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翔んだディスコード  作者: 左門正利
第五章 正也の秘密
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条万学園文化祭

 夏休みも終わり、学生たちにとっては忙しくなる二学期が、彼らを迎える。


 夏の暑さを引きずるような気温は、なかなか衰えを見せない。

 ようやく涼しさを感じてきた九月半ばを過ぎた土曜日、秋晴れの空の下を、数人の若者が条万学園をめざして歩いていた。


 萌美と世梨香、そして弓友兄妹のあわせて四人が、同じ方向に足を向けて進んでいる。

 この日は、条万学園で文化祭が催されるのだ。


 三人の女の子が、楽しそうにお喋りをしながら歩く。その後ろで、正也はぬぼーっとした顔で、ひとりブツブツと考えていた。


 ──なんで、俺まで……


 最初は、彼女たちだけで文化祭に行く予定だった。ところが、早弥香が自分の部屋で世梨香と話していたときに、なんとなくつぶやいた言葉が正也を連れてくることになる。


「弓友くん、文化祭に来るかな?」


 姉がいったこのひと言が、世梨香を動かした。天敵世梨香の手にかかった正也は、どうしようもなかった。


 結局、正也も文化祭に行くことになり、それを知った早弥香は胸が高鳴る。

 また、正也に憧れる萌美も喜び、文化祭の日を心待ちにしていた。


 正也たち四人が条万学園に到着したのは、昼過ぎだった。

 見覚えのある制服を着た女子生徒二人が、校門に立っている。緑色のブレザーを着た彼女たちは、来校者にパンフレットを手渡していた。


 正也たちも一部ずつ、それを手にする。最初のページをめくると学校案内が記されている。


 条万学園は、音楽学校としては全国的に有名であるが、歴史としてはわりと新しい学校であった。

 条万学園は、正也の通う閃葉高校とだいたい同じ時期に開校した学校である。


 ピアノ科の他に、バイオリン科や声楽科などがあり、少数精鋭の教育を施している。

 そのことを世梨香から聞いている正也は、人数が少ないので小さな学校だろうと思っていた。ところが、予想に反して大きい校舎だったことに、驚かされた。


 学園の校舎とは別に、私立条万高校普通科の校舎が敷地内に建ち、校門も別にある。

 普通科と音楽科との交流は、このような文化祭や体育祭の行事以外は、ほとんどない。


 普通科の制服は、同じ緑色をしたブレザータイプの制服で、音楽科の制服にくらべると色合いがやや淡い。


 ふと、正也は世梨香に顔を向け、たったいま思い浮かんだ疑問を投げた。


「おまえは、なんでこっちの普通科を受験しなかったんだ?」


 学科がちがうとはいえ、姉の早弥香がこの学園へ通っているのである。当然のように思う正也の疑問に、世梨香はあっけらかんとした顔で答える。


「ここの普通科、けっこう偏差値が高いんですよ」


 なるほど……と、正也はうなずいた。


 条万高校普通科は、県内上位に食い込もうとがんばっている進学校である。進学校にしては、妙に中途半端なレベルに位置づけられるため、その存在は完全に音楽科の陰に隠れている。


 ともあれ、みんなは早弥香に会いに行こうと歩を進めるのだった。



 校舎の外で、ドリンク喫茶の模擬店をひらいているのは、ピアノ科の生徒たちだ。

 早弥香は、メイドを彷彿とさせるウエイトレスの姿をしていた。


 どんな服を着ても、やはりマッシュの頭が目立つ。彼女は、みんなが来てくれたことに笑顔を見せて喜んだ。


 とりあえず萌美たち四人は、白くて丸いテーブルを囲み、飲み物を注文する。

 世梨香が、姉にいつ休憩に入るのかを訊き、そのときにもう一度、みんなでここへ来ることに決めるのだった。


 おのおの、自分が注文したジュースを飲み終わったが、世梨香のエネルギーが切れかけているらしい。


「お腹、へったな」


 彼らは、まだ昼食をとっていない。ルミの「なにか食べますか?」というひと言で、みんなは焼きそばの模擬店を見つけると、すぐさま立ちよることにした。

 そこでは、バイオリン科の男子が調理に熱中していた。


 正也が目をみはった。


 ──こ、これは


 必死で調理している彼の動きは、ヴィヴァルディが作曲したバイオリン協奏曲『四季』のリズムと合致する。

 春、夏、秋、冬とある曲のうち、彼の手は、冬の曲第一楽章に合わせてリズミカルに動いている。


 ──音楽科の生徒は、こういうときでも努力を怠らないのか!


