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20.

 カレルは霞がかかりそうな視界で、ハナを見ていた。

 成長するにつれて収まっていったが、赤ん坊の頃は泣けば物を浮かせていた妹だ。けれどどんなに大泣きしている時でも、これほどではなかった。

 カレルは横たわったまま、「ハナ」と囁く。ハナ、ハナ。でも、妹は顔を上げない。声が届いていない。

 ハナ、と。また唇を動かすカレルはハナの方を懸命に見つめていて、だからその向こうにいる山賊達や、更にその後ろにいる山賊の(かしら)や、そして魔術師の女の人の姿も視界には入っていた。

 だから、それも、見ていた。

 何が起こったのかはっきりわかったわけではない。ただ、頭の男に正面から体当たりした魔術師の女の人の手元から一瞬赤と白が混じったような閃光と音がわき起こり、次の一瞬で地面に膝をついた男が股間を両手で覆って絶叫したのを、見て、聞いた。

 ……何が起こったのかはっきりわかったわけではないが、朦朧とした意識にも冷たいものが走る光景だった。カレルとて男である。


 それがよかったと言っていいのか、次の間に女の人が放った鋭い声は、カレルの中に明確に響いた。


「カレル! 起きなさい!」


 彼女の目線は、カレルに向いてはいなかった。左の掌から血を滴らせ、また両方の手首の擦過傷にも赤を滲ませながら、残る山賊の男達を睨み据えている。右手の内でじゃりじゃりと取り戻した装飾具の残りを揉み鳴らしているのは明らかな牽制で、その効果のほどは動かない男達が証明している。

 魔術師の女の人の声かけに、何人かの山賊がちらりとカレルの方を見たが、脅威の差は明らかだ。人質に使うにも山賊達とカレルの間には今もなお泣き叫ぶハナがおり、それを乗り越えてまでカレルに近づこうと即座に判断できるような者はいなかった。


「カレル!」


 再度の呼びかけに、カレルは身を起こした。踏ん張る両腕はぶるぶると震え、浅い呼吸を繰り返すたびに胸や腹が痛んだが、しかしカレルは起き上がった。あるいは、起き上がれた。そのことに少なからず驚いたのはカレル自身だ。

 骨を痺れさせ内臓を押し潰すような痛みと衝撃の記憶は今も生々しく、口の中には胃液のえぐみがまだ残っている。それなのに、()()()()()()()()()()

 けれど疑念がそれ以上先に進むことはなかった。再び魔術師の女の人の声がカレルを鋭く呼んだからだ。


「ハナを止めなさい!」

「と、め……?」


 掠れた声を零しながら、カレルは女の人と妹の間で視線を交互させた。明らかな困惑の仕草の後、カレルは荒い息の元で「どうやって」と聞き返そうとしたが、最初の一音を発した辺りで別の大声に遮られた。


「ヤベエ! 自警団だ!!」


 そこで初めて、カレルは座り込んだ地面の下から伝わってくる振動があることに気がついた。鋭い風切り音に紛れる馬のいななきにも。

 山賊達も、魔術師の女の人も、そして息を殺し身を縮め固唾を呑んで事態を見守っていた馬車の乗客達も全員が一度同じ方を向き、そして、空っぽの箱馬車の向こう、緩やかな上り坂をのぼって現れる幾頭もの馬の頭を見た。

 まず動いたのは山賊の男達だった。一人が駆け出し、次の瞬間には全員が追随した。股間部と両手を真っ赤にしてうずくまる頭に目をやる者もあったが、それだけで、つまりは見捨てることにしたのだろう。男達が走る先には、彼らが乗ってきた馬がいる。

 だが山賊達より先に馬の元に至ったものがあった。魔術師の女の人が投げた指輪である。その投擲自体にも何らかの魔術が用いられていたのか、早く鋭く空気を切った三つの指輪は、(あやま)たず馬の足許に落ちた。そして続けざまに、風と音を破裂させる。それは馬の体を傷つけるほどの威力ではなかったが、ハナの起こした竜巻に既に興奮していた馬達を錯乱させるには十分だった。山賊達が手綱を掴む間もなく、馬はめいめいに駆け出していく。


