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7.男の顛末

若干、小児性愛者による加虐描写があります。抵抗ある方はお控え下さい。

 オルジフ・バルトニクは、バルトニク海運商会を一代で大商会へと育て上げた辣腕家として知られる。

 元は妾腹でありながら、その才能をもってバルトニク商会の後嗣となり、両親や異母兄弟亡き後、妻も持たずただ商会を発展させることにのみ心血を注いで、ついにはバルトニク商会を他国の貴族にも顧客を抱える、三大陸を跨ぐ大商会へと育て上げた。


 しかしながら多く誤解されているところではあるが、オルジフに父や異母兄弟のごとき商才は微塵もない。彼の唯一にして最大の才能とは、他人の顔色を窺うことである。他者につけいり、その弱みを見抜く能力だけが抜群に優れていた。その才能一点をもって、オルジフは実母にさえ疎まれた妾腹の地位から現在の立場にまで上り詰めたのだ。

 オルジフの権力への志向は、他人の顔色を窺い続ける人生から、他人に顔色を窺われる人生へと逆転したいという欲求の現れに他ならない。

 つまるところ辣腕家オルジフ・バルトニクの本性とは、肥満した自己顕示欲の化身なのであった。


 だがオルジフ自身は自分の生き様に概ね満足している。

 金もある。権力もある。叩けば埃しかでない身ではあるが、叩けば埃ばかりの商会を支える上顧客はみな、叩けばオルジフ以上の埃が出る輩ばかりだ。持ちつ持たれつ、此方の顔色を窺う顧客の顔色を窺い返しながら、適度な飴と鞭をくれてやっている限り、オルジフの安寧は保障されている。顧客達は自分自身の安寧のために、オルジフまでをも守らねばならないからだ。


 結局は金である。金さえあれば、見栄と高慢さだけが取り柄の破産寸前の貴族は冷たい石床の上に膝をつくし、好きなように買った奴隷を好きなように処分しても咎められることはない。なぜならそれだけの権力を、オルジフは金で買っている。


「――56番さまが、落札致しました!!」


 やはり金だ、とその時もオルジフは脂肪を蓄えた頬を満足げに緩めた。また新しい権力を金で買うことができた。



 金があっても、権力があっても、運と機会がなければ手に入らないものがある。大抵のことなら運や機会までも金でねじ伏せるオルジフにさえ、“輝核石の魔獣”はお目に掛かることすら侭ならぬ代物だった。輝核石の偽物さえ掴まされたことがある。

 だからこそ、欲しい。

 輝核石から生まれたばかりの魔獣が出品されると聞いて、矢も楯もたまらず駆けつけた競りの会場で(くだん)の魔獣を見た瞬間、その気持ちは抑えきれないほどに膨れあがった。


 まず、人型と言うのがいい。その珍しさは十二分に誇示の対象になる。

 そして、それが幼い子どもの姿である、というのがもっとよかった。


 オルジフに妻はいない。娼婦も男娼も買わない。だが性的不能者ではなく、彼の欲望はもっぱら自らの奴隷に向けられる。

 それは娼婦や男娼に比べ、奴隷の方が不可逆的な傷を加えても、あるいは死に至らしめても対処がしやすい、()()()()()()()()()()()()。そんなもの、金で買える力でどうとでもなる。

 そうではなく、ただ、もっと()()()()()()オルジフは興奮しないのだ。

 幼く、か弱く、小さい者を、泣き喚かせ、痛めつけ、尊厳を潰し、肉体と精神を虐げて初めて、オルジフは満足できる。

 オルジフにとっての至福の時とは、奴隷の痛苦と哀願に塗れた悲鳴を聞きながら気に入りの果実を食む一時である。最近の気に入りは南国産の房状に実を付ける珍しい果実だ。葡萄の仲間だが大ぶりな果実は葡萄より水気に富み、口の中で噛み締めると小さな破裂の振動と共に甘い果実が咥内に弾け散る。同じタイミングで鞭を振るい柔い肌を弾けさせるのがたまらない。


 ――その至福を、もしも、多くが恐れ羨む魔獣で実現できるとしたら?


