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第31話 2月11日 無神論者

 正直言って、おれは五分で神社に飽きた。だが、ソーニャは違うらしかった。

 階段を上がった神社の本殿前に飾ってある、たくさんの「絵馬」をしげしげと眺めている。


「英語にフランス語にスペイン語・・・これは、タイ語のようですね・・・あっ、エスペラント語まであります・・・! ・・・世界中から来た観光客が、この『エマ(絵馬)』に、いろいろなお祈りの一文(いちぶん)を書き記しているのですか・・・興味深いです」


 そうつぶやいて、何度も何度もうなずいてみせるソーニャ。

 じっくり絵馬を見終わると、彼女は視線を転じて、その目の先には今度は「おみくじ結び所」と書いてあった。


 「おみくじ結び所」という名前のとおり、何百ものおみくじがそこには結ばれて置いてある。


「ソーニャ、あれはね・・・」


 おれが教えてあげようすると、


「ちょっと待ってください、マモルさん!」


と彼女は少し大きい声を出した。


「あれは確か、私の知識が確かなら・・・『おみくじ』と言うものですね!」


 そうしてくるりとこちらに振り返りソーニャは尋ねてくる。


「ああ、うん、よくわかったね」


「はい。確か大吉から大凶まであるんですよね?」


「そのとおりだけど・・・そうだ、ソーニャも日帰り旅行の記念に、おみくじ引いてみる?」


 おれがやっと旅行らしい思い出が作れそうだとホッとして言うと、彼女はゆっくりと首を横に振り、


「私はコミュニストであり、当然、無神論者ですから・・・日本の宗教文化はとても尊敬していますが、わざわざお金を払ってまで自分の未来を他人に占ってもらうつもりはないです。未来は己の意思で切り開くべきものです」


 そうきっぱり言い切った。

 おれは内心ちょっとがっかりしながら、


「ソ連の女性は強いね。いや、ソーニャが特別に意思が強いのかな?」


と、なんとはなしにつぶやくと、


「はい。ソヴィエトの女性は男性に精神的にも経済的にも依存しない、自立した存在です。いつか祖国ソヴィエトが社会主義の段階から発展し真の共産主義社会を実現するまで、私たち女性は闘い続けます」


 おれの目をまっすぐにみつめ、彼女はそういった。

 そして次の瞬間、クスリと悪戯っぽく笑い、


「今の発言は、少々教科書的回答すぎましたね・・・。本当のところを言えば、ソヴィエトの男の人達はウォッカを飲みすぎて真面目に働かない人が少なからずいるので、女の私達ががんばらなければならないんです。・・・ウォッカという名の害悪。10月革命(ロシア革命)でも、この害悪を駆逐することはかないませんでした・・・」


 再び、クスリと笑う。今度は少々、残念そうな顔をして。


「なんでロシアの男の人達は酒を飲んでばかりいるの? うちの千紗姉ちゃんみたいに」


 素朴な疑問をおれはぶつけてみた。

 急に真剣な顔つきになって、ソーニャは考え込む。


「・・・寂しいから、じゃないでしょうか?」


「寂しいから? 何が寂しさの原因なの?」


 再び考え込むソーニャ。


「・・・なぜ寂しいのか・・・その理由について、ソヴィエトにいた頃、私もいろいろ考え、心理学や哲学の本を読みましたが、回答は見つかりませんでした。むしろ回答は、文学作品の中にあるような気がします。たとえば、ドストエフスキーの小説とかに・・・」


「ドストエフスキーって、『罪と罰』の?」


 三流私立大学生のおれでも、ドストエフスキーの罪と罰は知っている(題名だけで読んだことはないが)。そして自分で口にしておいて、ドストエフスキーの突っ込んだ話題になったらまったく答えられないからどうしようと、少し緊張して身構えた。


「ええ、そうです。・・・でも実は・・・ドストエフスキーの小説はソヴィエトでは発禁にされています。内容があまりに反動的で危険な文学である、として・・・。ですが私がいた外国語学校の図書館には、資本主義国家アメリカの最新の経済雑誌やイギリスの反ソヴィエト批判の本など、いわゆる『発禁本』がずらりと並んでいて、生徒はそれらを自由に読むことができました。つまり、『敵を知り己を知る』ためです。そこで私はドストエフスキーの代表作をほぼ読むことができました」


 おれはソーニャの話を聞いて、ただ、「ふーん」と相づちをうつことだけしかできなかった。

 なぜなら、ドストエフスキーの小説を一作も読んだことがないから、何がどう危険な文学なのかわからなかったからだ。 

 ざわざわと、大きな英語で会話する集団が近づいてきた。見れば、アメリカ人の観光客の一団らしかった。


「マモルさん・・・そろそろ次の場所に行きませんか?」


 突然のソーニャの言葉。


「え、もういいの? 巫女さんから交通安全のお守り買うぐらいしても、その、反ソ連的とは言われないんじゃないの?」


 ソーニャは微笑んでいた。いや、正確には口元に笑みを浮かべていたが、瞳はアメリカ人観光客の一団に鋭く向けられていた。

 事情を察したおれは、


「じゃあ次は・・・銭洗弁財天にでも行こうか? えっと、どっから出てどう行けばいいのかな・・・?」


 おれが尻ポケットからコンパクト地図を出そうとするよりも前に、地図を暗記しているソーニャが、


「マモルさん、こちらの出口から行けば銭洗弁財天に行けますよ」


とつぶやき、自然な動きでおれの左手をにぎり優しく引っ張った。


 ーーこれじゃあ、どっちが観光案内してるのかわかんないや


 内心ひとりごちる。そして不意に、ソーニャと知らないうちに手をつないでいることに気がついて、おれはなぜか赤面してしまったのだった。

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