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第30話 2月11日 建国記念の日

 鶴岡八幡宮の境内には、別に今日はお祭りでもないのに参拝道のわきに何件もの屋台が並んでいた。ベテ―カステラ、わた菓子、チョコバナナの店などがいくつも。

 おれのかたわらにいるソーニャは、そんな風景がめずらしいのか、屋台ののれんに書かれているカタカナやひらがなの大きな文字をちらりちらりと眺めている。


「りんごあめ・・・黒豚ソーセージの串焼き・・・それらは、だいたい理解できます。しかし、私のとぼしい日本語の語彙の中には、『たこ焼き』というものはありません。守さん、『たこ焼き』ってどんな食べ物なんでしょうか?」


 素朴な疑問をぶつけてくるソーニャ。


「ええと・・・『たこ焼き』というのは・・・その、小麦粉の中にタコの足を入れて焼いた食べ物で・・・うーん、なんと説明したらいいのか日本独特の食べ物で・・・」


 『たこ焼き』とはなんぞや? そんなこと考えさせられたの生まれて初めての経験だった。

 ちょっと困っているようなおれの顔つきに気がついたのかソーニャはすこし明るい声に切り替えて、


「いろんなお店が並んでいますが、さすがにシャシリクの屋台はありませんね」


 そう言って、にっこりとこちらに笑みを向けてきた。


「シャシリクって何?」


 今度はおれがたずね返した。


 するとソーニャはニコニコしながら、


「シャシリクとは、羊肉の串焼きのことです。元々はキルギスタンやカザフスタンあたりの遊牧民族の食べ物でしたが、ロシアにも普及して、街のお祭りが開かれた時などはシャシリクの出店でみせが何件も並んでもくもくと羊肉を炭で焼く煙があがるんですよ」


と楽しそうに言う。


「美味しいの?」


「はい、とっても美味しいです!」


 ひときわ明るい笑顔になる彼女。

 ふとおれは、ソーニャが、ソ連にいた頃のお祭りの楽しい記憶を思い出し、笑顔になったのではないのかと推測してみた。が、あくまでそれは推測だけのことであり、しいて彼女にそのことを深く聞いてみようとは思わなかった。それよりも、高校の修学旅行で訪れた北海道のホテルで食べたジンギスカン鍋の羊肉の臭さが思い出され、ロシア――ソ連では、羊肉の調理方法が日本より発達しているのか、そちらの方が気になった。


 そんなたわいないやりとりを二人でしているうちに、鶴岡八幡宮の本殿前にたどりついた。

 本殿前には、ちょっと信じられないぐらい急勾配の石造りの階段が待ち受けていた。もし、足をうっかりすべらせて転げ落ちてしまったら、骨折は確実、へたしたら頭を打って死ぬ、誇張表現ではなく本当にそれぐらい急な階段が待ち受けていた。

 だが、他の参拝客の子供達はきゃっきゃっとはしゃぎながら駆け上っていくし、老人の参拝客もしっかりと足を踏めしめて慣れた動作で階段の上へと向かっていく。


「・・・守さん・・・」


 ソーニャが不安そうな目でおれを見る。ソーニャが危惧しているのは、自分が転倒することではなく、おれがこけて大怪我をすること、その事が彼女の瞳からひしひしと伝わってきた。


 おれは――大丈夫だよ――と目線を返し、階段を登り始めた。背後に、ぴったりとソーニャが付き従って登ってくる。おれの足元がぐらついた際にすぐに身体を支えられる姿勢を取っているいようだった。


 階段は登りづらかったが、すぐに鶴岡八幡宮の本殿前に到着することができた。ちらりと後ろを振り返ると、ソーニャが安堵の表情を浮かべているのがわかった。よっぽど彼女は、おれの身が心配だったらしい。自分に課せられた任務に常に忠実で、ストレスがたまるんじゃないかとこっちが逆に心配になった。――そして、そんな彼女をリラックスさせるのがこの小旅行の真の目的だったことを思い出して、おれは何をやっているんだろうと軽い自責の念がわいてきた。


 鶴岡八幡宮自体は、ちょっと豪華な造りの神社、それがおれの第一印象だった。確かに、赤色を基調とした建物は荘厳な造りと言えたが、おれの田舎の神社の方がもっと派手で大きいなあ、別にたいして感慨がわくようなこともないなあ、というのが、ぶっちゃけおれの本音だった。


 だが、ソーニャは違うらしかった。今まで、東京の市街地のビルやマンションやアパートしか見たことがない彼女には、何百年前・・・? から建てられてそこにある神社が非常に興味深いものに見えたようだ。ソーニャの視線が、鶴岡八幡宮本殿のあちこちに熱っぽく向けられているのがわかる。


「守さん、見てくだい!」


 興奮気味な声で耳元にいきなり話しかけられたので、おれはびっくりした。

 ソーニャの視線の先を追うとそこでは、白色と赤色の上下の着物を着た何人もの若い巫女さんたちが、参拝客たちに絵馬やお守りを販売している姿があった。


「巫女・・・つまり、日本の古い時代のシャーマンの血を受け継ぐ乙女たちですね・・・!」


 なんでたかが巫女さんにソーニャが興奮しているのかはわからなかったが、外国人の視点からしたらものすごく異国情緒というか、来日する前に想像していた古き日本を思わせるもの、なのかもしれない。


「私はモスクワの外国語学校での、日本の民俗学の講義で学びましたが、シャーマン――祈祷師としての巫女は、本土にはほとんどいなくなり、わずかにオキナワの諸島の方、ミヤコ島やカケロマ島に少数が残っていると聞きました!」


 相変わらず興奮口調がおさまらないソーニャ。彼女は、よくわからないけど、そういう日本の民俗学的なものが大好きなのだろうか?


「ええ、現代の日本だけでなく、古い古い日本にも、私は興味があります。記紀(きき)神話なども、もし、学ぶ時間が許されるなら、じっくり学んでみたいです!」


と、声を弾ませるソーニャ。


「キキ神話? なにそれ、どこか南太平洋かどこかの島の神話? 火山の噴火で一晩で島が海底に沈んだ話とか?」


 おれがぼんやりとした口調でたずねたら、ソーニャは、ちょっと自分の表情をあわてさせて、それから、しばらくして、少し寂しそうな顔つきになり、


「ああ、いえ、私、ちょっと一人で話しすぎました。今のは聞き流して忘れて下さい」


 そうしてなぜだかおれには理由がわからないが、彼女は申し訳無さそうにしてかすかにうつむいてしまった。

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