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第37話 2月11日 夢

 北鎌倉駅前にバスが着いた。

 腕時計の針は2時半を少し回っている。

 昼食を、まだとっていないことに俺は今さらながら気づいた。しかし奇妙なことに、空腹感はなかった。ソーニャにお腹がすいたかたずねると、彼女もまた奇妙なことに食欲が無いと返答してくる。

 さらに俺が北鎌倉をどこか観光したいかたずねると、早く東京のアパートに帰りたいとの彼女の返答。

 だから俺たち二人は北鎌倉駅の改札を通り、帰りの列車が来るのを待った。

 奇妙なことに、列車はすぐやってきて、奇妙なことに、ちょうど二階建てのグリーン車が目の前で停止した。

 列車の二階に乗り込み、ボックスシートの座席にソーニャと向き合って座った。

 すると秋の夕日が差し込む田舎の実家の縁側(えんがわ)に置かれている安楽椅子に身体をうずめているお祖母(ばあ)ちゃんの姿があった。

 真っ白なワンピースと茶色のカーディガンを上品に着こなし、ひざの上に毛布をかけて少し身体をかたむけている。和装より洋装のほうが似合うその姿を見て、我が祖母ながら美しい人だと思った。

「守」

 夕日の中微笑みながら、お祖母ちゃんが話しかけてくる。

「なに、お祖母ちゃん?」

 俺が話しかけると、お祖母ちゃんは安楽椅子に左腕のひじを立て、左手に自分のほほをあずけ、こう言った。

「守、お前は本当に死んだお祖父(じい)さんにそっくりだねえ。見た目も、性格も。特にその、いつものんびりとしたところとか」

「そうかな。お祖父さんにじかに会ったことないからわかんないや」

 そんなふうに答えると、お祖母ちゃんは顔の笑みをいっそう深いものにして、

「それと、くれぐれも気をつけるように。寝ている人に話しかけると、寝ている人は気が違ってしまうからね」

と、ゆっくりと教え諭すような口調で話しかけてくる。

「そうかな?」

「そうよ。私は守がそんな目に合わないか心配でしょうがないの」

 そして優しいまなざしを向けてきた。

 だから、高校の教室で隣の席の女の子が、

「本田くん、きょ、教科書見せてください」と、今にも泣き出しそうな顔で頼んできても、別に不思議に思わなかった。

 英語の教師に教科書を忘れたことを指摘され、ついでに隣の俺に見せてもらうよう指示されて、彼女はその言葉に従ったのだ。

 俺は自分の机を彼女の机の横にくっつけて、英語の教科書が相手にも見やすいようにした。

「あ、ありがとうございます・・・」

と、さらに泣き出しそうな小さく震えた声で彼女は礼をのべた。

 彼女はいつも教室でひとりぼっちだった。別に他の女子にいじめられているわけではなかった。実際、クラスの女子が何回か彼女に「一緒にお弁当食べよう」と誘ったが、彼女はそのたびに身体を硬直させて、どもった声で本当に申し訳なさそうに断りの言葉を返すのが常だった。

 彼女はそうしてひとりぼっちで、持ってきた弁当をうつむいてゆっくりと咀嚼する。

 ほとんど涙をこぼしそうな表情をして。

 まるで、生きてこの世界で食事をとることが、何かの罪を犯しているかのようなような姿で。

 自殺した彼女の葬儀の日は雨だった。制服姿のクラスメート達が透明なビニール傘の下、彼女の出棺を待っている。女子生徒はみんな泣いていた。俺は、なぜ死んだ彼女とほとんど交流がなかった女子まで号泣しているのか理由がわからなく、ただぼんやりと傘を持ってその場に立っていた。

「クラスメートの皆さんが流す涙が、今日、この日、この雨となって降っているのです」

 葬儀会社の司会進行役のマイクを通した言葉が、白々しく、安っぽいものに俺には聞こえた。

 そういえば、彼女の名前は何という名前だったろうか・・・。一年間一緒にいたのに、思い出せない・・・。

 列車は夜の闇の中を走っていた。車内灯はすべて消えて、明かりといえば、窓から差し込む満月の光だけだった。真っ赤に血に染まったような色の満月。血の色を連想させる不気味な輝き・・・。

 血の色をしているのは月だけではなかった。向かいに座ったソーニャのひたいからも真っ赤な血が流れている。彼女は座席の上半身をぐらつかせ、何度も自身のひたいを窓ガラスにぶつけている。そのたびに、流れる血が深くドス黒いものに変質していく。

「ええ、きっと誤解です。私への疑いは晴れるはずです。私が、祖国ソヴィエトを裏切るわけないじゃないですか」

 ソーニャは目をつむったままつぶやく。

「大丈夫、ソーニャ?」

 無言。返答はない。

「ソーニャ、おれはそこにいる?」

「いません・・・私一人だけで、永遠の闇の中にいます」

 俺は座席から立ち上がった。彼女のひたいに左手を当てると、真っ赤な血がどろりと手にこびりついた。

「マモルさん、そろそろですよ」

 ソーニャの声がした。

「そろそろシンジュク駅に着きますよ」

「あ、寝てた俺?」

「はい。何度も話しかけたのですが、なかなか起きてくれなくれて。少し困っちゃいました」

 ソーニャが優しげに微笑む。

 グリーン車の車窓の向こうに、夕暮れ時の大きな街の光景が写っていた。

「いま横浜?」

「いえ、シブヤです」

 そう答えるソーニャ。

 なにか列車の中で夢を見ていたような気がする。だが、なぜかその内容が思い出せない・・・。

 

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