第33話 2月11日 エジョフ・シチーナ
突然のソーニャの言葉にとまどったおれは、月のウサギの話とやらについて聞き返そうとしたが、ソーニャはおそらく世界共通のジェスチャーーーそのうっすらと紅い唇の前にそっと右人差し指を立てて、・・・黙って話の続きを聞いてください・・・という感じの柔らかな瞳を返してきた。だから、おれは口を開かず彼女の言葉の続きを待った。
「子供の頃の、遠いとおい記憶の中の話です。私の、ごく個人的な。ーー私の母は、とても優しくて読書好きの人でした。だから、小学校に入る前のまだ幼かった私の情操教育のために、たくさんの絵本を買い与えてくれました。そうですねえ、さて、はたして、入学前に何十冊の絵本を読んだことか・・・。それらの絵本の一冊のうち、一番私が好きだったのは、『日本のおとぎ話』という題名の本でした。ええ、本当に大好きでした。装丁がボロボロになるまで、何百回とその絵本を読み返しました。絵本には、題名通り日本の古い古いおとぎ話がいくつも書かれていたのですが、中でも私が一番すきだったのは、月のウサギの物語でした」
そこで彼女はいったん語を区切る。そしておれの反応をしばしじっとうかがうと、微笑を浮かべたまま、やおらまた口を開いた。
「日本人のマモルさんなら当然知っていると思いますが、夜の月面にはウサギがいて、餅をついている・・・そういう有名な民話がありますよね? 私ははっきりとした理由はわかりませんが、そこにいたく心ひかれたのです。夜空の月の上にはウサギがいて餅をついている・・・なんて不思議な、なんて魅力的なお話を日本人たちは太古から文化的に受け継いできたのだろうか、と」
「月に関する民話は世界中に色々とありますが、ウサギが出てきて餅をつく光景を月面を見上げ思いついた日本人、その極東の太平洋に浮かぶ弧状列島に暮らす人々の心のあり方に強い関心を抱くようになったのです。それ以来、私は大の日本好き、大の日本人びいきになりました」
「自身が成長するのに合わせて、独学で日本語を学び始め、レニングラードの街の図書館で入手できるかぎりの、平易な日本語で書かれた本を借りて読み、何十冊のノートに日本語を書く練習をしました。・・・ひらがな、カタカナ、漢字・・・日本語学習者のほとんどが最初につまづく所で私も挫折しそうになりましたが、なんとかそうした苦難を乗り越え、やがて私ははれて外国語専門学校の試験に合格し、日本語学科に籍をおき今度は独学ではなく体系的・論理的に日本語が学べるようになったのです」
そしてソーニャは再び無言になった。かなり長く一人でしゃべりすぎたのではないかと、すこし不安になったらしい。青い二つの瞳がおれの方にそっと真っ直ぐに向けられる。
「まあ、その・・・」
正直返答に困ったおれは、「たしかに不思議だよね、月でウサギが餅をついているだなんて。日本人の俺自身、改めて外国人のソーニャから指摘されると、変わった民話だと思うよ。まあ、変わってない民話ってのもそうないと思うけど」
と、適当な返答をした。
するとソーニャは自身の意見におれが全面的に賛意を示したものと思ったらしく、
「本当に素敵な話ですよね、月にウサギがいるだなんて浪漫があって。一体最初に思いついた大昔の人はどんな人だったのでしょうかね?」
そう言ってニコニコと無邪気な笑みを浮かべる。
ふと、おれはなんとはなしに、ソーニャに対し、
「その、『日本のおとぎ話』って絵本の文章は誰が書いたの? 日本人の文章をロシア語に訳したもの? それともソ連の民俗学者とか誰かが自分で日本の民話を調べて書いたの?」
とたずねる。するとソーニャは間髪入れず、「書いたのはニコライ・ネフスキーという東洋学者です。ヤナギタ・クニオやオリクチ・シノブのような有名な日本の民俗学者とも親交があったんですよ」と返答してきた。
「ふーん。そのネフスキーっていう人、ロシアの学会の方とかではかなり有名な人なの?」
たいして興味はなかったが、話のキャッチボールでおれは聞き返した。
だが、おれの投げたボールはとんでもない大暴投だったらしい。突然、サーッとソーニャのほほが蒼ざめ、その白皙の顔から血の気が引くのがはっきりと見えた。
「ネフスキー教授は・・・1937年のある日突然、NKVDーーエジョフ率いる内務人民委員部の連中どもに逮捕連行され、ロシア共和国刑法五十八条の反ソ行為のぬれぎぬをきせられて、処刑ーー銃殺刑にされました・・・」
それだけいうと、ソーニャはひどく沈鬱な表情になり、露骨におれから視線をそらし、舌唇をかみしめ、じっとうつむいてしまった。