マリア王妃死す
「ロンダーク! 急ぐよ」
バルコニーの真下まで駆け抜けると、まだ他の者は駆け付けて来ていないようだった。
口元から血を流し仰向けに倒れているマリア王妃の頸動脈に沿って人差し指と中指を当てて見ると脈が触れる。
生きてる!
意識はなくかなり危険な状態だが、まだ息はある。
しかしこのままこの場所にいればすぐに見付かり、殺されてしまうだろう。
「マリア様、失礼します」
脇の下を通すように腕を背中に回して抱き起こし、ロンダークの手を借りて左肩に載せるように担ぎ上げ、左腕に臀部を載せるようにして王妃様の身体を抱き上げ支える。
「シオル様、私が先行し血路を開きます。 脱出しましょう」
「あぁ、頼む!」
左手でマリア様の身体を支えながら右手には抜き身の愛剣を持ち、ロンダークの後ろを走る。
途中何人もの私兵と遭遇したが、ロンダークは素早く距離を詰めると手際よく一撃で仕留めていく。
私の後方から騒ぎが聞こえて来ている事から、マリア様の遺体が無い事に気が付かれたのかもしれない。
「シオル様隠れてください! くっ、正面の城門を抜けるのは無理そうです」
「クソッ、封鎖されたか」
ロンダークの言うように入る時に使った城門には凄い数の兵士が集まっている。
マリア様を抱えて、二人で抜け出すのはほぼ不可能だ。
「ねぇ、こっちよ! こっち!」
ふとどこからか聞こえてきた少女の声に、辺りに視線を走らせると、城壁に近い植木の隙間から、先程ボタンを渡した少女が手招いている。
「ロンダーク!」
「はっ!」
すぐにロンダークを呼び寄せて、少女の元へ走る。
「早くここに入って! はやく!」
少女が示したのは地下へと伸びる石で出来た階段だった。
植木にひっそりと隠されるようにして石造りの小さな祭壇が有り、祭壇には双太陽神である男女の神が向かいあうように手を繋いでいる。
祭壇の奥に有った石壁が人一人分開いていた。
ロンダークとうなずき合い、少女の案内に従って階段へ飛び込むと、後ろで石と石が擦れるような音が響く。
よく見れば石壁に見えた扉が木製であることがわかる。
きっとこの通路は王家の秘密通路だろう。
埃っぽい階段は薄暗いが、最小限の明り取りの穴があり、歩行に支障は出なそうだった。
「付いてきて」
少女がそう手招きするため、私が続き殿をロンダークが務める。
「なぜ戻ってきたんだ、どうしてこんな通路を知っているんだい?」
いまだに意識が戻らず、肩からずり落ち掛けたマリア様の身体を抱き直し、少女の後ろに続きながら声をかける。
「私はナターシャ様の乳母の娘よ。 歳も近いからナターシャ様の専属侍女見習いをさせていただいていたわ……この通路は淑女教育のお勉強から脱走されたナターシャ様が、祭壇に逃げ込んで教師から隠れた際に偶然見つけられたの」
足取りに迷う様子はなく、歩いていく姿に、少女がこの通路を使い慣れていることが伺える。
「この通路はどこにつながっているんだい?」
「王都の外よ、母様とナターシャ様が脱出された先にある小屋に出れるわ」
何箇所もの分かれ道すら迷わずに進む少女に付いていくと階段があり、少女はためらいなく登ると、天井を押し上げようとしている。
「あれ? 開かない!? なんで?」
一生懸命に天井となっている板を押し上げるものの、動く気配がない。
「シオル様、場所を変わってください」
後ろについていたロンダークと場所を変わると、ロンダークは板を持ち上げるようにしてなんとか隙間を開けると、少女に自分の剣の鞘を隙間にねじ込ませた。
「どうやら板の上に何かで重しをされているようですね」
そう告げて、体勢を立て直すと一気に力を入れて、人が通れる広さにこじ開けて、身体を隙間に潜り込ませる。
少しすると、天井板がはずされ、ロンダークが顔を出した。
「どうやら小屋のようですが、人の気配はありませんね……」
そう言ってロンダークは少女に手を貸して通路から出るのを手伝うと、私からマリア様を引き取り、小屋にあった大きな作業机に寝かせた。