 正也はそう思い、感服する。本当は、焼きそばを作る彼は、ただ無心に手を動かしているだけだったりする。


 一生懸命、調理にはげんでいる彼の動きが、バイオリン協奏曲「四季・冬」のリズムを終えると同時に、正也の前にできたての焼きそばを差し出した。

 食べてみると、思いのほか美味しかった。


 焼きそばを食べた後、四人はパンフレットを見ながら、音楽科と普通科の校舎を往来する。

 正也は、さんざん萌美たちにふりまわされ、帰りたくなったところで、早弥香の休憩時間がおとずれる。


「疲れたぞ、おい」


 そんな正也の手を、ルミがひきずるように引っぱってゆく。


 ふたたび、みんなで校舎の外にあるテーブルを囲む。今度は制服に着替えた早弥香もまじえて、お喋りがはじまる。


 おのおのジュースを注文し、早弥香の全国大会優勝の話で盛り上がる。

 口火を切ったのは、なんと正也だった。


「遅くなったけど、優勝おめでとう」


 予想もしなかった正也の言葉に、早弥香は「ありがとう」と答えながら、みるみる顔を赤くする。


「俺は見てないけど、楽勝だったんじゃないの?」

「い、いえ、そんなこと」


 謙遜する早弥香だが、そこに妹の世梨香が躍り出るように割り込んでくる。


「もう、余裕ですよ。楽勝でしたよ、弓友先輩!」


 早弥香の全国大会出場に、家族ぐるみで応援に出かけていた世梨香は、姉の優勝が自分のことのように嬉しい。

 世梨香は目を輝かせながら、大会の様子を語るのだった。


 今年の大会は、全体的には、いまひとつといった感じだったようだ。それゆえ、早弥香の演奏が飛び抜けて目立ったらしい。


 ただし、早弥香が演奏した曲は、地区大会の決勝で優勝を決めたベートーベンの月光ではない。

 そんなことにはたいして興味のない正也は、ぬぼーっとした顔で、彼女たちの話をきくともなくきいている。


 早弥香の声は、以前に学校の教頭室の電話で話したときとは、別人のように明るい。まあ、元気になって良かったと正也は思う。

 やっぱり、女の子は笑顔の方がかわいい。その早弥香が、微笑みながら語る。


「もし、世界大会で決勝にのこれたら、月光を演奏するわ」


 早弥香の言葉が正也の耳にはいったとき、正也はひそかに確信する。


 ──それなら、君が優勝するね


 ガールズトークが終着駅を見失ったように走り続けるなかで、不意にきき覚えのある声が響いた。


「あら、あなたたち」


 誰かと思って目を向けると、そこに立っていたのは、ピアノ科の教師である須藤だった。須藤は笑みを浮かべながら、正也たちに近よってくる。


 それを見て「こんにちは」とあいさつする正也たち。ルミの声が、ひときわ大きい。


 正也たちにいろいろと話したいことがある須藤だが、なにかと忙しい身である彼女は、そんなにのんびりはできない。

 みんなに「楽しんでいってね」といった須藤は、校舎の入口に向かって歩きはじめた。


 しばらく歩いたところで、柳井という女性教師が須藤を呼び止める。アラサーと呼ばれることに違和感がない年齢を残念に思う彼女は、須藤と同じくピアノ科の教師である。


「須藤先生」

「あら、柳井先生」

「先ほど先生が声をかけていた、あの子たちは?」

「ああ、弓友くんね。このまえ話した、皆崎さんを助けてくれたのが、あの子なんです」


 須藤にしてみれば、正也は救世主といって良い。彼女は喜びをたたえた顔でそういうと、校内の職員室に足を向ける。


 ひとりのこされた柳井は、正也たちの方を見ながら唖然とする。


 ──あの子には、兄がいたのか?


 柳井が見ていたのは正也ではなく、妹のルミであった。



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