紅蓮の鬼【視点ゼスト】
「ロンダーク! ロンダークっ!」
なかば力ずくでロンダーク殿の遺体からシオル殿下を半ば無理やり引き離す。
「シオル殿下! 落ち着いてください!」
「ゼスト殿! 殿下を連れて早く撤退を!」
腕の中で暴れ続けるシオル殿下を関節を押さえ込んで動きを封じ、騎士から飛んできた声に頷き、私は周囲に視線を走らせた。
こうしている間にも戦は続いている。
そこかしこで剣と剣が打ち付けられる高い金属音が響いており、このまま錯乱したシオル殿下をここに置いて置くわけにはいかない。
本当なら幼馴染の……狂おしい程に愛しいミリアーナが愛した彼女の夫の遺体だけでも連れ帰ってやりたい。
だが今はシオル殿下を護り戦場から引かせることが最優先だ。
ふと、それまで腕の中で、暴れ狂っていたシオル殿下の身体からガクンとすべての力が抜け落ちた。
「なっ!?」
暴れ疲れて気絶でもしてしまったのかと慌てて支えようとしたが、私の腕の中から常人の身体とは重さの違う鋼のような重量が消え失せた。
「うわぁぁぁぁ」
まるで獣の咆哮のような慟哭に本能的に身体が強張る。
流れるような素早さでシオル殿下は硬直した私の腰に佩いた長剣を引き抜き奪うと、そのままロンダークの遺体を乗り越えて来ようとするドラグーン王国の兵を一太刀で五人斬り伏せた。
そこからはもうまるで美しい剣舞を見ているようだった。
ロンダークの周りからまるで死の使いを近づかせないと言わんばかりに、襲い来るドラグーン王国の兵を無表情で屠る。
シオル殿下がヒラリと舞う度に簡単に兵士の首が飛び、白が強い地面にはまるで赤い花が開くように、シオル殿下ごと赤く、赤く染まっていく。
血脂で切れ味が悪くなった剣を捨てては、自分が屠った遺体が持っていた剣に持ち替え、斬れなくなればまた捨てる。
「鬼だ……」
「ぐっ、紅蓮の鬼だ!」
「バカ野郎! ありゃぁ子供を戒める為のおとぎ話だ!」
「でっ、でもよ!?」
シオル殿下の勢いに、次第に士気が下がり始め襲ってくる兵士が減っていく。
助けを乞う兵士すら無情に刈っていくシオル殿下にドラグーン王国の兵の間に動揺が広がる。
紅蓮の鬼……生前の行いが悪く、死後双太陽神のみもとには行けなかった者達が行き着く地の底にあると言う死者の国に棲む魔物だと言われている。
血のような紅色の蓮とよばれる花が咲き乱れる極寒の池を司る守護者を皆恐れ『紅蓮の鬼』と呼んでいる。
幼い子供が悪い行いをすれば、大人達は『悪い子は死者の国から紅蓮の鬼がさらいに来るよ!』と脅かして育てるのだ。
「何をしている! さっさとその男を殺せ!」
兵たちの動揺に苛立った指揮官らしいふくよかな男が、声を荒げる。
その声に反応したシオル殿下は他の雑兵に目もくれず、真っ直ぐに太ましい指揮官らしい男との距離をつめる。
「くっ、来るな! 化け物」
逃げようとする男の首を跳ね飛ばす。
「うわっ! 伯爵様が殺られたっ、もう無理だ!」
「逃げよう!」
上官である伯爵が死んだことで、雑兵達は四方八方へ散り散りに逃げ出していく。
突如、上空を巨大な影が飛来し、恐ろしい咆哮を上げて戦場の上空をグルグルと旋回し始めた。
紅蓮の鬼同様に、空想やおとぎ話の中にしか存在しない筈の存在。
「サクラ! なぜここにっ」
六年前は肩に乗せられるほど小さかった竜は既に人をその背中に乗せて空を飛べるほどの成長を遂げている。
薄紅色だった体表は成長した今は鮮やかな紅に変わっている。
シオル殿下が国王陛下の名代としてアールベルト殿下の立太子式へ出席を決めた際、ついてこようとしたサクラを三日掛けてシオル殿下が説得した。
出発当日はへそを曲げ、シオル殿下自ら設計したサクラの為の竜舎に引きこもり不貞寝をしていたのだ。
そのサクラがなぜ遠く離れたレイス王国に現れたのか。
突然現れたサクラに戦場は大混乱に陥っている。
いや、レイス王国軍はアールベルト殿下がシオル殿下からサクラの存在を知らされていたからか、次第に士気を立て直し攻めに転じている。
サクラは迷うことなく、シオル殿下の元へ降り立つと、血だらけの殿下の顔をその体躯にあった大きな舌でベロリと舐め上げた。
「サクラ」
よだれまみれになった事で正気を取り戻したシオル殿下をまた舐めあげる。
「サクラ……ロンダークを国に連れて帰ってやりたいんだ……馬車で運んでは遺体が持たないから……」
剣を取り落とし、空いた右手をそろりとサクラの顔へと伸ばす。
「グゥ」
サクラは小さく鳴くと乗りやすいようにと、シオル殿下の前に身体を下げた。
「ありがとう……」
シオル殿下はロンダークの亡骸を横抱きに抱え上げると、サクラの翼の付け根よりも少し首側へと乗り込んだ。
サクラが翼をバタつかせれば辺りにあった砂が羽ばたきで巻き上げられる。
空へ飛び上がったシオル殿下とサクラを追うことなど、空を飛ぶ術を持たない常人の自分には出来なかった。