22.
――もう最悪だ。
そろそろ新しい場所に移ろうと決めて地図を広げ、安馬車の旅を始めたところまではまあ良かった。進みは遅いし良く揺れるしで、時間と腰に負担はかかるが、次々と旅の連れ合いが変わっていくのが乗合馬車の飽きないところだ。
眺めるか関わるかはその時次第だが、今回は途中から乗り込んできた可愛い兄妹と知り合えた。真面目そうな兄とお転婆な妹の組み合わせはじゃれ合いを見ているだけでも微笑ましく、話をすれば楽しくて、おまけに興味深かった。
だが、楽しい時間は急転直下奪われた。
まず痣になるほどきつく縛り上げられた上、「運がなかったと思って我が身を嘆け」などという科白を浴びせかけられた。記憶を抉る科白だ。きつく蓋をした心的外傷をこじ開けられて、この男絶対許さんとヴィカが固く心に決めた瞬間である。
その後溜飲は下げることができたものの左手は見事ボロボロだ。加えて掌には薄気味悪く生柔らかい一瞬の感触が今も残っているような気がして、すこぶる痛い上に極めて不快である。
安くない魔法石もそれなりの数消費した。村に着いて早々、被害品の正確な確認をさせて欲しいとのことで自警団に全て預けたが、補償は期待できそうもない。補充するのに、ふところへの打撃は避けられないだろう。
――もう十分なほど最低の気分だっていうのに、挙げ句の果てがこれだというのだから。
「正直に言って」
ヘクターやユーゴが何かを言う前に、ヴィカは更に言葉を続けた。
「疲れていますし、傷は痛いですし、機嫌もよくありませんので、言葉遊びにおつきあいしたい気分ではありません」
意識して真っ直ぐ背を伸ばし、ヴィカは男達を交互に見やった。視線は最終的にヘクターの顔の上で止める。
「わかりやすく、いきませんか?」
「同じ畜生でも牛の方だと?」
「言葉遊びにつきあう気分ではないと言ったばかりのはずですが。学のない只人のようなことを言うんですね」
「ご立派な教育を受けてる魔術師殿と違って、頭が悪いんでね」
「おやそうでしたか。学のある戦いぶりと感心していましたのに、牛にも劣るとは」
「実直なもんでな、獣の皮を剥いで被るなんて血生臭いことなんざできやしないさ」
「ふふふ」
「ははは」
「わかりやすくいきませんかっ!?」
耐えかねたようにユーゴが口を挟んで、ヴィカは内心でははっとしながらも、表面上は冷たく鼻を鳴らした。思った以上に自分の気分がささくれていることを自覚する。
うっすらと眉間に皺を寄せながら、ヴィカはひとつ長めの息を吐いた。自分の不愉快や不機嫌を積極的に取り繕いたいとは思っていない。むしろそれは伝えたい。だが一方で、敵対したいわけでもないのだ。
「失礼を。繰り返して言い訳させてもらうと、機嫌も気分もあまりよくありません。感情的な物言いになって、嫌な思いをさせてしまったらすみません」
相手の反応を待たずヴィカは言葉を繋ぐ。
「しかし、嘘つき同士……いえ、そうですね、こう言った方が正しいでしょうか、――不都合な嘘をつかれていると思っている者同士の会話ほど、虚ろなものもありません」
「誤解があると言いたげにも聞こえるな」
間違いなくあるよ、と声を大きくする代わりにヴィカは小さく肩を竦めてみせた。
疑念とは、一定の水準を超えた時点で他の何物をも栄養にし始める厄介な代物だ。そうなれば焦ってみせようが余裕をみせようが変わるのは精々人間性に対する印象ぐらいのもので、――だと言うのなら、ヴィカは余裕ぶる方を選ぶ。
かつてあった忘れがたい体験の中で、彼女が得たほとんど唯一と言っていい認められるべきものは“擬勢は露見しない限り有用なのだ”という明瞭な経験であった、とヴィカ自身は考えている。ならば左手を疼かせる激痛さえ、今は白々と呑んでみせねばならない。