通路から出た私は、自分たちが今出てきた通路に外したばかりの蓋をはめ直し、何か重しにできそうな物を物色する。
この小屋は木こりか何かの作業小屋かなにかなのだろう、小屋の隅に置かれた雨水を貯めておく為の大きな茶色い土瓶があったのでそれを置いて重しにする。
「ぐっ……こ……こは?」
「マリアさま!?」
背後から聞こえてきた声に、反応した少女がマリア王妃の手を握る。
「あぁミイシャ、無事だったのですね……良かった……」
弱々しくミイシャと呼ばれた少女に手を伸ばすと、ミイシャはマリア王妃の手を取り、自分の頬に当てた。
「はい、おそばを離れてしまい申し訳ございませんでした」
ボロボロと大粒の涙を流しているミイシャを慰めるように、マリア王妃がミイシャの頭を優しくなでた。
「良いのよ、貴女が無事で安心したわ」
「まっ、マリア様」
穏やかに見える微笑みを浮かべていた顔を歪ませて、マリア様が激しく咳き込んだ。
口元には咳き込んだ際に出血したと思われる鮮血が混じっている。
痛みに苦悶の表情を浮かべながらヒュウヒュウと音が出るほど呼吸を繰り返すマリア様の唇や顔がチアノーゼで次第に紫色に染まっていく。
もしかしたら落下した際に肺を傷つけたのかもしれない。
「マリア様」
ミイシャの後ろからマリア様の顔が見える位置に移動する。
「これは……シオル殿下……このような…、すっ、姿で…もっ、申し訳ありません」
「無理に喋ってはなりません、お気になさらずに、マリア様はバルコニーから落ちたのです、無理をなさってはなりません」
身体を起こそうとするマリア様を止めて改めて寝かせる。
「シオル殿下……おっ、お願いがごっ、ございます……娘をお助けください」
必死に伸ばされた手をとっさに掴む。
「なっ、ナターシャは……ミイシャのはっ、母とおっ、王家の隠し通路から逃しました……あの子のほっ、保護を……ゴホッ!」
そこまで告げると、咳き込んだ拍子に大量の血液が口から吐き出された。
「マリア様!」
ミイシャは泣きじゃくりながらマリア様の空いている手を握り締める。
「必ず見つけレイナス王家が保護いたします」
掴んだマリア様の手をしっかりと握り締め約束する。
私の言葉に安心したように小さく微笑み頷くと、それまで私の手を握っていたマリア様の手が支えを失ったようにだらりとたれた。
「まっ、マリア様? マリア様!?」
「ミイシャ、どいて!」
恐慌状態に陥ったミイシャをどかすと、頸動脈に指を這わせる。
脈が無い……私はすぐ様机の上に飛び乗り、ロンダークとマリア様の蘇生を試みる。
人口呼吸なんて文化はこの世界には無い、それでも!
片手でマリア様の額を引き下げて、顎先を持ち上げ気道が塞がらないように確保し、二回息を吹き込み胸部の中央部を両手で約5cm沈むまでしっかり圧迫する。
心臓マッサージを30回と人工呼吸2回を繰り返して行く。
1分間に100~120回の速さで圧迫と人口呼吸を繰り返す。
もどれ! もどれ! 戻ってよ!
人口呼吸と心臓マッサージを必死に繰り返す。
どれくらいそうしていただろうか、私の姿を見ていたロンダークが私の腕を掴んで心臓マッサージを止めた。
「シオル様……王妃殿下はもう……」
静かに首を横に振るロンダークの姿に、私はゆっくりとテーブルから降りてマリア様の両手を胸の前で組む。
ミイシャは床に泣き崩れた。
血で汚れた口元を、持っていたハンカチで、綺麗に拭う。
なんて無力なんだろう……友の家族を救いたくて、レイス王国の王都へと戻ってきたのに救うことが出来なかった。
フラフラと小屋の中を歩き、外へと繋がる扉へ手をかける。
「シオル様どちらへ?」
怪訝そうな表情を浮かべるロンダークの顔を見る。
「ナターシャ姫を捜しに行く……」
「殿下!」
私を止めようとするロンダーク。
「ロンダーク、マリア様のご遺体を確保し、ゼスト殿に引き渡せ」
「しかし!」
「命令だ」
低く告げるとギリリと何かを握り込む様な音がした後に小さく「御意」と声が聞こえた……
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