 契約獣と化した魔獣は、主には絶対服従なのだという。凶悪を秘めた、しかし主にだけ従順な稚い男児の形をした魔獣を屈服させ、支配できるとしたら。

 想像するだけで、骨の髄から全身が痺れた。


 ともすれば震えそうになる両足を叱咤し、足下で媚びる奴隷を蹴りのけてオルジフは立ち上がる。「56」と記された角札をテーブルの上に置き、じっとりと掌を濡らす汗を手巾で拭ってから、やはる気持ちを抑えて殊更泰然とした足取りで舞台へと向かった。

 羨望と無念の眼差しは、いつ浴びても心地が良い。



 競りの司会役も務めていた魔術師の男はオルジフにこう説明した。


 これから行うのは、完全なる主従契約のための儀式である。

 そして何れも契約とは「血」と「名」によって為されるものである。

 従ってこの未だ己が名を持たぬ完全にまっさらで無垢な魔獣の魂に、血と「名付け」によって主の存在を刻み込んだ時。

 この獣は永劫唯一、主にのみ付き従う契約の僕となるであろう。


 我が身が血を流さなくてはならない恐怖は、舞台下から送られる好奇や羨みの視線と、そこまでしなければ得られぬ希有を手にする興奮に塗り潰された。


 魔術師の合図で、2人の下男が魔獣を左右から挟むように立った。

 1人は体を動かさぬよう双肩を押さえ込み、もう1人はその太い手で魔獣の頭部と顎下を掴むと、無理に口を開かせてからそのまま固定する。

 それまで大人しくしていた魔獣も、流石にこれには抵抗を示したが拘束術に制限されて鎖を多少喧しく鳴らした程度でしかなく、一見過度な拘束に対する幼子のあえかな抵抗として、かえってオルジフの興奮を煽ったに過ぎなかった。


「56番さま。これに付ける名はお決めになりましたか」

「ああ、決めた」

「では、先程お教えしました通りに。貴方様がご自分の名を名乗られる際には、私の魔法で会場の他の方々には聞こえぬように致しますのでご安心を」


 「うむ、すまない。助かる」と返す言葉が少々苦笑混じりだったのは仕方がない。そういう体裁を取る方が誰にとっても都合が良いこととは言え、実際には56番の正体を知らぬ者の方が少ないはずだからだ。もっともそれは56番ただひとつに限ったことでは、むろんないが。


「――ッ、!」


 大きく開いた魔獣の口の真上にかざした左の掌を、魔術師の持ったナイフが切り裂いた。

 飲み込めなかった悲鳴と共にオルジフは反射的に手を引こうとしたが、細腕とは思えぬ力の強さで魔術師はオルジフの手首を握り締め、押し出されるように血液の滴りが筋に分かれて魔獣の咥内へと落ちていく。

 魔術師の目配せで、顎を押さえていた下男が今度は無理に口を閉じさせた。

 白い喉が微かに動くのを目端に捕らえながら、魔術師は一時的に傷口に手巾を巻かれているオルジフを促した。


「さあ、56番さま」

「あ、ああ……」


 ごくりとオルジフは息を飲む。教えられた言葉が口をついた。


「わ、我が名はオルジフ・バルトニク。我が血を以て、(なれ)の魂に我が名を刻み、我が血と名を以て、汝に魂の名を刻む者である」


 己が名を持たない魂は柔らかい蝋のようなもので、魔獣に血を与えることでその魂に影響を及ぼすのだと魔術師は言った。そして、封蠟に印璽を押すようにその所有を明らかに刻み込むのが名付けなのだと。


 血は与えた。

 血の主の名も教えた。

 残る儀式の行程はたったひとつ。


 魔術師の手によって、魔獣の目を覆う術布が取り払われる。

 想像通りの幼いかんばせが露わになった。ふるふると瞼が痙攣した後、魔獣はゆっくりと目を開ける。貴石ともまがう青と緑の色違いの目の中に、自分の顔が映り込んでいることをオルジフは確認した。


 その双眸にしかりと自らの姿を映し込んだ上で、名付けを行えば契約は完遂する。


 ――これで、この獣は儂のもの。


 与える名はもう決めた。

 歯を入れれば、口の中で弾けるあの甘い果実。それと同じ名をくれてやろう。ただ我が富と悦のために存在すべき獣には似合いの名だ。


 ぱちゅん、と心地良く果実が弾ける音まで幻聴した時。

 会場の灯りが全て落ちた。


 完全な暗闇の中で、オルジフの意識が刹那呆ける。

 次の瞬間には絶叫をあげた自分が、何故叫んでいるのかオルジフにはついに理解できなかった。

以上、オルジフさんのターン終了。

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