battle4 コーヒー牛乳vsフルーツ牛乳(中編)
「あー、ひどい目にあった……」
「ブルさん、大丈夫か?」
緑野の呼びかけに軽く手を上げて返し、俺たちは大浴場の扉を開ける。
「あいたたた。紫藤のやつ、2回も風呂桶をぶつけやがって……」
「貴様は自業自得だろう」
『あおいちゃんも、キミたんもだいじょうぶ~?』
ぼやく俺たちに、女風呂から真白が声をかけてくる。心配かけて悪いな。
「おお、そうか! この壁を隔てた向こうに、真っ裸の黒田がいやがるんだったな!」
『キミたんのエッチぃ~』
「黄村、ブルさんの体が持たないから余計な事を言うな」
そんな、頻繁に鼻血を出してたまるかよ。
ギュッと俺は鼻をつまみながら黄村たちの会話をスルーし、壁に描かれた鮮やかな富士山の絵を見る。
レトロな銭湯ならではの見事な眺め。なので。
「んだとお! 浴場で欲情して何が悪りい!」
「またベタな事を……」
令和の世に昭和のギャグが飛び出すのも、いたし方無い事だと俺は思う。
さて、身体を洗うか。
「おっしゃあっ、緑野ぉ! 人間ボーリングで勝負を付けるぞ!」
「「ボーリング?」」
黄村はそう言いながら、浴場のタイルの床に黄色いプラスチックの桶を積み上げる。
そして、自分の胸や腹にセッケンをなすり付けると、ヘッドスライディングで風呂桶の山に突っ込んだ。
スパカーンッ! ドゴオッ!
「………………っ、どうだあ! これぞ人間ボーリング! 身体を洗いながら対決もできる、一石二鳥の……って、うおい!」
洗い場ですでに身体を流し始めている緑野に、大きくツッコむ黄村。勢い余って壁に激突してたくせに元気な奴だなあ。
「そんな他人迷惑な事をボクがする訳がないだろう」
おお。あくまで冷静な緑野。周りにはおっちゃん達もいるし、妥当な対応だな。
「よぉーし、分かった。じゃあ、見せ合いっこで勝負でえ!」
「「はあ?」」
「ルールは簡単、チ◯コがデケえ方が勝ち」
本当に簡単だな。
「レディ……、ゴウッ!」
「ゴウと言われたところで、そんな低俗な勝負にボクが乗ると思うか?」
「何だてめえ、オレッちに負けるのが怖ええってのか?」
「ふはははは! ならば見せてやろう。華麗なるボクの一物を!」
乗るのかよ。
「「レディセット、ハットハット!」」
掛け声とともに、両者は腰に巻いたタオルを取り払う。
「どうだあ! 太さにかけてオレっちの右に出る者はいねえ!」
「否、長さこそ至高! さらに言えば美しさならボクが上だろう」
「なんだと! じゃあ、豪快さならオレッちの方だ!」
「豪快さとはなんだ? そんなあやふやな定義で勝ったと思うな」
「てめえもチ◯コに美しさとか求めてんじゃねえ! じゃあ、ブルに判定……を?」
「望むところ……だ?」
2人の視線が、なぜか俺の股間に釘付けになる。
すると、緑野はガクッと地面に膝を折り。
「ここまで、敗北というものを覚えたのは生まれて初めてだ……」
「何の?」
黄村は俺の肩をポンポンと叩いて、親指を立てながら。
「黒田には大変だとは思うが、とにかく頑張れと伝えとくぜ!」
