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翔んだディスコード  作者: 左門正利
第六章 パーティー
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 呆然と立ちつくしている早弥香の近くで、須藤は冷静な眼差しを正也に向けている。


 ──もう、あの子には、なにがあっても驚かない


 そう思う須藤である。


 グロスのあとに続いて正也が紹介されると、彼らはバイオリンを構える。

 演奏する曲は、バッハの『二つのバイオリンのための協奏曲』である。


 先ほどまで賑やかだった会場が、瞬く間に物音ひとつしない空間と化す。

 バイオリンの音色を待ち焦がれるような、そんな静けさが漂う空間に、ヴィヴァーチェの旋律が流れはじめる。


 かたや世界のトップアーティストであり、もう一方は普通科の学校に通う高校生という奇妙なペアが、信じられないほどの一体感で観客たちを魅了する。

 それはまるで、何年も師弟関係を続けているかのような演奏であり、彼らは二つのバイオリンでみごとな対話を繰り広げている。


 目を白黒させている須藤は、さすがに驚嘆せずにはいられない。 


 ──こ、これほど息の合う演奏が、即興でできるものなのか?


 信じろという方が無理かもしれない。もちろん、グロスが正也に合わせている部分はあるだろう。だが、それは決して演奏のレベルを落としているわけではないのだ。

 正也の演奏は、とても学生の及ぶところではない。まさに、彼の父親『孤高のサムライ』を彷彿とさせ、現役時代の正人がよみがえったかのようだ。


 グロスは十年以上前に、正人と二人でこの曲の録音に取り組んでいる。

 そのディスクは歴史にのこるといわれるほどの傑作であり、グロスは当時を思い出しながら、正也を相手にバイオリンで対話を交わしている。


 バッハの時代から存在した年代物のバイオリンにガット弦を張り、当時に使われていたバロック・ボウで奏でる音色は、明るく感じる。

 いま、二人のヴィルトゥオーソはおたがいに笑みを浮かべながら、バロック時代の音色を呼び起こし、音楽の対話を楽しんでいるのだった。



 ──サヤカのトモダチは、バイオリニストだったのか


 正也の演奏を見ているセレナは、そう思った。バイオリンを顎ではさまずに弾くのは、セレナが見たこともない演奏のスタイルだ。


 バイオリンのことはあまりくわしくは知らないセレナだが、正也はバイオリニストとして一流の資質を備えていることを肌で感じる。

 音楽を表現する者として非常に大切なものが、正也の演奏から伝わってくるのだ。今回のコンクールには出場していなかったらしいが、その実力はコンクールの優勝者など足下にも及ばないだろう。


 ──これが、サヤカのトモダチ……


 セレナは、不意に早弥香の方へ目を移す。


 ──サヤカ?


 早弥香を見たセレナは、なにか変な感じがした。

 正也のことを「トモダチ」といった早弥香は、まるで正也の演奏をはじめて聴くかのように驚いた顔をしているのだ。



 ──弓友くん、すごい!


 早弥香は、ただただ呆然となって正也をじっと見つめている。

 早弥香もセレナと同じくバイオリンのことはよくわからないが、世界でも超一流のバイオリニストをまえにして堂々とわたり合うみごとな演奏に、早弥香は「すごい」という言葉しか思い浮かばない。


 ふと、学園の文化祭から帰った日に、妹の世梨香がいったことを思い出す。


「弓友先輩、バイオリンも弾くんだって」


 あのときは、まさかプロと共演できるほどの腕前だとは思っていなかった。 


 正也とグロスの演奏はあくまで自然体であり、年齢のちがいなどまったく気にならない。二人が奏でる音色は絶妙に絡み合い、会場のみんなを魅了し続ける。


 二人のヴィルトゥオーソがつくる曲の世界が、みんなをバッハの時代へトリップさせる。全然しらない時代なのに、当時の空気に触れるような感覚をみんなが味わう。 


 ──これが、超一流のプロのなせる技というものなのだろうか……


 会場にいる誰もが、そう思う。 


 完璧というほどに息の合った演奏は最後まで乱れることなく、やがて二人の音楽の対話は、静かに終わりを迎える。


 バッハは鍵盤楽器だけでなく、バイオリンやチェロなど弦楽器の曲においても、素晴らしい作品を世にのこしている。

 特に『無伴奏~』と題された作品は、一流の名手たちが、こぞって録音にはげんでいる。


 正也の求めるものは、楽器にこだわることなくバロック時代の音楽をひたすら追求することなのだと、早弥香はここで改めて理解する思いだった。



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