、確かこんな感じのことを最後に話すのだと、例の執事から教えられていた。これが良く効くのだと。
居並ぶ孤児たちの表情を見ると、感情が死んでいるアリス以外は涙を浮かべていた。マジで?




