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翔んだディスコード  作者: 左門正利
第一章 才能を秘める天才
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崩れゆく理想

 数日後、閃葉高校では午前中の授業が終わり、昼休みになる。


 正也は教室でクラスメートたちと談笑していた。すると、教室の外にいた男子が正也を呼び出す。


「おーい、弓友」


 ぬぼーっとした顔が、声のする方へふり向いた。自分を呼んだ男子が、ニヤニヤしている。正也は、悪い予感が頭をよぎる。

 その男子が、言葉を続ける。


「おまえに用事があるっていう子が、来てるぞ」


 悪い予感が当たりそうな気がした。


 ──用事?


 正也は誰だろうと思いながら、教室の扉に向かって足を進める。

 扉から外をのぞくと、見知らぬ女子生徒がそこに立っていた。下級生のようで、ちょっと細身の妙に陰りのある女の子だ。


 彼女は恥ずかしそうに下を向いている。正也は廊下に出ると、彼女の背後を指差した。


「あっちで話そう」


 そういって、廊下の突き当たりに向かって歩き出す。会ったばかりの女子生徒が、黙ったまま正也について行く。


 ──いったい、俺になんの用があるんだろう


 正也はいぶかしく思いながら廊下の突き当たりまでくると、さらに上にのぼる階段へ足をのせる。

 だが、屋上までは行かない。なぜなら、昼休みになると他の生徒たちも屋上へ上がってくるからだ。


 近年、屋上に通じるドアに鍵がかかっていない学校は、めずらしいといえるかもしれない。ともあれ、階段をのぼる正也たちは、踊り場で足を止める。


 そこで正也が口をひらいた。


「君は誰だい?」


 正也より二十センチほど背の低い女子生徒は、先輩男子を見上げながら答えた。


「わたし、二年の仲田萌美といいます」


 正也がさらに訊いてくる。


「俺に、なんの用だ」

「あの、わたし、先輩のピアノが聴きたくて、それで」

「俺は、ピアノは弾かない。それじゃあな」


 正也はそういうと、さっさと階段を下りようとする。

 萌美は焦った。


「待ってくださいっ」


 彼女はあわてて正也の右手をつかみ、ひき止める。


「なんだよ」

「あの、わたし、来月の終わりにピアノのコンクールがあるんですっ」


 萌美の顔が、必死な面もちになる。


「いま、スランプに陥ってて、なかなか抜け出せなくて……」

「俺には関係ないよ。じゃあな」


 正也は、ふたたび自分の教室へ帰ろうとする。

 萌美は再度、彼の右手にしがみつく。


「待ってください!」


 萌美は正也を教室に帰らせまいと、正也の腕をつかんで離さない。


 ──しつこいなあ


 正也は、うんざりしてくる。ぬぼーっとした彼の顔から、そういう感情を読みとるのは困難だ。

 だが、たとえ正也の感情がわかったところで、萌美も簡単にあきらめるわけにはいかない。自分の調子をとりもどせる突破口を、やっと見つけた思いなのだ。


「先輩、お願いです。先輩のピアノを聴かせてくださいっ」

「俺がピアノを弾くって、誰にきいたんだよ」

「先輩の妹の、ルミちゃんに」


 正也は、ため息をついた。


 ──ルミか。困ったやつだ


 正也はそう思いつつ、どうにかして萌美をふり切ることを考える。


 正也は萌美に問いかけた。


「おまえ、ルミからきいてないのか」

「なにをですか?」

「俺は、ピアノがきらいなんだよ」

「え?」

「それは嘘じゃない」


 思いもよらぬ正也の言葉に、萌美は絶句する。呆然となっている萌美に、正也は理由を話す。


「俺は、ピアノのえらそうな音が大きらいなんだ」


 ピアノを弾く萌美には、とても信じられない言葉だ。


 ──そんな……えらそうな音って……


 萌美には理解できない。ルミの演奏を聴いて、萌美のなかで描いていた正也のイメージが、現実の正也を前にしてボロボロに崩れてゆく。


 正也は、冷ややかに萌美を突きはなす。


「もう、俺にかかわるな」

「で、でも」

「しつこい女は、きらわれるぞ」


 正也の最後のひと言に、萌美はなにもいえなくなり、動けなくなってしまう。

 話に片をつけた正也は、すぐさま階段を下りて行く。萌美は、そんな正也を黙って見送るしかなかった。

