1話 勇者は裏切られる
「勇者……いや、ラクレス・ザ・ハーキュリーよ、お前は完璧に過ぎる……」
魔王を討伐したその日の夜。
祝宴の席にて僕は国王にそう告げられると、同時に祝宴会場に響き渡る金属音を聞いた。
足もとをみると、そこには僕が持っていた金色の盃。
当然、盃の中に入っていた酒は血を流すようにゆっくりと大理石の床を広がっていき。やがて、赤いカーペットに触れると……肉を焼くような音を響かせた。
「ごふっ……かっ!?」
その音がきっかけになったのか、それともただの偶然か、僕の体は崩れ落ちる。
全身が焼けるように熱い。
声を上げようと口を開くと、代わりに紫色に濁った血がドブのような匂いを漂わせて流れ出た。
「処刑を開始する」
はじめは何が起こったのか全く分からなかったが、祝宴会に参加した騎士たちは助ける様子もなく、代わりに剣を僕の体に突きつける。
間抜けな話ではあるが、僕はこの時になってようやく盃に毒を盛られ、国王に殺されかけていることに気が付いたのだ。
「……勇者よ」
目の前に現れる金色の王冠をかぶった恰幅の良い初老の男性。
この国の王であり、魔王との戦いを十数年間繰り広げてきた英雄の一人。
獅子王とも太陽王とも呼ばれ、長く魔王の脅威にさらされていた国の希望の象徴となった賢王である。
しかし僕を見下ろすその瞳は、今は冷たい獣のよう。
「魔王討伐は大儀であった。其方には感謝している……してはいるが、やはり死んでもらう」
目じりによった皺は先ほどまでの暖かい笑顔は消え失せており、知性と慈愛の王と呼ばれた男は、狂気と憤怒にかられた表情を僕に向け、口髭を揺らしながら処刑宣告を下す。
「悪く思うな……それもこれも其方が完璧すぎるが故なのだ」
その表情は謝罪の言葉とは裏腹に、下卑た微笑みが浮かんでいる。
「ごふっ……な……なんで」
僕は今日、魔王を倒した。
魔物を操り、世界を支配しようと突如現れた【悠久の魔王】
人間という種の根絶を掲げ、前触れもなく世界に舞い降りたその厄災は、この国の西、ガルニス草原に一夜にして魔王城を築きあげ……世界に魔物を放ち襲撃を開始した。
それから十数年。圧倒的な魔王の力を前に、抵抗を続けてきたこの国、ゼラスティリア王国と周辺五国も、抵抗むなしく破滅の危機にさらされていたが。
五年前、僕は謎の少女の予言に従い勇者となり、そして今日予言の通り世界に平和をもたらした。
だからこそ、全身に走る痛みに耐えながらも、脳裏に浮かぶのは【何故?】という言葉のみである。
王に忠誠を誓い、勇者として、何よりもこの国の民として剣を振るってきたのに、なぜ今僕は殺されかけているのだろう……。
そんな疑問の中王様は僕の体を杖で一度つつくと、淡々と語る。
「言ったはずだ。お前は完璧に過ぎるのだ勇者よ。誰よりも強くあり、誰よりも武勲を立てながら何も望まぬ……儂にはそれが不気味で恐ろしい」
わからない。それのどこがいけなかったのだろうか?
魔王を倒すために誰よりも強くあることの何がいけないのだろう。
ただ平和な世界が来ればいいと、それを望みに戦い続けたことの何がいけなかったのか?
「お前は完璧な勇者だ……だが解せぬ力は災厄でしかないし、御せぬ力は持つ意味がない……故に、葬ることに決めた。魔王をも超えた災厄をこの手でな」
その言葉と同時に……焼けるように熱かった体に、ひんやりした感覚が走る。
感覚の場所に目をやると、そこには四本の剣が突き刺さっていた。
剣を突き立てたのは四人の将軍。
偉大なる大魔導士にして必中の狙撃手ケイロン
元剣闘士にして怪力を誇る国の大楯エルドラド
貴族であり早斬りの達人である至高の騎士リカール
神託を受けた聖騎士にして治癒術師エミリア。
ともに魔王と戦った戦友であるはずなのに、その表情に迷いはなく王と同じ冷ややかな目が兜の下から覗いている。
「なんで……」
僕はもう一度、そんな下らない言葉をつぶやく。
王座になど興味はない。
戦うのだって本当は嫌いだ。
だけど剣を振るい続けたのは本当は……本当は……。
あれ……なんでだっけ?
