ショップ
ダッシュで森を抜け出し、緑の丘を駆ける。
ようやくたどり着いた自宅に転がり込むようにして駆け込み、すぐにドアを閉めて施錠。そのままの勢いで寝室に飛び込んだ俺はミゥをベッドに寝かせ、リビングへ続くドアを背に深く息を吐く。とりあえず無事に自宅まで帰って来れたが、さてここからどうしようか。
運んでいる途中で抵抗を諦めて四肢を投げ出していたミゥはベッドからのそりと起き上がり、不明瞭なうめき声を零しながら俺の方へとにじり寄ってくる。その表情はどこかとろんとしており、その瞳の奥にはハートマークすら見える気がする。まさかとは思うが、俺のインベントリの中にあるキノコの香りを嗅ぎ付けているのか。幸いにもメニュー画面を開けるのは俺だけであるため、勝手に漁られる心配は無いが……
「……っ」
ミゥは物欲しげな表情を浮かべたまま小さな両手をぐっと突き出して『ちょうだい』のポーズを取るが、俺は静かに首を横に振る。なんて可愛い仕草しやがる。思わず口が緩みそうになったぞ。それはそうとして、どうやら本当に中毒性が強いらしい。少し辛いだろうが、これ以上食べさせるわけにはいかんのだ。
そうだ。キノコの代わりに果物でも食べさせれば多少満足するかもしれない。
ミゥは割と果物が好きなようだし、ブドウでも食べさせてやれば……
「ほら、ミゥ。ブドウだぞ」
床に置きっぱなしのアイテムボックスからブドウを取り出し、諦めずにおねだりを続けるミゥの半開きの口に軽く押し込む。するとミゥは大人しくもぐもぐと噛み締めるが、やはりその表情は晴れない。うるんだ大きな瞳が「これじゃない」と訴えてくる。ミゥは微妙な表情のままごくりと飲み込むと、まるで何事もなかったかのように再びおねだりをし始めた。ダメか。まるで効果がない。
しかしどうすればいい。
今までのミッションで手に入れたアイテムの中に、解毒剤なんてものは無かったぞ。
そもそも薬でどうにか出来るものなのか。出来たとしても薬はないが。
毒というからにはそのうち抜けるのだろうが、その毒が抜けるまで一体どれほどの時間が必要なんだ。毒が抜けるまで部屋に閉じ込めておくというのもひとつの手だが、ミゥを置いて家から出るわけにはいかない。それ以前にミゥを部屋に閉じ込めるなんて、きっと数時間も耐えられない。かといってこのまま付きっきりで面倒を見ようにも、このかつてない熱烈なおねだり攻撃に耐えきれる自信もない。ならどうする。考えろ俺。どうすればいい。
「!」
そして俺は、ハッと思い出した。
いるじゃないか。こんな時、頼りになりそうな友人が。どうしてもっと早く気付かなかったんだ。つい数十分前に知り合ったばかりで、なおかつ困ったときにはすぐに呼べと言われたじゃないか。
俺はミゥにブドウを食べさせつつ、不満げに膨らむその頬を撫でながらメニュー欄を開く。そのままフレンド一覧という項目を開くと、ついさっき登録したばかりの『佐川 健太』という名前がアクティブの文字と共に表示されている。名前に触れると、ピコッと音を立ててウィンドウが飛び出してきた。
『プレイヤーネーム:佐川 健太』
『状態:アクティブ』
『アクティブドール:リコ、マコ、ミコ』
『現在地:ペレットタウン中央広場』
そのウィンドウの下に表示された『ビデオメッセージを送る』という選択肢に触れると、ウィンドウが16インチほどの小型テレビのような画面へと切り替わり、しばらくノイズが流れたと思ったらこちらを覗き込む健太くんの顔が映し出された。
『あっ、どうも! 佐川です。どうしたんですか? もしかして何かトラブルでも……』
『誰?』『誰?』『あ、さっきの……』
その背後からぴょこぴょこと顔を出したのはリコちゃんと、それによく似たドールが二人。どうやらリコちゃんは三姉妹だったらしい。三つ子のようで可愛らしいが、今は世間話をしている場合ではない。俺は液晶に向かって軽く咳払いをした。