「その点までを含めて、お互いに不名誉な状況から脱しましょう」
腹の探り合いも出し惜しみも事態の好転には繋がるまいとヴィカは踏んで、開いても構わない手札は全て自ら開くことにした。
「ではまず私から。既に見抜かれていることなのかわかりませんが、後出し扱いで不要な誤解を招くのも嫌です。確かに私は嘘をついていました。私は、魔術師ではありません。そんな高等な教育など受けたこともないしがない魔女です」
へえと感じ入ったようにヘクターは眉を上げたが、ヴィカにはそれがいかなる感情の表れなのか判断できなかった。そもそも真か演技かも知れない。先程の刺々しい言葉の応酬の時に感じた朗らかな険すら今や感じないのだから、全く、まさしく、手慣れているという感想以外にない。
そう思うと本当に少しおかしくて、ヴィカも軽く唇の端を上げた。
畑を耕し、牛の世話をし、偶の旅人をもてなす日常で、一体どうすればこんなに尋問慣れできると言うつもりなのだろう。馬上から外さず弓を射り、手指と目線の合図だけで連携を取り、剣を鍬や鋤のように振り下ろし叩き付けるだけでなく引き斬ることを体得している。一体どんな村にそんな集団が住んでいるというのだ。
そんなことを考えながら、ヴィカはテーブルに両肘をつく。そしてその肘の位置よりも外に向け両腕を開いた。目の前の二人の男を両方の掌で指し示すようにして、薄く笑う唇の形を保ったまま、言う。
「そして一方貴方がたは、村の自警団ではない」
言い切ってやる。これもひとつの擬勢だ。
「少なくとも、貴方がた二人と今日私達を助けてくれた人達はみんな。もっときちんとした場所で、系統だった訓練を積んできている方達ですね? ……正式な、と言い換えても構わないかもしれませんが」
最後の一言に強い根拠はなかった。寄り合い程度の自助組織とは質が違うというのが男達に対するヴィカの認識の正しい度合いだったが、大きな齟齬を起こしにくそうな、けれど強い言葉をあえて選択した結果はすぐに出た。
ニッと歯を剥いてヘクターが笑ったのである。
「慧眼感心する。じゃあもう当然、俺達があんたをどういう立場に置いているのかもわかっているんだろうなあ」
ヘクターはガリガリと首の裏を掻いた後、その掌を立ててヴィカの方に向けた。再び口を開こうとした彼女を制した形だ。
「お察しの通り、窓の下に立ってんのも、階段の側に立ってんのも、今扉の向こうに立ってんのも、巡回や警護じゃない。全部あんたに対する見張りだ」
ヴィカは軽い力で唇を結んだまま、両目を僅かに細める微笑むような仕草を科白への反応とした。えっ窓の下にもいたの、などという冷や汗を交えた本音は腹の底に押し隠す。全力で柔らかく唇を結ぶという矛盾を筋肉に命じながら、ヴィカはヘクターの声を聞いた。
「んじゃ、改めて名乗ろうか。シュヴェーヌ王立騎士団・第二騎士隊・隊長のヘクター・ハンコックだ。で、こっちが」
「副長のユーゴ・コルケットです」
ヘクターに親指で示されたユーゴは、どうやら標準仕様であるらしい下がり眉のまま一度ちらりと傍らのヘクターの顔をうかがった後、言葉を引き継ぐ。
「さてでは魔術師改め魔女殿。お互い改めた立場で、改めて話を始めようじゃないか」
シュヴェーヌとは国の名である。どこの国かと言えば、ここのだ。そして王立騎士団と言えば、国の守りの要として王国の治安維持全般を司っている。その下で細分され、通し番号を振られた騎士隊は、冠する番号が若いほど国安の中枢に関わっている、というのは当該の国に住まう殆ど誰しもが知る常識だ。
自分の口許が誤魔化しようもなく引き攣ったのを、ヴィカは自覚している。




