カンジキで山越え
夜明け前、宿に駆け込んできた護衛騎士の一人によってもたらされた情報に、宿の大部屋は一気に殺気立った。
「街の東にある宿に火が放たれました。 現在必死に消火活動がなされております。 負傷者は不明。 火の手に乗じて襲ってきた五名のうち一名を捕縛、浮浪者を装っておりましたがこれを所持しておりました」
そう報告を上げてきたのは偽装のため火災があった宿に泊まっていた騎士の一人だ。
「それは! 双太陽の聖ペンダント」
差し出されたのは双太陽神教の選ばれた敬虔な信者だけが持つ事を許される特別な物だとシルビアが教えてくれた。
双太陽神教の大聖堂にあるステンドグラスを模したペンダントの中央には輝石が付いており、差し出されたペンダントには艷やかな黒曜石が誂えられている。
「どれ、この石は」
「暗部ですね、まさか暗部の中にまで改新派に引き抜かれた者たちが」
覗き込んで来たスケイルの言葉を遮り苦々しげにカークさんが告げる。
「どうやら、フランツは儂等が予想していたよりも苦戦しそうじゃな」
まだ眠そうなセイン様とともに起きたらしいロブルバーグ様は身体のこわばりを伸ばすようにして私の手から聖ペンダントをヒョイっと持ち上げる。
「しかしレイナス王国の騎士には驚かされるの。暗部は諜報から暗殺などの荒事まで、こなすいわば双太陽神教会の精鋭集団。 五人もの暗部を二人で倒しただけでなくきちんと生け捕りにするんじゃから」
確かに、まぁ……個人的にはレイナス王国の騎士は皆戦闘狂だと認識しているので、彼らならそのくらいやるだろうなと思ってしまった。
「とにかくすぐに街を離れます。 セイン様とロブルバーグ様の準備をよろしくお願いします」
「わかりました」
しっかりと頷いたシルビアに頷き返し、クロードとリヒャエルを連れて宿の階下へと駆け下りる。
「準備が整い次第街を出る。 ドラグーン王国との国境まで強行軍で逃げ切る。 ソリの準備は?」
「整っております、また食料なども確保してありますので問題ありません」
私の問にクロードが答えた。
「この街に改新派の襲撃があった以上、この先の街道の要所も抑えられている可能性が高い、最短距離でドラグーン王国まで突っ切る」
「御意」
宿の外に出て暗い空を火柱が赤く染めるのを見る。
できる事なら私達を狙った襲撃に巻き込まれてしまったこの街の住人たちを救いたい……しかし無力な私の両手ですべてを救う事などできない、なら私は自分のできる事をする。
それからすぐに宿から出てきた双太陽神教会主従一行とともに私達は雪の中へと飛び出した。
馬体に鞭を入れ雪原をソリを取り付けた馬車が進んでいく。
その周りを目元だけ露出したフルフェイスのマスクを被ったレイナス王国の騎士たちが騎乗し追従する。
次第に遠ざかる火災に照らされた街と次の街まで続く街道を大きく外れるように馬車を走らせていく。
どこまでも続きそうな雪に覆われた大地は進めば進むほどに方向を見失う可能性をはらんでいる。
空が明るくなり始めた頃、私達は山道へと差し掛かっていた。
この山を越えれば、本来一週間かかる道のりを二日ほどで国境の街までたどり着く事が出来るだろう。
時折休憩を挟みつつ見上げる山道はそれなりの高度がある。
高山病が怖いが、迷っている暇はない。
しかしこれまでの移動でもうじき日が沈む、流石に夜に登山は危険過ぎる。
「今日はここで夜を明かす。 明日の早朝から山へ入る事になる、頭痛や吐き気など体調が悪くなるようであればすぐに言いなさい! 死にたくなければ我慢なんてせずにすぐに名乗り出ること! わかったな!」
『御意!』
山の麓で簡易野営場を設置し、天幕を張り、夕食作りと暖を取るために天幕内に竈を作り火をおこす。
夕食と言っても乾燥した保存食の野菜や肉を温めたお湯で戻したスープと、護衛騎士たちが購入しておいてくれたパンだけの質素な食事だ。
馬たちを集めて木に繋ぎ、その周りを風雪よけに布で囲う。
交代で火の番をし一夜を明かした翌朝私達は出発の準備に取り掛かった。
さすがにこの雪深い山道を二頭の馬で馬車を引くには馬力が足りないため、騎馬に使っていた馬たちを三台の馬車にそれぞれ繋いでいく。
私の愛馬アルフォンスも先頭の馬車に繋ぐと三台の馬車すべて四頭で馬車を引く事になる。
馬たちにはみなカンジキを付けているため雪深い山道でも雪に足を取られずに進めることが大きい。
「はい、皆もこれを履いて〜、交代で馬車を護衛しながら進むから」
リヒャエルに頼んで持ち出してきて貰ったカンジキを配り私が履き方を見せながら教える。
カンジキの片側にアーチ形に付けられた麻紐に編み上げのブーツのつま先を引っ掛けブーツに絡ませるようにして踵側から麻紐を巻き付け足に固定する。
シルビアには馬車内でロブルバーグ様とセイン様のお世話をお願いし、スノヒス国から来た護衛達にも交代で護衛に加わって貰うことにした。
「これから入山する、みな逸れるなっ! 出発!」
はじめの護衛役が揃ったところで雪山登山に動き出す。
馬車での移動を薦めるクロードの意見を黙殺し、私も第一陣で護衛しながら歩きの人数に加わっている。
カンジキの使い勝手を確認したかった事も大きい。
積雪は成人男性ひとり分の身長程に堆積しているためカンジキ無しでは山越えは不可能だろう。
だからこそ追手はこのルートを予測していないだろう。
襲撃もなく無事に下山した頃には夜になっていた。