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翔んだディスコード  作者: 左門正利
第三章 闇に沈む天才
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来客たち

 正也にとっては、心の底から待ち遠しくなかった月曜日がやってくる。


 すべての授業が終わって放課後を迎えた閃葉高校では、正也がひとり、三階の廊下の窓から外の校門付近を見ている。


 そんな正也に、クラスメートの男子が声をかける。


「弓友、帰らないのか?」

「ああ、ちょっと用事があるんだ」


 早弥香が来るのを待っているのである。


 ほどなくして、二台のタクシーが校門をくぐり、校舎の敷地内に入ってきた。


「あれか?」


 たぶん、そうだと思う正也だが、タクシーが二台も来たのが気になる。


 車が校舎の近くに止まると、車内から他校の制服を着た女の子が降りてくる。緑色のブレザーの制服が、正也の目に鮮やかに映る。

 あのマッシュの頭はやはり目立つようで、彼女が早弥香であることが、正也にはすぐにわかった。


 そしてもう一人、ふくよかな体格をした中年の女性が車外に出てくる。栗色のひし形の髪形に、細いメガネが特徴的だ。

 紺色のスーツをビシッと着こんだその姿は、自分にも他人にも、とても厳しい性格のように見える。


 条万学園ピアノ科の教師、須藤である。


 ──来たか


 正也がそう思ったときだった。突然、正也の横から女の子の声が響いた。


「あ、お姉ちゃんだ」


 正也はビクッとして、声のする方をふり向いた。知らない間に、自分のとなりに世梨香がいる。


「なんでおまえが、こんな所にいるんだよ」


 正也の問いかけを、世梨香は無視する。窓の外からタクシーを見ていた世梨香が「ん?」と、つぶやいた。

 正也がつられたように、タクシーの方に目を向ける。


 早弥香たちが乗っていた車とは別の車から、人が降りてくる。

 その車から姿を見せたのは、白髪をオールバックにしてメガネをかけた、細身の紳士だ。グレーのスーツが恰好よく決まっている彼は、条万学園の久川教頭である。


 彼に続いて、早弥香と同じ制服を着ている三人の女の子たちが、ぞろぞろと出てくる。


 ──おい……


 正也は「ちょっと待て」と、いいたくなった。早弥香と、彼女の付き添いであろう女性教師が来るのはわかる。

 だが、もう一人の教師と思われる紳士と、他に三人もの女子生徒が同伴することは、まったくきいていないのだ。


 ──ご大層なことだ


 正也は彼らから目を離し、職員室に足を向ける。あまりのんびりしていると、校内放送で名前を呼ばれかねない。

 そうなるまえに、さっさと職員室へ行こうとする正也のあとを、なぜか世梨香がついてくる。


「なんでついてくる?」


 正也の問いに、世梨香が答える。


「お姉ちゃんに会いに」


 正也は、世梨香のことは気にしないようにしようと思い、職員室に向かって歩いて行くのだった。



 職員室に到着した正也は、ドアを開ける。正也の目の前に山坂教頭がいて、そのとなりにどういうわけか萌美がいる。


 ──なぜ、仲田が?


 そう思った正也は、萌美に声をかけた。


「仲田、まさかおまえも」


 山坂教頭が、萌美に代わって説明する。


「ああ、仲田さんはね」


 条万学園ピアノ科の生徒と教師が来るということで、わが校もピアノを弾ける生徒を同行させようと考えたようだ。


 それなら、コンクールで準優勝した萌美がもっとも適任だということで、急遽呼び出されたのだ。いわば、親善大使のようなものである。

 なにか、事がどんどん大きくなっていく気がする正也である。


 正也が職員室で呆然としていると、音楽教師の五十嵐が、条万学園の一行を連れてくる。

 山坂教頭の指示により、みんなは職員室のとなりにある教頭室に入ると、そこでおのおの自己紹介を交わすことになった。


 条万学園の女子生徒は、早弥香以外は下級生である。

 二年生が二人に、一年生が一人。才能ある有望な生徒を、須藤が連れてきたのだ。


 正也が心の中で、ため息をついた。


 ──ご苦労なことだねえ


 そう思う正也を、条万学園のみんなは唖然とした目で見ているのだった。


 ──ぬ、ぬぼーっとしてる!