「何のことだ?」
良く分からんが、この対決はドローみたいだな。
ようやく洗い場で身体をワシワシ洗う俺たち3人。
すると、女風呂からのんびりとした悲鳴が響く。
『うや~、あおいちゃん助けて~』
「どうした、真白!」
『家にシャンプーとリンスを忘れちゃった~』
「なんだ、そんな事かよ」
「ん? 備え付けのシャンプーを使えばいいのではないか?」
「いや、あいつはお気に入りのシャンプーじゃないと、髪がまとまらないんだ」
真白のお団子が決まらないのは困るからな。
俺は持参したシャンプーのボトルを、女風呂へ壁越しに投げ込む。
「おい!? ブル、お前何やってんだ!」
「何って、俺のシャンプーを貸してやってるだけだが」
パシッと真白がボトルをキャッチする音が聞こえる。
『あおいちゃん、返すよ~』
壁を越えて返って来たボトルを、俺は片手で受け止める。
タイミングを見計らって、次はリンスのボトルを同じ様にやり取りした。
「ブルさんと黒田さんは同じシャンプーを使っているのか?」
「ああ。リンスもトリートメントまでしてくれるタイプだ。それがどうかしたか?」
『おそろいだよ~』
「夫婦じゃねえか」
「壁の向こうで見えないのに、良くお互いの位置が分かるな」
「え? そんなもん気配で分かるだろ」
『オーラで分かるよ~』
「キング・オブ・夫婦じゃねえか」
大浴場にいるおっちゃんたちからも、生ぬるーい雰囲気が漂っているような気がする。
さすが銭湯、みんなリラックスしているようだな。
カッポーン……。
ガラガラッと扉を開けて、脱衣場に戻ってきた俺たち。
結局、サウナ暑さがまん対決やら、冷水がまん勝負とやらでゆっくりは出来なかったが、さっぱりはしたな。
さっきは気づかなかったが、脱衣場には額縁に保管されている昔なつかし『近鉄バファローズ』のユニフォームや、大石大二郎のサイン入りバット、その他グッズ類が盛大に飾ってありレトロな雰囲気に拍車をかける。
そういや、委員長の親父さんはバファローズファンだったっけ。
俺はひとまずボクサーパンツを履いて、ガラス張りの冷蔵庫からフルーツ牛乳を取り出す。
「おばちゃん、1本もらうよ」
「誰がおばちゃんよ」
そういや、今日の番台は委員長だった。
「黄村くん、ちゃんと足は洗った?」
番台から委員長の声が飛ぶ。
「あったり前田のクラッカーだろうが! 余計なお世話だ!」
「黄村くんは昔から足がくさいんだから、ちゃんと洗わなきゃダメよ。靴をキレイにすれば少しはマシになるのに」
「うっせえ、てめえは俺の嫁かよ! このド貧乳!」
ヒュンッ! カポーン!
そして、番台から洗面器も飛ぶ。
そりゃあ、委員長も顔を真っ赤にさせて怒るってもんだ。ほんと懲りないやつだなあ。
黄村はトランクス派で、緑野は高級そうな黒ブリーフを履いてんな。
あとは、えーっと、何か忘れてるような……。
ゴクゴクゴク。
「ブルさん、フルーツ牛乳を飲んでいるな」
「ん? ああ、風呂上がりにはだいたいコレだな。無い時はさっぱり系のオレンジジュースとか、オロナミン◯とか」
「もらったっ!」
なんだ?
