金の鍵
ミゥと共に家を出て、毒キノコの森を迂回するように歩いておよそ十数分。
どこまでも広がっているかに思えた緑の丘にも少しづつ背の低い木々や岩なんかが混ざり始め、ようやく川が見えてきた頃には、鮮やかな緑の芝生はほとんど残っていなかった。道中で歩くのに疲れたらしいミゥを肩車しつつ、丸い石が露出する土手の上に立った俺は静かに流れる大河の様子に目を細める。
川幅は15メートルほどだろうか。
水の流れは穏やかであり、川底の石が目視できるほどに水も深く透き通っている。
綺麗な川だ。地図によるとこの辺りが最も川幅が広く、流れに沿って少し歩けば集落のようなものもあるらしい。だるんと四肢を投げ出していたミゥもどうやら川には興味津々なようで、俺の頭の上で身を乗り出してふんふんと吐息を零している。
NPCとのデュエルはまぁ、街に行けばメリーさんなりシュラさんなりが居るだろうし、戦闘の前に術式の威力がどの程度のものか調べようと川辺に来たのだが、これほど綺麗な川なら水遊びもしたくなる。着替えらしい着替えを持っていない俺は服を濡らすわけには行かないが、ミゥは少し自由に遊ばせてやるか。ドールのボディを濡らして平気なのかという疑問はこの際考えないことにする。
足をぱたぱたさせるミゥをそっと下ろしてやると、ミゥは一目散に土手を駆け下りてゆく。
転んだりしないだろうかと少し心配しながらも、俺はその後を追う。
「おぉい、はしゃぐのはいいが気をつけろよー」
声をかけると、ミゥはちらりと俺の方を見て軽く手を振った。心配せずとも平気、とでも言いたいのだろうか。川辺というものは案外シャレにならないレベルで危険が多い。ゲーム世界である以上、それほど心配する必要もないだろうが……。
とりあえずミゥから目を離さぬよう、俺は手頃な岩に腰掛けてその様子を眺める。
川のすぐ傍まで寄って行ったミゥはおもむろに着ていた制服風のコスチュームや履いていた靴を脱ぎ捨て、短めのスカートはそのままインナー姿となって水遊びを始めた。なんだ、スカートは脱がないのかと一瞬考えてしまった自分の頭を軽く小突きながら、改めて様子を眺める。
川の中で何かを探すようにその場に屈むミゥの肩は、人のそれとは違っていた。
腕と胴体を繋ぐ無機質な関節部分が、ここからでもはっきりと視認できる。人間のように見えても、やはり人形なのだと改めて現実を突きつけられる。動力なんかの仕組みはさっぱり理解出来ないが、少なくとも人ではない。そんなことをぼんやりと考えていると、川底を漁っていたミゥが何かを拾い上げて小躍りし始めた。
「何か見つけたのか?」
俺が尋ねると、ミゥは喜々として拾い上げたそれを見せつけてくる。
もみじのように小さな手のひらで輝くそれは、きらりと眩い金色の鍵。これはミッションの報酬で既に何度か手に入れたことのある『金の鍵』だ。住宅なんかに使用されている鍵とは形が違う。この形は確か、ウォード錠とかいう錠前を開けるための鍵だったはずだ。
『アイテム/金の鍵』
『フリーフィールドに存在する金色の宝箱を開けるための鍵。
鍵そのものに価値はないが、必要な時に限って無かったりする』
触れると同時に弾き出されるアイテム説明に目を通しつつ、自慢げに平らな胸を張るミゥを撫でてやる。確かに、こういう鍵ってすぐ無くしちゃうんだよなぁ。なぜ鍵が川底に沈んでいるのかは知らないが、ありがたく貰っておこう。
「いいもの拾ったなぁ。ミゥ」
軽く撫で回しながら褒めてやりつつ、誇らしげなその様子に目を細めていると、ミゥはふと何かに気づいたように下流の方に目線を向ける。まさかまたエネミーでも出たのかと視線を追うが、特に変わった様子はない。しかしよく目を凝らすと、少し離れた位置に転がる大岩の影から鈍い音と共に派手なエフェクトが見え隠れしている。
あれは何だろうかと考え始めると同時に、ミゥがその岩の方へと駆け出してゆく。
「あっ……お、おい、待ってくれよ」
俺は慌てて後を追うが、ミゥはあれでいて中々に足が速い。
俺が立ち上がって数歩駆け出した時には、既に十数メートルほど先の岩へとたどり着いていた。そのままミゥは岩をよじ登ってその向こう側を覗き込む。同時に、愛らしい悲鳴のような声が聞こえてきた。
「――な、何見てんだよ! あっち行けよ!」
噛み付くようなその声にミゥはびくりと身を震わせ、逃げるように岩から降りて俺の方へ駆け寄ってくる。すぐさま俺の後ろに身を隠して顔を覗かせ、岩の方をじっと見つめるその瞳はじわりと潤んでいた。どうやら、あの岩の陰に誰か居るらしい。声の調子からして随分と気が強いようだが、まぁ恐らくはNPCドールだろう。
俺はミゥを軽く撫でつつ、たどり着いた大岩の影を覗き込む。
「――ッ」
まず目に入ってきたのは、こんがり焼けた小麦色の肌。