「じゃあな、ラクレス」
口はもう動かず、弁明も釈明も聞かれることなく、処刑命令が会場に響き渡る。
「……いやだ」
死ぬのは怖くない。
だけど、こんな終わり方は嫌だった。
【―――――!!!】
「なっ!?」
薄れる意識の中、僕はそう祈ると、勇者の剣はそれに呼応するかのように炎を巻き上げ、騎士団員たちを弾き飛ばす。
「!? まだこれだけの力を残してたとは……だが力もかなり衰えたようだ。今のうちに殺せ!」
もはや取り繕うこともせず。狂気をむき出しに国王は僕を殺せとがなり立て、将軍だけではなく騎士団総出で僕を殺そうと迫りくる。
「ぐっ」
朦朧とする意識の中、最後の力を振り絞って立ち上がり走る。
軋むような音が響き、瞳は色を失い灰色の世界が僕を包み込む。
美しかった世界は色を失うととても醜くて、この世界を救った意味があるのかも分からなくて。
それでも僕は炎を巻き上げながら……窓ガラスへと向かって飛んだ。
――――――!!
ガラスが砕ける音が響き、同時に明るかった灰色の世界が真っ暗に染まる。
外は月もなく……焼けるように痛む全身を慰めるかのように、冷たいものが僕を優しくたたく。
夕刻まで雲一つない天気だったというのに。
外はいつの間にか、悲しいほど冷たい雨が降っていた。
◇
「いたか?」
「いや……どこにも見当たらない! 探せ!まだ近くにいるはずだ!」
土砂降りの雨の中、ゆらゆらとランタンの明かりが遠くで白く光り、僕はその光から逃げるように、木々の合間を縫って進む。
そこは始まりの森。
かつて神々が最初に作り上げたとされるこの森は、勇者の剣が眠っていた聖地であり。
予言者の言葉に従い、僕が勇者になった場所……。
どうやら無意識のうちに、僕はこの場所に逃げ込んでいたらしい。
「……あぁ……ここ……か」
勇者の剣が刺さっていた場所……神が宿るとされる巨大なオリーブの大樹。
そのちょうど剣が突き刺さっていた場所に、僕は前のめりに倒れこむ。
勇者の力で毒の回りを抑えていたが、どうやら限界のようだ。
最後の最後で、元あった場所まで剣を返しに来るなんて……自分の律義さにあきれながらも、僕はそっと剣が刺さっていた部分を指でなでる。
【この剣を抜きしもの、魔を払う勇者とならん】
この国に伝わるそんな伝説を信じ、ただの木こりであった僕は剣を抜き勇者となった。
きっかけは、魔物に襲われていた少女を助けたことから。
まだあどけなさの残る、僕と同い年くらいの黒髪の少女。
泣きそうな顔をしているのに、必死に強がりながら、自分は予言者であると名乗った光景はいまだ鮮明に覚えている。
それほど魅力的で忘れられないほど美しい少女だった。
【其方はいずれ魔王を倒し、この世に平穏と調和もたらすだろう……勇者の剣に挑みなさい】
その後お礼の代わりにそんな予言を僕に残して去っていった少女の言葉通り、僕はここへ向かいあっさり勇者になった。
思えばそんな予言を信じて、よくもまあ木こりから勇者になったものだと、今更ながら呆れかえる。
あの子は今何をしているだろうか……平和な世界で笑っていてくれればいいのだが……。
そういえば、名前は何だったか……。
「うっげほっ!げほっ!」
今までよりも大きい咳に、自分の命にあきらめが付くほどの血を僕は吐き出し、最後の力を振り絞って仰向けに姿勢を移す。
いよいよお終いのようだ。
人を信じて、こうして裏切られて……たった一人で死んでいく。
何がいけなかったのかは結局分からず。 何がしたかったのかも思い出せない。
ただ一つの想いが口から自然と零れ落ちる。
「寂しいなぁ」
心からの言葉、胸の内にずぅっと抱えてきたその言葉は、降りしきる雨の音にかき消され……自分の耳にさえもはいってこない。
だけど……。
「相も変わらずお人良しよな……恨み言の一つでも残したとて、誰もお前を笑うまいに」
冷たくなった手を暖かいものがとり……僕はうっすらと目を開ける。
そこにいたのは、天使のような微笑みを見せる黒髪の女性。
あどけなさはもうそこにはない、そのとても美しい女性は……まるで哀れな子供をいつくしむかのように僕の体を抱き起す。
その手はとても暖かくて……その表情はとてもうれしそう。
「一つ……予言をしてやろう勇者」
その声は聞き覚えのある……始まりの予言。
冷たい雨はもはや僕を叩くことはなく……暖かいものが全身を包み込む。
「其方はもう、ずぅっと一人ではない……一人になどしてやるものか……」
もう、耳などとうに聞こえてないけど……けれどもその予言は、僕の中にゆっくりと染みわたるように響く。
……きれいになったね。
声に出せたかは分からなかったが……。
彼女はやっぱり泣きそうな顔で、強がるように笑って見せた。
あぁ、思い出した……彼女はセラス……。
僕を勇者にしてくれた人だ。