 しばらくして、萌美も涙を流しながら、自分の教室に帰って行くのだった。


 正也が教室に入ると、あっという間に正也のまわりに男子が集まってくる。彼らはニタニタしながら、正也に次々に問いかける。


「弓友、おまえ、あの子となにを話してたんだ?」

「告白されたのか?」


 正也はどうにかして話題を変えたいと思うのだが、それは叶わなかった。クラスの男子に、とんでもないことを先に話される。


「おい、弓友と話してたあの子、泣いてたぞ」

「本当かよ!」

「おまえ、あの子をふったのか?」

「ふったのか?」


 まさか自分を中心に、こんな話で盛り上がるとは夢にも思っていなかった。


 ──かなわんなあ


 だが、どうにもならない正也だった。



 この日の授業がすべて終わると、正也はどこへもよらずに真っ直ぐ自宅へ足を向ける。帰宅して自分の部屋に入ると、服を着替えてベッドに仰向けに寝そべった。


「きょうは、うんざりしたな」


 正也は部屋の天井を見ながら、萌美のことを思い出す。

 萌美は、ショートボブの髪型が似合うかわいい顔立ちをしている。しかし、彼女自身の表情の暗さが、それを台無しにしているようだった。


 もったいないと正也は思った。


「あの子、泣いてたのか……」


 ちょっとだけ、気になった。


 ──しかし、あの子がコンクールのためにピアノを弾いているのなら


 正也は思う。


 ──俺の演奏を聴いたところで、得るものはなにもないだろう


 音楽における根本的な考え方が、自分と萌美ではちがうことを正也は感じている。


 ──それ以前に、俺はピアノなんか大きらいだからな


 正也が萌美にいったことは、嘘ではない。正也は本当にピアノがきらいなのだ。


「腹へったな」


 正也は思考を切り替える。そして、今日のことを頭の片隅に強引に押しこみ、忘れようとするのだった。




 萌美の頼みを正也がことわってから、二日が過ぎた。萌美は、ますます暗くなって落ちこんでいた。

 学校の帰りに、気分転換に本屋に行ってみようと萌美は思った。それで自宅には帰らず、よく行く本屋の方へ足を向ける。


 そして、通りの手前にある角を曲がったときだった。

 小柄な女の子が、三人の男子に囲まれている。女の子が着ているセーラー服は、どう見ても自分の学校の制服だ。

 あのツインテールの髪型は見覚えがある。


「ルミちゃん?」


 男子たち三人は、それほど身体は大きくない。他校の生徒のようだが、どこの学校かはわからない。

 彼らの一人が、ルミに話しかけながら手をつかもうとする。


「俺たちといっしょに遊ぼうよ」

「イヤっ」


 ルミが、名前も知らない男子の手をふりほどく。それを見た萌美は、ツカツカと彼らの方へ歩みよって行くと、男どもを一喝するのだった。


「やめなさいっ」

「あ、先輩!」


 萌美を見たルミは、ガシッと萌美に抱きついた。そのとき、男子たちの目の色が変わる。萌美を鋭い目でにらみながら、脅すような言葉をぶつけてくる。


「なんだよ、おまえは」

「俺たちは、その子に用があるんだよ」

「関係ないヤツは、ひっこんでろっ」


 萌美の顔が、恐怖で青くなる。蛇ににらまれたカエルというのは、いまの自分のことをいうのだろうと萌美は思った。


 ──こ、怖い……


 萌美は、この場から逃げ出したくて、たまらない。しかし、ルミをこのまま放っておくわけにはいかない。

 覚悟を決めた萌美は胸いっぱいに空気を吸い込むと、ありったけの大声で、目の前にいる彼らを怒鳴りつけた。


「あんたたち、どこの学校よ!」


 この大声に、三人の男子たちは度肝を抜かれた。予期せぬ萌美の大声に、たじろぐ野郎ども。

 まわりの人たちも、何事かとこっちを見ている。


 萌美は、さらに怒鳴る。


「いってみなさいよっ」


 だが彼らの方も、こんなことで負けていられない。


「この……!」


 なにかいいかけた男子が、急に口をつぐんだ。


「お、おい、もう行こうぜ」

「ああ、そ、そうだな」


 なぜだかわからないが、彼ら三人は、そそくさと萌美とルミから離れて行くのだった。

 萌美は、迷惑な男たちが去って行くのを静かに見とどけたあと、ルミに声をかける。


「もう大丈夫よ」


 危機を脱した萌美は、そういってルミを介抱する。

 男子との間でこんなに怖い思いをしたのは、はじめてだった。顔が青ざめている。まだ心臓がドキドキしている。