「見ろ、黄村! ブルさんはフルーツ牛乳を手にしているぞ!」
「何だとっ!?」
そういやそんな対決もしてたっけな。俺は緑野の腕を上げる。
「緑野、ウイン!」
「良しっ!」
「何でじゃー!」
「あー、コーヒー牛乳も好きだけど、風呂上がりと限定されればこっちだな。さっぱりしたものが欲しいし、銭湯ならではの特別感があるしな」
「ぐぬっ……!」
「これで、トータル3勝1敗。ボクの方が一歩抜きん出た格好だな」
「んだとお! 今までのは最終的に引き分けで手を打ってきただろうが!」
「それは、黒田さんの仲裁ありきで、判定結果で言えばボクの勝利だ」
「このおっ!」
『キミたんもハヤとんも、ケンカしないで~』
壁の向こうから真白の声が聞こえる。あいつも風呂から上がってきたみたいだな。
「ブル、頼む! こんなぬるっとした負け方じゃ納得いかねえ、せめてプレゼントだけでもさせてくれ!」
「委員長は風呂上がりに何を飲むんだ?」
「私? 普通の牛乳よ」
「人の話を聞けーっ!」
悪い悪い。じゃあ、どうぞどうぞ。
「コーヒー牛乳は歴史は古く、牛乳を扱う守山乳業とコーヒー業者が協力して、大正12年に商品化されたのがそもそもの始まりだ。最初は駅で販売されたそうだが、飛ぶように売れたらしいぞ」
『ゆかりん、コーヒー牛乳とフルーツ牛乳もらってい~い? あとコップを貸して~』
『いいけど、黒田さんあなた2本も飲むの?』
「そして昭和18年、コーヒーが眠気覚ましになるっつう事で、日本軍の軍需品に採用された事がコーヒー牛乳の地位を不動のものとしたとも言われているな」
『えっ!? コーヒー牛乳とフルーツ牛乳を混ぜるの? それって美味しいの……?』
黄村の話がちっとも入って来ないな。
「コーヒー牛乳が銭湯に置かれ始めたのが昭和30年代、銭湯がもっとも普及した時代だな。当時コーヒーが贅沢品だったらしいから、安く飲めるコーヒー牛乳はありがたがられてたそうだぜ」
『え? 甘くて酸っぱいけど、あんまりおいしくないって? それはそうよ』
あいつら、何やってんだ?
「実際に『風呂上がりに飲むのはコーヒー牛乳かフルーツ牛乳か?』でアンケートを取ったところ、コーヒー牛乳に6割強の票が入ったそうだ。これを見てもいかに日本人の魂にコーヒー牛乳が染み渡ってる事が分かるな? 以上、オレっちの論説は終わりでいっ!」
話半分だが、まあコーヒー牛乳の歴史は分かった。コーヒー牛乳らしくなかなか濃厚なプレゼンだったな。
「緑野からも何かあるか?」
「そうだな……。フルーツ牛乳の明確な発祥は分かってはいないが、大阪のミックスジュースが原点という説があるな」
『えっ、また1本ずつ欲しいの? 今度は3:1の割合にしてみるって? まあ、売り上げに貢献してもらえるのはありがたいけど……』
「ボクが知るなかで一番早く販売されたのが、明治のフルーツ牛乳で1958年(昭和33年)発売。コーヒー牛乳に比べると後発になるが、それでも60年以上の歴史を誇っているな」
『コーヒー3:フルーツ1だと、コーヒー牛乳が強くてフルーツ感がほとんど無いですって? それはそうかもね』
真白の実験が気になって、緑野の話も全然頭に入らないな。
『え? フルーツ3:コーヒー1だと、もどしたような味がするの? それはひどいわねえ』
本当に何をやってるんだ?
「温泉をテーマにした映画『テルマエ・ロマエ』でフルーツ牛乳が登場したことから、昨今は銭湯にフルーツ牛乳というイメージが爆発的に定着しつつある。もちろん、甘酸っぱい味わいも大きな魅力の一つだ。これにてボクのプレゼンは終わり。ご清聴ありがとう!」
なるほど、フルーツ牛乳らしく爽やかな終わり方だったな。
『えっ? また1本ずつ欲しいの? やっぱり、コーヒー牛乳とフルーツ牛乳は混ぜないで普通に飲んだ方がおいしいですって? お腹壊すわよ?』
真白のやつ、何やってんだか。
「ブル! こんだけコーヒー牛乳の話を聞きゃあ、心変わりしたんじゃねえのか?」
「はっ、その程度でブルさんの心とフルーツ牛乳の覇権はグラつくまいて」
「何言ってやがる! コーヒー牛乳が主流派だと言うことを忘れたか!」
「あ、ちょっと待ってくれ」
なんか委員長が焦ってんな。どうした?
『ええっ!? フルーツ牛乳が販売終了になるんですって!? それはどこからの情報!?』
………………。
………………。
………………。
「「「何だとーーーっ!?」」」