002
「ふぁぁわぁ……おはよう……」
「眠たそうだねぇ〜」
玄関のドアを開けたすぐ先、道路の方からひらひらと手を振っているのは、もう見慣れた光景。
「おはよう花。相変わらず朝に強いんだね」
「そんな事ないよ〜起きた時は眠たいもん」
特別行きたいわけでもない学校へ行くのは何のためか。
単純に勉学に興味があるから、仲のいい友達がいるからか、卒業するための出席日数のためか。
僕は将来のため。
特にこれといって取り柄のない僕だが、どうやらこの壁の中では、中の上くらいの評価がされているようなのだ。
だったらここのシステムを上手く使わない手はない。
定期テストも平均点くらいの点数があれば、誰に何を言われるまでもなくすんなりと上がって行ける。
「そういえば展覧会の絵は何を題材にするか決めたの?」
「うん。空を題材にするよ。ビルや他の高い建物のせいで隠れつつあるからこそ、広いはずの空を描くんだ」
「へぇ〜! いいね! 叶くんっぽくていいと思う!」
というのは表向きの理由で、本当の理由は違う。
今僕達から見えている空は、なんというか人工的過ぎる……気がする。
造られた街、造られた平和、そして……造られた人生。
今の社会は全てシステムによって回っている。
ナンバー処理システム(Number Processing System)通称NPSによって全てが管理される、超高度情報化社会。
僕達はプライベートナンバーと呼ばれる、個人を特定するためのカード、ナンバーカードを持っている。
昔はマイナンバーカードなんてものもあったが、そんなものとは全くの別物だ。
今の社会じゃあ、何をするのにもナンバーカードがひつようで、カードの中のICチップは、GPS信号を発するような特殊な仕様になっていて、どこにいるかすら管理されている。
本来自由なはずのあの青い空も、全てが人工的なことが何か引っかかった。
だから僕は本来の空を描きたい。
空を見ることはある。
だけど僕はまだ本当の空は見たことがない……と思う。
それは気のせいなのかもしれない。
僕の痛い妄想なのかもしれない。
それでも僕は空を描きたい。見たい。
「あ、おはよう翔夜くん!」
「ん? あぁ、おはよう二人とも」
「おはよー」
翔夜に特にこれといった変わりはない。
いつもの翔夜のように見える。
「今日何の授業だっけ?」
「歴史が最初だったよ〜確か」
◇◆◇◆
見えている空は偽物だ。
そういえばいつからそんなことを考えるようになったんだっけな。
「……じゃあ次はナンバーズ制度が出来るまでの過程を勉強をしていくぞ〜教科書ファイル開けー」
教科書ですら今では電子化された。
紙の教科書を使ったのは小学校の時だけで、それ以降は携帯端末で教科書もノートも、テストですら行われる。
「まずこの制度が正式に政府によって導入されたのは、つい二十年前の話……ってのは多分親御さんから聞いているだろうけどな。まぁどこまで何を聞いたかは分からんが、この制度によって生活のレベルが格段に上がったのは間違いないぞ」
高度情報化社会の中で全てがデータとして処理され、何が本物で、何が偽物かの線引きは曖昧になってきた。
「制度の進歩とともに上がってきたセキュリティ技術によって、俺達の防犯対策は完璧と言っていいほどに整えられたな。路地裏の狭い道に至るまで設置された監視カメラ、皆が"神の眼"って呼んでるやつも治安を維持する上で大きな役割を担っているぞ」
VR、ARに続いて研究者達が注目し、利用したMRという技術。
複合現実(Mixed Reality)の略語で、どちらかと言えばARに近いと思ってしまっていい。
現実と仮想現実がミックスされた世界のことで、この世界ではどこまでがリアルな現実で、どこからが仮想現実なのか分からなくなるまで交差する。
それがMR。
「次のページのグラフを見れば分かるけど、過去十年間で犯罪件数が三桁に至ったことは、ただ一度もない。捕まると分かってて犯罪をするやつなんて、相当困った奴か、相当なアホだけだろうな。まぁ最も、そんな異分子がナンバーズな訳がないんだけどな」
ナンバーズ制度で生き残ったナンバーズ達と、制度の闇に掻き消されたユースレス達。
互いに絡み合うことこそないものの、互いにその存在は認識している……はず。
少なくとも僕達……政府は認めてはいないが、ナンバーズの大半は制度を維持するために犠牲になった人達の存在のことを、決して忘れてはいない。
実質的な"死者"としての彼らを、僕達はユースレスと呼ぶ。
罪を問われたナンバーズの中には、強制的に壁の向こう側に送られた、剥奪された者と呼ばれる者達もいる。
そこで授業終了の鐘が鳴る。
この音は昔から変わらない。
「よーし今日はここまでなー」
ふと空を見上げる。
あの空は本物なのだろうか。