 そんな萌美の背後から、誰かの言葉が響いた。


「わかった」


 不意打ちのような声にビクッと驚いた萌美は、ふり向きながら思わずルミを強く抱きしめる。

 萌美の胸に顔を押しつけられたルミが、「んぶっ」と声をもらした。


 彼女たちの背後にいたのは、なんと正也だった。

 正也の両隣に、正也より背の高い二人の男子がいっしょにいる。たぶん、彼らは正也の友だちだろうと萌美は思った。


 あの他校の男子たちが、すごすごと去って行ったのは、自分の後ろに正也たちがあらわれたからだと萌美は悟った。

 正也たちより身体の小さい他校の彼らにしてみれば、正也たちの体格は、それだけで十分に威圧的なのだろう。正也の親友たちは、二人とも身長一八〇センチに達する身長である。


 それはそうと、萌美は混乱している。


 ──さっき、正也先輩が「わかった」っていったのは、どういう意味だろう?


 萌美が頭を悩ませるまでもなく、正也が萌美に向かって口をひらいた。


「ピアノ、弾いてやるよ」


 正也の言葉に、萌美は目を白黒させる。


「ルミを助けてくれたからな。明日の放課後、音楽室で待ってろよ」

「あ……え? うお……」


 萌美は、頭が真っ白になったまま話そうとするので、上手く話せない。

 彼女の様子を見ていた正也の親友の一人が、ガッチリとした身体を弾ませるようにして笑いながら、萌美に話しかける。


「わははは、まあ、落ち着けよ」


 真っ青だった萌美の顔が、恥ずかしさで真っ赤に変わってゆく。


 やがて、正也たちはルミを連れて帰って行った。本当は、正也たちも本屋に向かっていたと思う萌美だか、やはりルミが心配なのだろう。

 帰り際、正也が萌美の方をわずかにふり返る。萌美に横顔を見せた正也は、ボソッと彼女に告げた。


「今日は、ありがとうな」


 萌美の胸が、キュンとうずく。


「い、いえ」


 どぎまぎしながら答えた萌美は、助けられたのは自分の方だと思っている。


 その夜、萌美はなかなか寝つけなかった。


「正也先輩、明日はどんな曲を聴かせてくれるんだろう?」


 わくわくして眠れない。さらに、もうひとつ。正也が帰り際に、萌美にかけた言葉。


──今日は、ありがとうな


 あのシーンが、何度も胸に浮かんでくる。正也の言葉は、さして感謝の想いが込められた響きではなかったが、萌美には彼の優しさが伝わってくるようだった。



 ところ変わって、正也の方は自宅に帰るなり、いつものようにベッドに仰向けに寝そべっている。


「ピアノか。あの音、イヤなんだよなあ」


 萌美にピアノを弾いてやると約束したものの、やる気がしない。


「明日、授業が終われば、そのまま帰るか」


 半分本気で、音楽室によらずに帰ることを考えている。正也は細かいことを気にする性格ではないが、その分、いいかげんなところがあるのだ。


「しかし、ルミを助けてくれたからなあ。あー、鬱陶しい」


 正也がごちゃごちゃと考えていると、いきなり目の前に、ルミの顔がアップであらわれる。


「うわっ」


 不意をつかれて驚いた正也は、後ずさりしながら身体を起こす。


「いたのかよっ」

「ドア、ノックしたよ?」


 全然、気づかなかった。考えこむことが少ない正也にしては、めずらしいことだ。


 ルミが兄にたずねる。


「お兄ちゃん、明日はどんな曲を弾くの?」

「まだ決めてない」

「教えてよう」

「まだ決めてないっていったろ」

「ケチーッ」


 ムッとした正也は、いつものパターンを開始する。正也の左手が、ルミの頭に回る。そして、右手のゲンコツで、ルミの頭をグリグリする。

 ルミが幼いころから味わっている、正也の頭グリグリ攻撃だ。

 攻撃を受けているルミの方は、たまらない。


「いたたた、お兄ちゃん、痛いっ」


 やっとのことで正也の腕から逃れたルミは、叫び声で反撃に出る。


「お兄ちゃんの、バカーッ!」


 反撃を終えたルミは、さっさと自分の部屋にひき返して行った。


「うるさいヤツだ」


 ひとりになった正也は、ベッドの上で明日演奏する曲のことを考える。


「……ま、明日考えればいいか」


 実に適当な性格である。この夜、萌美がなかなか寝つけないのに対して、朝までぐっすりと熟睡した正也だった。




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