キッとこちらを睨みつける金の双眸と、さらりと揺れるグレーの髪。猫のそれとよく似た獣の耳と尻尾を持ち、細く引き締まった体に黒い毛皮を巻いたその姿は、俺の思い浮かべる『獣人』そのものであった。野良猫のような少女は俺を見るや否やさっと目の色を変え、輝く宝箱を抱き込むようにして俺を睨みつけてくる。
宝箱を抱えるその両手には湾曲した爪を持つクローを装備しているようだが、鋭く湾曲したその刃は既に欠けてしまっている。よく見れば、しなやかな腕も傷だらけだ。体勢を低く保ち、鋭い眼で俺を睨むその姿はまさに手負いの獣。染み出す気迫に気圧され、俺は思わず一歩後ずさった。
「これはあたしが見つけたあたしのモンだぞ。あっち行けよッ!」
「いや、俺はそんなつもりじゃ……」
唸るように俺を威嚇する少女。身に纏う毛皮で見えづらいが、その肩にはミゥと同じ無機質な関節が顔を覗かせている。NPCであることはまず間違いなさそうだが、この様子じゃ仲良くなれそうにもない。ミゥを連れてさっさと退散してしまおうか。などと考えていると、ふと少女が抱き込む宝箱に目が止まる。輝く金色の宝箱には、僅かな傷や汚れすら付いていない。得も言えぬ違和感が喉の奥に引っかかるような気がした。
傷一つない宝箱と、ボロボロになった武器。見え隠れしていたエフェクト。
これらの要素が脳裏に渦巻き、やがて一つの推測を弾き出す。
もしかしてこの子、開けられないんじゃ……
「……」
「ちょっ、ちょっと待て。もしかしたら、これ……」
宝箱を抱えたままじりじりと距離を取ろうとする少女を軽く制し、俺はコートのポケットをまさぐる。ポケットの中に詰め込んだままのポーションや畳んだ地図をかき分け、先ほど拾った金色の鍵を取り出して少女に見せつけた。少女の瞳が見開かれ、その猫耳がぴくりと揺れ動く。
「それ、金の鍵か……? く、くれるのか……?」
少女は体制を低く保ったまま、鍵をじっと見つめながら細い尻尾を揺らす。
この金の鍵はフィールドに存在する宝箱を開けるための鍵だ。
それならば、少女が持つあの宝箱だって開けられるはず。
「鍵、持ってないんだろ? さっき拾ったやつだけど、良ければ使って」
鍵を投げ渡すと、少女はそれを両手で抱えて鍵と俺を交互に見つめる。隣に佇むミゥはむっと不満げな表情を浮かべるが、金の鍵なら家のアイテムボックスにも同じものがあったはずだ。宝箱なんてそうそう見つかるものでもないだろうし、別に鍵のひとつくらいくれてやろうじゃないか。
しかし、その後の少女の反応は予想外なものであった。
「……ッ」
額に走る痛みに思わずよろめく。少女は鍵を投げ返してきたのだ。
地面に落ちた鍵を拾い上げて少女を睨むミゥを抱き寄せつつ、痛む額を摩りながら少女の様子に目を向ける。少女は宝箱を抱えて一歩、二歩と後ずさりながら俺を睨んでいたが、その表情からは半ば自棄になっている様子が伝わって来る。どうやらこの子は、素直とは程遠い性格の持ち主であるようだ。
「余計なお世話だったか。ごめんな」
逆なでしないよう、優しく微笑みながらミゥの手を引く。
そのままさっさと退散しようとしたのだが、少女が一瞬こちらに手を伸ばしかけて名残惜しげに眉を潜めたのが見えた。見えてしまった。立ち去ろうとした足が思わず地面に縫い付けられる。しかし少女の方を見るとキッと俺を睨みつけるばかりで状況は変わらず、かといって立ち去ろうとすると名残惜しげな仕草を見せる。そんな無言の駆け引きを三度ほど繰り返した後、少女は何か言いたげな様子で口を開いた。
「――――しろ」
「……え?」
「勝負、しろって、言ったんだよッ!!」
金の瞳に燃えるような光を宿し、少女は噛み付くように叫ぶ。
その瞬間、淡い緑色の魔法陣が少女の足元に刻み込まれる。一瞬だけ見えた魔法陣の紋様には、見覚えがあった。あの緑の紋様は確か、旋風術式の札に描かれていた模様と同じものだ。
それと同時に、ミゥの足元にも赤い魔法陣が刻み込まれる。
こちらは俺が組み込んだ火炎術式の紋様だ。なるほど、そういうことか。
『【NPC:ベラ】からのデュエル申請を確認しました。受諾しますか?』
『【猛き爪獣】ベラ』
『トータルスコア:52000』
『地区順位:8位』
『総合順位:24位』
『ウェポンカード:壊れかけのアイアンクロー』
ベラというらしい少女の情報と共に、『はい/いいえ』の選択肢が表示される。
「あたしが勝ったら、それよこせ! お前が勝ったら、これ、くれてやるっ!」
なんだかあらぬ方向に話が進んでいるような気がするが、これは好都合かもしれん。
俺はミゥと視線を交わして選択肢に触れる。それと同時に、どこからかラビが現れた。
『デュエルが成立しました。フィールドを展開、チュートリアルを開始します』