 その後の山賊達の行動は割れた。しかしいずれも遅すぎた。

 山林に逃げ込もうとした者達は、網縄の両端を持つ二頭の馬上の男達に山道の端を両側とも柵された。他の乗客を新たな人質にしようときびすを返した者達は、その間を断つように駆け込んできた馬と馬上から向けられる剣の切っ先に阻まれた。自棄のように魔術師の女の人に向かった者もいたが、これは彼女が魔法石を投げつけるより先にその足を矢に射られた。

 ――すなわち、自警団が到着したためである。


 目の前で繰り広げられる捕り物を半ば茫然と見つめるカレルの目の先で、新たに現れた男達の幾人かが、ハナを遠巻きに囲み始めた。あ、と声をあげかけたカレルの肩を、何者かが強い力で掴む。そして彼女は、男達に向けて声を張った。


「待って! その子は彼が止められる」


 どちらかと言えば鋭いに属する視線を複数向けられてカレルは怯んだが、魔術師の女の人はそうではないようだった。


「その子の兄よ。怪我させずに止められるんじゃないのなら、下がって!」


 男達は互いに短く目配せし合った後、同じ方向へと振り向いた。すると剣を片手にした男の一人が無言で浅い頷きを見せた後、何も持たぬ方の手を軽く振るう。それを確認してハナを囲んでいた男達が、警戒は解かぬまでも切っ先を地面に向けて後退するのをカレルは見たが、安心できたとは言えなかった。先も感じた同じ困惑が再び頭をもたげ、カレルは魔術師の女の人を振り仰ぐ。

 女の人は右手を肩に置いたまま、しゃがんでカレルと目線を合わせた。


「と、止められるって」

「できる」

「そんな、でも俺、どうしたら……」

「それもわかるはず。だって、カレル。ハナが泣いたら、泣き止ませるのはあなたの役割だったでしょう?」


 問いかけの形は取っていても、そこには確信しかなくて、カレルは目を見開いた。


 ――どうして、この人がそんなことを知っているんだろう。


 いつも必ずというわけではなかった。ハナが成長するにつれてそんなことも減っていった。けれど、妹がもっと幼い頃、泣くだけで皿やスプーンを浮かせたり、机や椅子をがたがたさせていた頃、泣く彼女をあやし、落ち着かせるのはいつだってカレルの役目だった。カレルだけがそれをできた。


「カレル。ハナは泣いてるだけだよ」


 魔術師の女の人が、ハナを指差した。


「兄ちゃんが死んじゃうと思って、泣いてる。そんな怖いこと初めてで、どうしたらいいのかわからなくて、自分の心に追いつけなくなってる。怖がってる」


 妹が怖がっている時、兄ちゃんはどうしてあげていた?

 静かな声で問われて、カレルは改めてハナの姿を見た。風の渦の中心でうずくまって、顔を隠して、わんわんと声をあげている、小さな、妹。

 昔宙に浮いていたスプーンと今渦巻いている風は同じものなのだと、多分そういうことを言われているのだ。


「私では、ハナにケガをさせないのはきっと無理。彼らもそう。でもカレル、あなたならできる」


 カレルは再び、魔術師の女の人に目を合わせた。

 じっとその目を見返した後、女の人は微かに口許をほころばせた。安心させるように、もしくは、安心したように。


「あの風は、私が止める。でもずっとじゃない。そんなに長くじゃないよ」


 言外に覚悟を問われ、カレルは頷いた。頷きも、続けた声も自信たっぷりとはいかなかったが、ひとつ息を呑み、


「スプーンが天井にぶつかったことは、一回しかないんです」


 と言った。

 女の人は怪訝な顔をしたが、カレルの顔付き自体は気に入るものだったのだろう、また口端を僅かにつりあげた後、カレルの腕を引いて立ち上がった。

 

 「さて」と呟いた魔術師の女の人は、広げた自分の両手を見下ろして一瞬考える素振りを見せた。そして鼻から溜めた息を抜くと、首に掛け戻していた石飾りから頭を抜いた。細石(さざれいし)を不等間隔に連ねた長い細紐を左手に巻き付ける時、眉間に皺が寄っていたのはやはり痛むからだろうか。

 彼女はその手をカレルの視界から隠したが、僅かに見えた掌は指の腹まで一面真っ赤な色をしていた。カレルは彼女の左手が放った閃光を見たことを思い出した。焦げた空気の臭いを嗅いだことも。

