もじもじ拳の最終試練2:2023.1/7 AM1:40-2:15
夜空が瑠璃色に透けてきた。
夜明けが近い、と汐龍娘は感じた。
もじもじ拳継承者最終試練に、彼女はまだ挑み続けていた。
夜を徹した、Yの姿勢の維持。
緊張の中で臨んだこの試練も、終わりが近づいている。
永遠と思われた夜。熊の襲来と撃退。
いや。あれは恐怖が生み出した幻影のようなものだったのではないか、と汐龍娘は思う。
実際、殺気のような殺気は感じなかった。
姿勢を保ったまま崖の向こうに蹴り飛ばしたが、あの熊は何のうなり声もあげなかった。
恐怖と緊張が作り出した幻影。
それが解釈として正しい。
と、汐龍娘は判断する。
殺気とは、毛の先までみなぎる物。触発し吹き上がるのを待つ、火焔。
そう。今、私が感じているものだ。
何かを吹き飛ばすような、荒い息。土をえぐる蹄。
興奮と恐怖の視線。真っ黒く丸い塊は……猪だった。
大きい。小山のような存在感。
猪は汐龍娘の正面にいる。
何かを決めかねているようだ。Yの姿勢を奇妙に思っているのかもしれない。
ぶほおっ!!!!
と、ひと際激しく鼻息を吐き、それは汐龍娘に突進。
汐龍娘は風を感じた。
瑠璃色の空があり、大気を風が渡り、山桜の枝が揺れて花びらが舞う。
汐龍娘は、何か、言葉にならないものを理解した。
今なら、風に舞う花びらにすら、つま先で乗れるかもしれない。
汐龍娘は姿勢を保ったまま、踵と膝と腰と背の力で跳躍。
踵の1m下の地面、崖の先がべこりとへこんだ。
そのへこみに、猪の前足がかかり、そのまま崩落した土砂に巻き込まれていった。
着地をどうしようか。Yの姿勢を保ったまま、それはできるのか。いや。できる。
確信を抱きかけた汐龍娘の頭は、しかし次の瞬間、真っ白になった。
気が付けばYの姿勢を解き、両腕を伸ばしていた。
その指の先には小さな獣がいた。
ウリボウ。崩落に巻き込まれた猪の子供だろう。
これもまた崖の先に半身と前足をせり出していた。
親を求めているのだと、汐龍娘は理解した。
見捨てることが正しいのか。間違っているのか。
汐龍娘は分からなく、地盤の安定した林まで歩いて、露に濡れた藪に放した後も、しばらく考えていた。
それから、すっかり白くなった空を見上げて、息を吐く。
「少しだけ、寒い」
試練の結果は確定した。小さな命を救うために汐龍娘はYの姿勢を解いたので、彼女は不合格となった。伯大人老師に何と説明するべきか、重い事実を感じながら、汐龍娘は考えあぐねつつ、ふたたびYの姿勢を取った。