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翔んだディスコード  作者: 左門正利
第五章 正也の秘密
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正也の両親

 一方、条万学園では、須藤が朝から職員室で仕事にはげんでいた。


 須藤は、てきぱきと仕事をこなしながら、ひとつひとつ片付けてゆく。昼食後も、ひとり仕事に追われる須藤だが、どうにか一段落すると早弥香の全国大会優勝までの経緯を思い出す。


「一時は、再起不能になるかもしれないと心配したけど、よくのり越えてくれたわ」


 椅子に座ってくつろいでいると、職員室に久川教頭が入ってくる。彼は、やわらかな笑顔で須藤に言葉をかけた。


「須藤先生、仕事の方は順調に進んでいますか?」

「はい、いま一段落したところです」


 須藤の返事を聞いた彼は、穏やかな笑みをそのままに首をゆっくりと縦にふる。須藤も自然に笑みがこぼれる。しばらくの間、早弥香の全国大会優勝の話に花が咲いた。


 そして、話題が正也のことに移る。とても静かで温厚な雰囲気をたたえる久川教頭だが、そんな彼が何気なくいった言葉に、須藤は驚かされる。


「閃葉高校の弓友くんは、彼の父親によく似てますねえ」


 久川教頭は、正也の父親を知っていた。須藤は驚きのあまり、目を白黒させる。


「きょ、教頭先生は、あの子の父親を知っているのですか?」

「はい。須藤先生は、ご存知ありませんか?」

「………」


 須藤は、ふたたび記憶の海に潜る。どうにかして正也の父親を見つけ出し、彼をひき上げたいのだが、須藤にはどうしても正也の父親を見つけることができない。


 正也の顔は、確かに誰かの面影を映している。しかし、須藤の記憶のなかには「弓友」という名のピアニストは存在しないのだ。


 少しうつむきながら自分の記憶をさまよっている彼女に、久川教頭が告げる。


「弓友くんの父親は」


 須藤は顔を上げ、教頭の声に集中する。


「若いころ『孤高のサムライ』と呼ばれた、天才バイオリニストです」

「!」


 思いもよらぬ事実に、須藤は唖然となった。


 ──バ、バイオリニスト?


 まったく考えもしなかった。久川教頭がさらに言葉を続ける。


「彼はいま、音楽教授として国外で活躍しているそうですねえ」


 ひたすら、ピアノから記憶をたどろうとしていた須藤には、なかなか思い出せないわけである。


 正也の父親である弓友正人は、音楽における素晴らしい才能と、独自の感性を備えていた。

 彼は、若き天才バイオリニストとして、瞬く間にその名を世界にとどろかす。正人の演奏は、彼の音楽に対する豊かな感性が、正人の確かな技術により観客たちに余すところなく伝えられた。


 他の演奏者たちにくらべて、ひときわ強烈な個性を感じさせる彼の演奏は、曲を聴く人々の心に、強い印象を与え続けた。

 いつしか正人は、東洋から出現した「孤高のサムライ」と呼ばれ、観客たちの人気を博していったのである。


 あるとき、正人はバロック時代の演奏を研究しようとするのだが、思いのほか熱心になり、やがて正人は教授の地位を獲得するに至る。

 そして現在、正人はイタリアに在住し、音楽院で学生たちを教える立場にあるのだった。


 須藤は、現役バイオリニストだった正人の若かりしときの姿を、徐々に思い出してくる。

 彼女は、実際に正人と会ったことはないが、テレビで正人の演奏を数回にわたり見たことがある。また、クラシックの音楽雑誌で、正人の写真を何度か目にしている。


 ピアノを弾く正也の顔は、確かに父親である正人の面影があった。


 ──あの子の父親は、あの人だったのか


 引っかかっていた謎が解け、しばし感慨にふける須藤だが、久川教頭の話はまだ終わってはいなかった。

 落ち着いた口調で語られる彼の話に、須藤は一度ならず、ニ度も衝撃を受ける。


「弓友くんの演奏は、やはり母親の影響を受けていますねえ」


 須藤のなかで、時間が止まる。


 ──母親……あの子の母親?


 つまり、正人と結婚した女性である。須藤は、またもや己の記憶をさかのぼる。

 彼女がその人物にたどり着くのに、たいして時間はかからなかった。


 当時の音楽雑誌に掲載されていた写真が、探そうとしている人物が誰であるかを、須藤に教えてくれたのだ。正人と結婚した彼女は、彼とのツーショットの写真のなかで、幸せそうに微笑んでいた。


「わかった」


 須藤は、思わず大きな声をあげる。


月灘小百合(つきなださゆり)!」


 須藤の声に、久川教頭がうなずいた。


「そうです。当時『月姫』と呼ばれた、あの人です」


 正也の母親もまた、プロとして世界で活躍していた演奏者であった。

 小百合は、その名字に照らし合わせ「月姫」と呼ばれていたが、彼女が主に演奏する楽器は、オルガンであった。


 また、小百合は特異な才能を有していた。彼女はオルガンだけでなく、鍵盤楽器であれば、なんでも弾きこなせるという特技を備えていた。

 小百合の指は、いかなる鍵盤楽器においても、まるで生命を吹き込んだかのように楽器の性能を余すことなく発揮させる。

 そうした小百合の演奏は、やはり世界で高い評価を受けていた。


 須藤は以前、小百合のピアノによる演奏を、音楽ホールで直に聴いたことがある。須藤は、小百合が創りあげる素晴らしい曲の世界に、大きく感動したものだ。


「すごい。こんな演奏は、たぶん彼女以外には、できない」


 これまでにない感動を須藤に与えた小百合の演奏は、確かに正也と通ずるものがあった。

 正也の演奏の陰には、小百合の存在があったのだ。


 その小百合と弓友正人が結婚するというニュースは、業界の一大センセーションといえるほどの大ニュースだった。

 小百合は、結婚すると間もなく引退したため、プロとして活動した期間は、それほど長くはない。


 ──あの子の両親が、あの二人だとすると……息子である彼は、ただの天才ではない


 正也は、二人の天才の遺伝子を受け継ぐ、サラブレッドである。

 萌美と同じことを、須藤は思うのだった。


 また、天才には天才の育て方があるのだろう。正也の演奏は、音楽学校で学び、培ってきた生徒たちの演奏にくらべると、まったくの別物といえる。


 彼ほどの天才にとって音楽学校での教育は、己の才能をのばすのに、逆に邪魔になる部分があるのかもしれない。


 ──だからあの子は、音楽学校ではなく普通科の閃葉高校に進学を?


 正也には、いったいどのような音楽教育を施されているのか全然わからないが、そうとしか考えられない。


 正也の謎が解明してゆくなか、須藤は須藤でやるべきことがある。


 ──とにかくわたしは、皆崎さんが万全な状態で、世界大会に挑めるようにしなければ


 十月に行われるコンクールの世界大会が、彼女たちを待ちかまえている。


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