 カレルの身震いに気づいた女の人は、右の方の掌で一度彼の頭を撫でるように叩き、それから「行くよ」と強い声で言った。


 短い距離を詰める間に、風の勢いは一気に強くなった。はじき飛ばれた小石が耳の側でヂッと鳴ってカレルの足が怯みかけたその時、カレルに一歩分だけ先行する女の人が鎌風の壁に真っ直ぐ左の掌底を打ち込んだ。伸びきった太いゴムが千切れたような、分厚いガラスが割れたような音が響いたと、そう思った瞬間には、一切の風が消失している。舞い上がっていた髪や衣服が元に戻るのだけが唯一の余韻で、カレルは呆気(あっけ)にとられたが、その背を強く押されそのまま前に出た。


「ハナ!」


 妹は顔をあげない。突如止んだ風にも無関心に、いや、恐らく気がつかず、うつむいて顔を覆っている。


「あああああああ゛ん゛!! っぇ゛、ぅあ゛、あ゛あ゛ああああん!」


 声が掠れかけているのも、えずくようなしゃくり上げが時折混じるのも、幼い喉には既に酷使が過ぎているからだろう。聞いているこちらが痛くなるような泣き声に、カレルの顔もくしゃりと歪む。


「ハナ! ハナ!」


 地面に膝をついて座り込み、カレルはハナの両肩を掴んだ。その途端、どっと彼の体を打ち付けるものがある。目には見えないものだ。体の内側で起こったできごとだ。妹の肩から、カレルの掌を伝い、両腕を駆け上って、彼の中に押し寄せる奔流を、カレルは確かに感じた。

 その事実は、彼を()()()()()。なぜなら覚えている。泣くだけでスプーンを宙に浮かせていた妹を。感情に引き摺られて溢れる魔力を抑えられず泣いていた妹を。熱く疼く魔力に振り回される妹を抱きしめるのは、少し大きくなってからは手を握るのは、いつだってカレルの役目だった。カレルだけが、それをできた。

 ハナの魔力を感じる。正しい出口を見失って、ただ闇雲に彼女の中で荒れ狂っている。抑えきれずに無理矢理溢れ出したものが、物を浮かせたり渦巻く風になったりするのだ。けれどその大部分は、小さな体の中に押し込められたままだ。

 だからカレルは、道になる。自分の体を、道にする。

 それが正しい言い方かとか、どうやっているのかとか、そんなことはカレル自身にもよくわからない。


「ハナ! 兄ちゃんだよ! 大丈夫! 兄ちゃんは、ここにいるから!」


 カレルはハナを抱きしめる。触れ合ったところから、熱いような息苦しいようなものが押し寄せてくる。

 どくどくと心臓の鼓動が体中に響く気がする。閉じた目の奥が熱くなって、何かがこみあげてくる感覚は泣きそうな時にそっくりだ。首の後ろや、背中の真ん中が熱くなる。そこから、何かが抜けていくのをカレルは感じる。カレルを道にして、ハナの中にわだかっていた熱い塊が少しずつ解れ、大気に返っていく。

 腕の中からあがっていた泣き声が、徐々にすすり泣きに変わる。

 やがて、ひぐっ、とハナがしゃくりあげた。


「にっ、にぃ゛、ぢゃ……?」


 カレルも、強く閉じていた目を開ける。すると、溜まっていた涙がぽろぽろっと頬に零れた。


「うん、兄ちゃんだ」

「う゛っ、う゛わ゛ぁ゛ぁ゛あぁあああ! にぃぢゃぁ゛あ゛ああああ!」

「っぐ」


 泣き止ませるつもりがまた泣かれたし、胸に喰らった頭突きは大分痛かったけれど、でもこれでこそ妹のハナだった。ひとしきり泣ききったら、今度は「ハナが泣いてるのに、にいちゃんも泣いてどうするの?」なんていう憎まれ口を叩くに決まっているのだ。



 ――多分その後、カレルは気を失った。


 その場から動いた記憶も、眠った記憶もないまま、カレルは見知らぬベッドの上で目を覚ました。

 自警団の一員だという男の人は、カレルの体の調子を気遣った後、ここがカレル達が目指していた村だと言った。そして、馬車を襲ったのは魔力持ちを狙った人攫いの類だったのだと説明されて、カレルは困惑した。初めからカレルとハナを狙って、あの馬車は襲われたと言うのだ。

 その意味を正しく理解できないカレルの戸惑いを前に、自警団の男の人は怒りと同情を交えた目を細めて言った。

 君のおじさんはもう捕らえられたよ、と。


 つまりは、そういうことだった。

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