04 聖女シャレオ
04 聖女シャレオ
初戦を華々しい勝利で飾った俺たちは、意気揚々と森の中を進む。
かなり森の奥へと入ったせいか人影はなくなり、木々の屋根であたりは薄暗くなってくる。
引き返そうかなと思ったところで、立て看板を見つけた。
『この先 赤き崖 滑りやすく落ちやすいので見習い冒険者は立入禁止』
看板が妙に真新しかったので、たぶん新成人のために立てられたものだろう。
こうして注意してくれているのだから、大人しく……。
と思って踵を返そうとしたら、肩にいたジニーがスタッと飛び降り、振り向いて俺に言った。
「ニャーン!」
「なんだ、この先になにかあるのか?」
「ニャニャーン!」
ジニーは強い意志をしめすかのようにしっぽをピーンと立て、看板の奥に向かってさっさと歩いていく。
しょうがなく後を追いかけると、森が開けて赤茶けた下り坂が現われる。
足元は急にぬかるみ、看板にあったとおり確かに滑りやすい。
傾斜を目で追っていくと途絶えて断崖になっていたので、俺は肝を冷やして叫んだ。
「おい、ジニー! それ以上行くと危ないぞ、戻ってこい!」
しかしジニーは崖っぷちでつるんと滑り、そのまま崖下に吸い込まれていった。
「じ……ジニーっ!?」
冷えた肝が爆発しそうになる。
矢も楯もたまらず走りだそうとしたが、ギリギリで思いとどまった。
「このまま行ったら、ミイラ取りがミイラになっちまう……!」
はやる気持ちを抑え、森に取って返す。
ロープがわりに使えそうな、長くて頑丈そうなツタを木から引っぺがし、幹に結びつける。
それを命綱がわりにして坂を下り、崖へと近づいてみると……。
崖下は岩場になっていて、小柄な少女が横たわっているのが目に入った。
「あれは、俺を助けてくれた天使……!? おい、大丈夫か!?」
崖上から呼びかけても返事はない。
ジニーが耳元で鳴いているが、彼女はピクリとも動いていなかった。
崖はそれほど高くなく、目測で5メートルほどの高さだったが、落ち方によっては命も落とすだろう。
俺は嫌な予感を振り払いつつ、ロープを使って崖下へと降りた。
彼女の元に向かうと、その変わり果てた姿に唖然とする。
つい数時間前までは翼のない天使のようだったのに、いまは見る影もない。
純白のワンピースは引き裂かれ、身体は泥だらけ。
ボロ布と汚泥の隙間から覗く白い肌は、擦り傷やアザにまみれていた。
「大丈夫か、しっかりしろ!?」
抱き起してゆさぶってみたが、返事はない。
ジニーが彼女の顔に前足をついて覗き込むと、頬に肉球のスタンプが付いた。
「そうだ! おいジニー! 彼女を『治癒』してみてくれ!」
「ニャーン」
天使を再び横たわらせると、ジニーは彼女の胸に飛び乗って香箱座りをした。
ジニーが目を細めてゴロゴロと喉を鳴らしはじめると、天使は苦悶の表情を浮かべる。
その様はまるで、安眠を邪魔される主人と飼い猫のようだった。
しかししばらくすると、天使の身体がぽわぽわとした光に包まれる。
白い肌を蹂躙するように付いていたケガの数々が、輝きとともに消えていく。
そして、ついに……!
「う……うう……ん……?」
天使がふたたび目を覚ました。
「やった! 大丈夫か!?」
問いかけると瞳にも光が宿り、戸惑うようにぱちくりしはじめた。
「えっ? わ……わたくしは、いったい……? たしか、崖から落ちて……? あなたが助けてくださったのですか?」
「いや、俺じゃない。倒れているキミを見つけたのはジニーで、助けたのもジニーだ」
「ジニーさん、ですか? いまわたくしは『治癒』の力を感じておりますので、どこかに聖女さんがおられるのですね?」
「ニャーン」
胸の上に猫がいることに気づき、天使はさらに目を丸くする。
「えっ……!? 猫さん……!? 猫さんがどうして治癒を……!? あっ、す……すみません! 助けてくださって、ありがとうございました!」
あおむけに寝たまま、器用に頭を下げる天使。
ジニーは「いいってことよ」みたいに頬ずり返したので、彼女の顔はすぐにほころんだ。
「ふふっ、かわいいです……!」
起き上がると、宝物を扱うようにジニーを抱っこする。
慈愛に満ちあふれたその表情、彼女は泥にまみれていても、やっぱり天使だと思った。
ずっと見ていたいほどのほのぼのとした光景だったが、俺は大事なことを思いだす。
「礼を言うのはこっちのほうだ。キミのおかげで、俺もジニーもこうしてキミとふたたび会えたんだからな。なっ、ジニー」
「ニャーン」
彼女はあらたまった様子で頭を下げる。
「そうだったのですね、本当にありがとうございました。あっ、すみません、申し遅れました。わたくしはシャレオと申します」
彼女はお礼と挨拶で、二度頭を下げていた。
口調も丁寧だが、かなり礼儀正しい子のようだ。
「俺はダサスだ。ところで、なんでこんな所に落ちたんだ? 森のほうには注意書きの看板もあったのに……」
するとシャレオは、悲しそうに目を伏せた。
「殿方に、襲われそうになってしまったのです……」
シャレオは『職業授与の儀式』の会場で、男たちのグループに声を掛けられたらしい。
いっしょに冒険しようと誘われ、冒険者ギルドでクエストを受諾。
クエストの場所はこの森だったのだが、奥まで来たところで男たちは豹変。
シャレオの服を引き裂き、ウサギ狩りでもするように追い立てたそうだ。
無我夢中で逃げるシャレオは看板も目に入らずに、『赤き崖』まで来てしまい……。
「それで落ちたってわけか」
「はい……」
俺はハラワタが煮えくり返っていた。
こんな天使みたいな子を騙して襲うばかりか、助けもせずに置き去りにするなんて……。
ジニーが気づいてくれたからいいものの、そうじゃなかったら死んでたかもしれないんだぞ……!
しかしいまはイライラしてもしょうがない。
とりあえず、ここを出なくちゃな。
「立てるか?」
「はい、ありがとうございます」
シャレオは俺がさしのべた手を取ろうとしていたが、自分の手が汚れていることに気づくと、あわてて引っ込めていた。
「すっ、すみません、先にキレイにさせていただいてもよろしいでしょうか?」
シャレオはそばに落ちていたリュックサックからハンカチを取り出すと、自らの身体を『清拭』しはじめた。
「ふきふき、ふきふき」
彼女がそうつぶやくたびに、身体にこびりついていた泥がウソのように消えていく。
それは洗剤の実演販売を見ているかのような見事な汚れ落ちで、俺は思わず見とれてしまう。
その手が首筋のあたりにさしかかったところで、俺は大変なことに気付いてしまった。
ふくらみのふくよかさと、その下に伸びるキュッとしまったくびれ、足をきちんと揃えて座る太ももの艶めかしさに。
シャレオも気づいたようで、「キャッ!?」と胸を手で覆い縮こまっていた。
いっしょに抱き寄せられたジニーは、胸の谷間で「ニャーン?」と不思議そう。
「す……すみません! こ、こんなはしたない姿をお見せしてしまって……!」
いまにも泣きそうな上目を向けられ、俺はいまさらながらに背を向ける。
この時ほど、ジニーがうらやましいと思ったことはなかった。