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第6話 2月5日 Chekhov's gun

「ちょ、ちょっ、ちょっと待ってくださいよ。同居だなんて、いきなり言われても……」


 おれは自身の狼狽を隠しもせず、あわてて大声を張り上げた。


「だいたい、身辺警護だなんて大げさな。誰がおれに危害を加えると言うんですか。そんなことまさか……」


「いえ、その可能性もあります」

 

 ソフィアは急にまじめな表情になって答えた。


「マルクス・レーニン主義を脅かそうとする危険な反革命勢力たち――ファシスト、帝国主義者、トロツキストなどの反動が、あなたの身に危害を加えないとも限りませんから」


と、硬質な声で彼女はしゃべる。先ほどまでの微笑はもはやなく、今その青い瞳に浮かぶのはかすかな緊張の光だった。


「そんな馬鹿な……」


「密書の重要性を鑑みるに、その可能性も捨て切れません」


 そう言うと、彼女は視線をおれの顔からずらし、こたつの上にある封筒をじっと見つめた。


「この密書だけでなく、あなたの身を守ることも私の任務の一部なのです……」


 封筒の表面に右手の人差し指を伸ばし、そっと触れながら、うつむいたまま声を出すソフィア。


「守るって……。そうだ、そう、はっきり言って、あなたのような普通の女性――華奢(きゃしゃ)な身体の女性が、一体どうやっておれを守るというんですか? 誰かがおれを襲ってきても、撃退できるとは思えませんが」


 自称・ソ連からやって来たロシア少女との同居生活などという、とんでもない事態を避けるべく、おれは必死になって言い返した。


「そのための準備もしてあります」


 おれの言葉に対しうなずきながら、ソフィアは座布団の上の姿勢を、かたわらの旅行鞄かばんの方に向け直した。そうして両足をきちんとそろえて座ったまま、皮製の鞄の鍵をカチャカチャと外し始める。しばらくして、パチンという音と共に鞄が開いた。


 着替えなどの旅行用具が詰まっているらしいその鞄の中に手を入れると、ソフィアは、そこから黒光りする一つの物体を取り出した。そしてそれをこたつの上にそっと置いた。ごん、と、重々しい音がする。


「こ、これは何ですか」


 おれの目は、彼女が取り出しこたつの上、封筒の横に置いた黒いそれ――一丁の拳銃に釘付けになっていた。


「えっ? この自動拳銃のことですか?」


「な、何なんですかこれ」


 おれは少々上ずった声で尋ねた。鞄を再び閉じてこちらに向き直ったソフィアは、おれの表情と手元の拳銃を見比べるように目線を上下させると、ふと、急に、黙り込んだ。

 しばらく、沈黙が続く。

 何か考え込んでいたらしい彼女はやおら面おもてを上げて、口を開いた。


「ええと、この拳銃――トカレフですが、正式名称は『トゥルスキー・トカレヴァ TT-33』といいます。第二次大戦以前から赤軍で正式採用されている軍用自動拳銃です。性能諸元ですが、口径は30口径、7.62mm弾を使用、装弾数は弾倉内に8発で、有効射程は約50m――。なお、トカレフはソヴィエトだけでなく、世界中の共産圏で使用されており……」 


 どうやら丸暗記しているらいしい内容を、すらすら語り始めるソフィア。


「じゃなくて! なぜ、そんな物騒なものを!」


 おれは彼女の説明をさえぎるように大声を出した。ソフィアはきょとんとして続きをしゃべるのをやめた。


「拳銃の所持は日本では違法なんですよ!」


 そう言うと、彼女は、


「それは当然わかっています。しかし、任務上、これは欠かすことのできないものなのです。……最初、私の護身用として、モスクワから持ってきましたが、しかし今、この拳銃は、同志ホンダ――あなたを守るためにあります。そう、万が一の際、あなたの身を救うために、この拳銃を使用します」


と、淡々と答えを返し、そして、じっとおれの両目をのぞきこんできたのだった。



 ――トカレフって、かなり昔、ヤクザが売りさばいて問題になったやつだよな。これ本物かよ? モデルガンじゃないのか? いや、実際モデルガンであって欲しい……。


 おれはソフィアの青い瞳を見つめ返しながら、


「これ、本当に本物ですか?」


と聞いた。


「もちろん、本物です」


 きっぱりとした彼女の返事。


 ――『ああ!』


 おれは心の中で小さく叫びながら、こたつに顔からつっぷして、後頭部を両手で抱えた。


 ――『誰か、これ全部、TV局が仕組んだドッキリ番組だと言ってくれ!』


 そう願いながら、こたつに顔をつけたまま身体を固まらせて動かないでいた。


「大丈夫ですよ」


 ソフィアの声が聞こえる。


「私は、ちゃんと実銃の射撃訓練を受けていますから。上級射撃技能章も持っています。多分、日本の普通の警察官などよりは、私のほうがはるかに銃の扱いは上手だと思いますよ」


 明るい声。見えないけど、多分今、彼女はあの優しげな微笑を浮かべながら、おれに向かってしゃべっているのだろう。


 ――そういう問題じゃないでしょう、ソフィアさん


 おれは頭を抱えたまま、聞こえるか聞こえないかぐらいの小声でひとりごちた。

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