 条万学園の女子生徒たちは、一様に驚いている。


 彼女たちが正也に会うまえに抱いていたイメージと、実際に彼女たちが目にする正也は、あまりにもかけ離れているのだ。

 なにせ、あの厳しい須藤が、学園の授業を犠牲にしてまで自分たちを連れてくるほどである。


 早弥香は、正也のことをかなりの実力者だと予想していた。しかし、現実の正也を見た彼女は頭の中が真っ白になり、すべての思考が抜け落ちる。


 教師の須藤は、驚いたどころではない。彼女は、いままでに感じたことのない大きな不安が顔に出るのを、隠すことができない。


 須藤は、正也と電話で話したときに思った。彼は、大人の事情をも知り尽くしているような、そんな鋭い知性を有していると。

 しかし、いま須藤の前に立つ正也からは、そういうものがまるっきり感じられない。

 全体的に締まりがなく、頭も良くなさそうで、授業中は先生の話をまったくきいてなさそうな印象をうける。


 ピアノとは全然かかわりがないといいきれるぐらいに、須藤の目に映る正也は、なかなかピアノと結びつかない。


 条万学園の宝といえる教え子の早弥香は、まだ名前さえ知らなかった正也の幻影に、どれほど苦しめられたことか。

 未だ復活の兆しが見えない彼女は、もはや再起することが非常に困難な状態に陥っている。


 早弥香を奈落の底に叩き落とした幻影の正体が、いま、確かにここに存在しているのだが……。


 ──ほ、本当に、この子なのか?


 須藤には信じられない。


 ──大丈夫だろうか?


 あまりのショックに、めまいがしそうになる。


 だが、正也の横に立つ萌美の存在が、須藤の抱く不安をそれ以上ふくらませることなく、やわらげているのだった。


 世梨香が自己紹介したときだった。すかさず、正也の言葉があとを追う。


「部外者は、もう家に……」


 いい終わらないうちに、世梨香は早弥香に抱きついて、部外者ではないことを見せつける。


「わたしのお姉ちゃんだもん」


 萌美が、まさかと思いながら世梨香にたずねた。


「皆崎さんて、もしかして本当に」

「姉妹よ」


 彼女たち二人が、声をそろえて答えた。


 ──に、似てない!


 誰もがそう思うと同時に、びっくりする。


 みんなの驚く様子は、この姉妹には見慣れているようだ。そんななかで正也だけが、この姉妹を冷めた目で見ているのだった。


 全員の自己紹介が終わると、山坂教頭がひと声かける。


「では、参りますか。五十嵐先生、音楽室までの案内をお願いします」


 五十嵐は「はい」と返事をしたあと、緊張した面持ちで教頭室のドアを開ける。

 彼女はみんなの先頭に立って、音楽室に向かって歩を進める。


 最後尾を歩くのは、山坂と久川の二人の教頭であり、正也がその前を歩いている。

 すると、世梨香が正也の横にきて話しかけてきた。


「先輩、わたしたち姉妹、全然似てないでしょ」


正也は真面目な声で答えた。


「いや、そっくりだ」


 正也の言葉に、世梨香は唖然となる。世梨香は目を見開き、はしゃぐように声をあげた。


「本当ですか、先輩っ。わたしたち、似てるっていわれたこと、めったにないんですよ!」

「いや、本当にそっくりだ」


 どこがそっくりなのか、心で想っていることまでは、口には出さない正也だった。


 ──執念深いところが、な……


 ふと、正也は妙な気配を背中に感じた。すかさず足を止めてふり向くと、教頭先生たちの後ろに、いつの間にかルミがいる。


「ルミ、なにしてんだよ。おまえは帰れっ」

「やだっ。ルミも行くう!」


 ルミがダダをこねる。条万学園のみんなは、正也の妹であるルミの出現に、呆然となった。


 ──彼には、妹がいたのか?


 すごく小柄で、ツインテールのかわいい女の子だ。見た目に、正也とつりあわない。


 世梨香はルミの存在を知っているが、姉の早弥香には関係ないだろうと思い、早弥香には教えていない。


 山坂教頭が正也とルミの間に入り、二人をなだめる。


「まあまあ、無理に帰さなくても良いでしょう」


 そして、ルミに告げるのだった。


「君も来なさい」


 ルミは「はいっ」と笑顔で返事をして、一行の列に加わるのだった。

 ルミが加わり、総勢十二人が音楽室へ向かう。


 正也は心の中でため息をついた。


 ──なんで、こんな大人数になるんだよ


 五十嵐が案内人として先頭を歩き、その後ろを早弥香と世梨香の姉妹が、二人ならんで歩く。

 歩く姿がまったく同じである。二人とも、背筋がシャキッとのびている。

 右手を後ろにふるとき、外側に払うようにして歩く。

 また、腰のふり方がいっしょなのは、彼女たちの足の運びが同じだからだろう。


 ──本当に、姉妹なんだ


 二人の歩く姿を見たときに、この二人は本当の姉妹なのだと、みんなははじめて理解するのである。


 世梨香がもう一度、正也のとなりにやってくる。

 そして、正也に問いかけた。


「先輩、いまどんな気分ですか?」

「家に帰りたい」


 正也の返答を耳にした女子生徒たちは、ぷっと吹き出す。

 世梨香が声をあげて笑った。


「あははは! 先輩、いまの冗談、とってもおもしろいですっ」


 正也は無言で訴える。


 ──いや、冗談じゃないんだが


 正也が本心を口に出したとは、誰も思っていなかった。


 やがて、一行は音楽室の前にたどり着く。




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