「えっと、ミゥが森で変なキノコ食べちゃって。それで今、こんな感じに……」
縋り付いてくるミゥをひょいと抱き上げ、画面の向こうの健太くんに様子を見せる。すると途端に健太くんは「あちゃー」と額に手を当て、リコちゃんたち三姉妹は互いに顔を見合わせた。
「ずっとおねだりしてきて、困ってるんだ。どうすればいいか分からなくて」
『あぁー……その感じだと、多分ドキドキノコですね。言わずと知れた毒キノコですよ。マガの森にしか生えてないキノコで、ポーション系アイテムの素材として欠かせないものなんですけど、生のまま食べると中毒性がとても強くて……特に、毒耐性を持たない若いドールにはよく効くらしいですよ』
「これって自然に治ったりするのか? それとも何か特別な薬が必要だったり……」
『えぇと、キノコ系の毒は三日ほど経てば自然と治るはずですけど……ショップで万能薬を買ったほうが早いですよ。高級なものでなくとも、ショップで買った物なら効き目は確かだと思います』
辞書のようなものを捲りながらそう言った健太くんが三姉妹に目配せすると、リコちゃんたちは荷物らしき物の中から取り出した瓶詰めの液体を見せてくれた。フラスコのような形をした瓶には淡い琥珀色の液体が詰まっており、ちゃぷんと揺れるたびにキラキラと光を放っている。恐らくはあれが万能薬という物なのだろう。わざわざ見せてくれるとは気が利くな。
「ショップで万能薬を買えばいいんだな。ありがとう」
『はい。お役に立てて良かったです。それではまた』
『じゃあねぇ』『ばいばーい』『さよーならー』
手を振る健太くんとドールたちの様子を最後に、ぷつりと通信は途切れた。
軽く手足をパタつかせるミゥを抱きしめるようにして背中をぽんぽんと叩いてみると、歯がゆいのか俺の首筋にかぷりと噛み付いてくる。別に痛くはないが、これは放っておくとそのうち暴れだしそうな勢いだ。
そういえば、俺はメニューから直接ショップを開くことも出来たはずだ。
全く、店で薬を買うという単純極まりないアイディアがどうしてすぐに出てこないのか。よく考えれば誰でも思いつくようなことじゃないか。俺は自らの頭の硬さを恥じると共に、それに気づかせてくれた健太くんへの感謝を胸の内でそっと呟いた。ショップで万能薬を購入すれば、アイテム採集と同時に表示されていた『ショップでアイテムを購入しよう』というミッションも同時にこなせるわけだ。何はともあれこれにてまた一歩前進である。
「ミゥ、ちょっとここで大人しくしててくれ」
大きな瞳をうるませ、今にも泣き出しそうなミゥを優しく撫でながらベッドに寝かせ、起き上がろうとする体にそっと毛布を被せて大人しくするように促す。ミゥは毛布の裾を噛みながらちょっぴり恨めしそうな目で俺を見つめてくるが、決していじわるしているわけではないのだ。許してくれ。
「すぐ、楽にしてやるからな」
指を鳴らしてメニューを開き、並ぶ項目の中から『ショップの利用』を選択してウィンドウを表示させる。すると同時にいくつかの項目がずらりと並び、久々にラビからのメッセージが表示された。
『チュートリアル:ショップについて』
『ショップでは、通貨である『G』と引き換えにアイテムの取引を行うことが出来ます。
メニュー欄からアクセス出来るショップは、所持している総資産から直接Gを支払える代わりに入門用のアイテムしか取り扱っておらず、NPCが運営するショップではGを持参する必要がある代わりに強力かつ貴重なアイテムを購入することが出来ます。状況に応じて使い分けましょう』
