木の芽と筍
木の芽和えと煮もの。
両方美味かったので。
木の芽とは料理の場合、山椒の若芽を指す。
小葉の集まったかたまりが一枚の葉である。これが親指の腹ほどのサイズが好ましい。
とはいえ、多少大きくても小さくても構わない。大きすぎるものは硬く香りが立ちにくいが。
庭に出て、ちょいと摘んでくる。軽く水洗いし料理に用いる。
柚子の木と併せて、庭の隅に欲しいものだ。
実際、我が家のご近所では多く両方植わっている。
柚子味噌と山椒味噌が、こっそり人気の土産にランクインしているらしい。
この時期、タケノコが手に入る。
米ぬかで煮てあくを抜いたら、さてどうするか。
根本側の硬いところは鰹出汁で煮よう。
我が家ではよくワラビと鶏肉と一緒に煮てあった。
砂糖と醤油で、少し甘みを強め、けれど薄口に仕上げる。
今回手元に何もなく、とりあえずタケノコだけで炊いてみた。鶏の煮汁が残っていたのでこれを加えた。
出来上がりは、文句なし。タケノコからしっかり味が出る。むしろ鶏肉は不要かもしれない。
翌日ワラビを一掴みほど採って、あく抜きしてから一口大に切り、タケノコに合流させた。
食べ慣れた味だからか、一層旨かった。
さてタケノコの先端側だが。
勿論炊いてもいいのだが、目の前に木の芽がある。じゃあ木の芽和えにするしかなかろう。
まずは山椒味噌を作ろう。
すり鉢に山椒の若芽を入れる。少し大きくなったものは、軸を除き小葉だけ。山椒の葉はケチってはならない。しっかりたっぷり、これを半ペーストにすり潰す。ここに味噌、砂糖、酢を加えてさらにすり混ぜる。
この山椒味噌は、キュウリなど野菜スティックに合うが、温かい米の飯に載せると反則級の美味さだ。
これに、堅ゆで卵の黄身を混ぜ、薄切りにした先端付近のタケノコを和えるのだ。何なら白身も薄切りにして混ぜるのもよい。
タケノコ本体の内、使えるのはそう多くない。味わって食べよう。
タケノコと言えば。
この季節になると、タケノコの好きな某僧侶を思い出す。
ずいぶん昔になるが。ある年、丁度大型連休ごろに胃を悪くして入院した老僧侶が、タケノコだの山菜だのそういうものが好物で、食べたい食べたいと日々言っていた。
ああいうものは消化に悪いので、胃を悪くした原因ではなかろうかと思われ、入院中には食べさせてもらえなかったそうだ。
まず、それらが食べられる丈夫な歯であったことに痛く感銘を受けた。
以来、内々では『筍の僧正』と愛称で呼んで彼の(主に胃の)健康を願ったものである。
筍やゴボウなどを捕虜の米兵に馳走して、戦後日本兵が捕虜虐待の罪に問われた。
今では外国からの旅行者が珍しいものと喜んでいる。
価値観なんてそんなものかもしれない。