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翔んだディスコード  作者: 左門正利
第七章 はばたく若者たち
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出発

 昨年のこの時期に早弥香が立っていた駅のプラットホームに、今度は萌美が立っている。


 萌美は、これから世界大会の会場となるスペインへ向かうところである。

 萌美のとなりには、めかしこんだ彼女の母親がいる。萌美にピアノを教えてきた前川も、彼女たちに同行する。


 スペインに出発する彼女たちを、ルミや世梨香、そして山坂教頭までもが見送りに来ていた。

 残念ながら留学中の早弥香の姿はないが、今回は正也もみんなに混じっている。ルミに無理やりつれてこられたのだ。


 前日、ルミに怒った顔で怒鳴られた。


「去年、ひとりでこっそり早弥香先輩の見送りに行ったの、知ってるんだからねっ」


 正也は怪訝に思う。


 ──なんで知ってるんだよ


 それは、早弥香がルミに直接話したからである。


 正也は、みんなが激励の言葉を萌美に送るのを、ぬぼーっとした顔で見ている。ひたすら傍観している兄に、ルミが眉をよせながら催促する。


「ほら、お兄ちゃんも、仲田先輩になにかいったら?」

「別にいうことなんかないよ」


 ドライな正也の返事にムッとなったルミは、正也のむこうずねを思いきり蹴りあげた。


「ぐおおっ」


 思わずしゃがみこむ正也に、ルミが吠える。


「もうっ、ぶん殴るよ、お兄ちゃん!」


 ルミは本気で怒っている。その様子を見ていた世梨香は腹をかかえて大笑いし、まわりの人たちも笑いの渦に巻き込まれた。

 萌美だけが、なにが起きたのかと真っ青な顔になり、ハラハラしている。


 観念した正也は顔を上げた。


 ──しかたないなあ


 ゆっくりと立ち上がると、萌美の方へ顔を向けて口をひらいた。


「まえにもいったと思うが、おまえは自分の感性を信じろ」


 昨年のコンクール地区予選の際、伝言としてルミに託した言葉である。萌美にとって、忘れることのできない大切な言葉だ。


「他の演奏者のことは気にしなくていい。おまえは自分の感性を信じれば、それで十分だ」


 萌美の胸が、キュンとうずく。正也のアドバイスは、正也本人にすればいうまでもないことだろうが、萌美にとってはどれほど励みになることか。

 自分がもっとも尊敬する人から送られる言葉に、あふれんばかりの自信がみなぎってくる。


 正也が、さらに自分の考えを付け加える。


「それでダメなら、審査員の連中が馬鹿なのだ」


 ルミが大きくうなずいた。


 そこまでいってくれる正也に、萌美は自分の想いを再確認する。


 ──わたしは、やっぱりこの人が好き


 発車時刻がせまり、萌美たち三人は電車にのり込む。萌美は、車内から見送りに来てくれたみんなを見た。自分は、本当にコンクールの世界大会へ挑んで行くという実感がわいてくる。


 早弥香のあとに続く、日本を代表する演奏者として、それに恥じない演奏を成し遂げなければならない。


 ──わたしは、自分の感性を信じる


 やがて発車のベルが鳴り、萌美たちをのせた電車が徐々に進む。感動しやすい性格の山坂教頭は、すでに涙を流している。

 萌美の優勝を願うみんなをあとに、萌美は実力者が集うスペインへ翔び立って行くのだった。



 萌美たちの見送りを済ませたみんなは、駅を出ると各自バラバラに別れて歩を進める。

 正也とルミは、二人いっしょになって帰途につく。


 不意に、ルミが正也を見上げる。


「仲田先輩、優勝できるよね?」

「わかりきったことを訊くなよ」


 相変わらず、素っ気ない返事が返ってくる。


 正也は、萌美が己の感性を信じて演奏に挑むならば、彼女の優勝は動かないだろうと思っている。


 ──なかなか、おもしろいことになりそうだ


 萌美を過小評価した審査員たち、その評価を鵜呑みにした観客どもが、彼女が創りあげる世界に引きずり込まれたときにどうなるか。

 正也の興味は、萌美が優勝することよりもそっちの方にある。




 自宅に帰り着き、自分の部屋に入った正也は、いつものようにベッドに身体をあずける。

 ステレオのリモコンを手にとり、スイッチを入れる。ステレオから、バッハの『ブランデンブルグ協奏曲』が流れてくる。


 ふと、萌美の顔が浮かんでくる。


 ──明るくなったなあ、あいつ


 正也は、萌美にはじめて会ったときのことを思い出す。そのときの彼女は顔色が悪く、表情に陰りがあり、かわいい顔をしているのにもったいないと思ったものだ。


 いまの彼女とは雲泥の差がある。正也に出会って以来、萌美は心から音楽を楽しんでいるのだろう。


 ──おまえが創る曲の世界を、みんなに知らしめるといい


 ブランデンブルグ協奏曲第4番で、リコーダーが明るい音色を奏でている。それが正也の無言のエールをのせて、世界大会に向かう萌美のもとに運んで行くようだった。




最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


恋愛要素はうすいのですが、青春物語として楽しんでもらえれば、作者として嬉しく思います。


読者の皆様に感謝です。





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