ラビからのメッセージを閉じて改めてショップメニューに視線を移す。並んでいる項目の中には、『武器・術式の購入』と書かれた剣のアイコンと、『アイテムの購入』と書かれた小瓶のアイコン、そして『カスタムパーツの購入』と書かれたスパナのような工具のアイコンと『コスチュームの購入』と書かれた衣服のアイコン、さらに『アイテム売却』というコインのアイコン。合計五つのアイコンが横一列に並んでおり、その右上には俺が現在所有している総資産と思わしき数字が表示されている。
割とまともに作られているショップメニューに軽く感嘆の息を漏らしつつ、試しに武器・術式の購入というアイコンに触れてみる。
『木の剣(武器/剣) 500G』
『木の槍(武器/槍) 500G』
『木の斧(武器/斧) 500G』
『木の杖(武器/杖) 500G』
『ブロンズソード(武器/剣) 1000G』
『見習い衛士の槍(武器/槍) 1000G』
『バトルアックス(武器/斧) 1000G』
『ミニメイジの杖(武器/杖) 1000G』
『初級・対刃防護術式 2000G』
『初級・対術防護術式 2000G』
『初級・身体強化術式 2000G』
『初級・火炎術式 3000G』
並ぶ項目をまじまじと眺め、俺は再び軽くため息を零す。
ここにきてようやくまともなゲームらしくなってきた。この画面だけ見れば、RPGにおける最初の街でよく見るような品揃え、まさしく入門用のアイテムがずらりと並んでいる。どれもこれも、最初のミッションをクリアした時点で色々買い漁れるような値段で統一されているではないか。これは、もう少し前にショップを開いておくべきだったかもしれない。
この武器というものは、ドールに持たせることも出来るのだろうか。
いや、普通に考えて出来ないほうがおかしい。本来、戦うのは俺ではなくドールの役目であるはずだ。小さくてか弱いであろうミゥに怪我をさせるよりは、俺が不得手ながらも剣を振ったほうが良さそうだが。
とりあえず武器はブロンズソードがあるので購入の必要はないだろう。
それよりこの術式というものはどうやって使うものなのだろうか……
「……」
そんなことを考えていた俺の視界に、小さな手がにゅっと差し出される。ハッと顔を上げると、いつになく不満げに頬を膨らませたミゥが早くちょうだいと言わんばかりにキノコを要求していた。先程までとは少し違い、目に見えて不機嫌になっている。武器なんか見てる場合じゃなかった。早く万能薬を買ってやらないと。
誤魔化すようにミゥを撫で回しながらショップメニューを開き直し、アイテムの購入というアイコンに手を伸ばす。するとやはり武器のと同じようにしていくつかの項目がずらりと並べられた。
『ポーション(アイテム/回復薬) 200G』
『ハイポーション(アイテム/回復薬) 500G』
『ラヴポーション(アイテム/回復薬) 800G』
『おいしい水(アイテム/飲料水) 100G』
『ホットドリンク(アイテム/補助ドリンク) 500G』
『クーラードリンク(アイテム/補助ドリンク) 500G』
『万能薬(アイテム/薬品) 2000G』
「えっと、万能薬は……これか」
並ぶ項目の中からすぐに万能薬を見つけた俺は迷うことなく『購入』の文字をタップ。右上に表示されていた数字から2000が引かれ、金色の液体が詰まった小瓶が俺の手元に現れる。フラスコ型の容器、揺れるたびに輝く金色の液体、間違いない。
「ほら、ミゥ。お薬だぞ。きっと楽になるから飲んでごらん」
見た目からしてお目当てのキノコではないためか、受け取る前から首を横に振って「これじゃない」とアピールしてきたミゥもやがて渋々と小瓶を受け取り、そっと口をつける。そのまま嫌々ながらもくぴくぴと飲み進めてゆく様子を見た俺は、ほっと胸を撫で下ろす。
ぷはー、と息を吐いて薬を飲み終えたミゥはそれっきり、おねだりをすることはなかった。




