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19.

「離せ! 離せよ!」

「やっ、に、にいちゃ! にいちゃん!」


 カレルの腕を掴む力は骨が軋むかと思うほど強く、自由な方の腕をどれだけ振るっても、分厚い腰や腹にはどれほどの影響も与えられないようだった。それでも煩わしくはあるのだろう、右手でカレルの左腕を、左手でハナの首根っこを掴んでいる男は顔を顰めて舌打ちする。


「うるっせえな。だからガキは嫌いなんだよ」


 そう言って、ほとんど持ち運ばれるように引き摺られる。それほどの体格差だ。

 何もわからなかった。男達の言動を振り返る余裕などあるはずもない。ただ痛いことが怖く、男の苛立った声が怖く、互いの叫びが怖く、怖い怖いと泣き叫んでいる自分の心の声が、怖い。

 理由のわからない暴力と恐怖が幼い兄妹の心を等しく押し潰していた。

 ――でも、とカレルは思う。痛みや恐れにどれだけ掻き乱されても、心が細く弱くなっていても、それでも消し去れない小さな炎が、カレルに、でも、と思わせる。でも、兄ちゃん(おれ)が、妹を、守らなくちゃ。


「ィがッ!!」


 僅かに滲んだ視界の向こうに捉えた巨漢の向こうずねに、木底を仕込んだ革靴の先端が食い込んだ。

 退色し、いかにもすり減ったズボンは衝撃の軽減には全く用をなさないだろう。蹴られた右の膝を崩し、たたらを踏んだ男の手が緩む。転がるように地面に膝をついたカレルが、まず探したのはハナの姿だ。

 ハナは髪を乱し目を見開き、涙にまみれた顔をぽかんとさせて地面に尻を落としていた。そしてカレルとハナの二人の間には、膝を押さえて呻く男の姿がある。だから「ハナッ」と叫んで、妹の側に駆け寄ろうと前のめりに膝と腰を浮かせ、滑りながらも踏み込んだ靴の底で砂を(にじ)り、……そして顔の真横で風船が破裂したような衝撃があって、カレルは地面に叩き付けられた顔を土に擦り付けている。

 三重四重と細かな瞬間移動でも繰り返しているように残像の数を変える男が、真っ赤な顔で歯を剥き拳を突き出しているのをカレルは見上げた。自分の目線が揺れているのだと気づけないまま、だが、殴られたのだとは理解した。自分の吐く息が血の臭いをしている。


「こッの、クソガキがあ!」


 足を蹴り付けられる。本能的に腕を体に引き寄せると、二撃目が丁度そこに来た。


「ぁ゛ぐッ!」

「クソが!」


 足も必死に引き寄せて、体を丸くする。胴体を庇うような形になった腕や足を男は更に蹴った。他の山賊達は、当たり所の問題とは言え小僧の一撃ごときで悶絶した仲間のことをゲラゲラと笑っており、それが男の恥と怒りにますます油を注いでいた。


「てめーらも笑ってんじゃねえよ!!」


 ガツ、と男がまたカレルを蹴る。

 男が全力で蹴り付ければ、カレルの骨など何ほどでもない。つまりそれが男の商品に対する手加減だったのだが、気が遠く()()()()くらいの痛みに、カレルは身を縮める他ない。

 その時、男の片足に小さな影が飛びついた。


「やめろ! にいちゃんを蹴るな!」


 ハナだ。

 しかし、それこそ何ほどでもない。男はハナの首裏を上から鷲掴むと、その手と、足を振るう力だけで少女を引き剥がし、放り投げるように地面に転がす。そしてうるさげに舌を鳴らすと、カレルを斜めに見下ろした。

 背中を地面に打ち付けて、それでも唇を噛んで跳ね起きたハナが見たのは、蹴り飛ばされる兄の姿である。

 男としては、それで手打ちのつもりだった。生きていること以上の条件は聞いていないが、売り先の決まっている商品だ。これ以上はまずいだろう。だが、腹立ちはまだ治まらない。だからあとこの一発で最後にしようと、最後だから少しきつい灸にしてやろうとギリギリの加減で繰り出した足先は、腕越しながら(あやま)たず少年の腹部を捕らえ、下からすくいあげるような動きで蹴り上げられた体は、地面の上を一度二度と弾むように飛ばされた。


「か……ッ!」


 肺の空気を根こそぎ叩き出されて、僅かの間呼吸を見失ったカレルの体が痙攣する。吸う息はひゅうっとかん高い笛のような音をたて、吐く息はひどい咳き込みに変わった。せり上がる粘ついた唾液が、殴られて切れた咥内の血の臭いと味をこそぐ。咳と共に土の上に吐き出した唾液の塊には、その赤が混じっている。


 ――そこで、()()()、限界が来た。


「あ、あああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!」


 衝撃は、面で来た。自分の身長よりも大きな手に全力で平手打ちされたように、山賊の男は立姿勢のまま地面を横滑りする形で吹き飛ばされる。半身に生じた痺れを帯びた痛みは一瞬で全身に広がり、男の体を僅かの間ながら硬直させた。結果として、男は失速した体を何の受け身もとれないまま地面に擦り付ける羽目になったが、その自身の無様に、恥の上塗りに、更に激怒することはなかった。ただ、身を起こしても尻餅をついたまま、愕然と目と口を開く。


「あああああああああん! あああああああああん!」


 逆立つ髪。ばたばたと靡く服。しゃがみこみ両手で顔の上半分を覆ったハナを中心に据えて、渦巻いては小石を跳ね上げ、鎌の鋭さで雑草を刻んでは空に舞い上げる風は、「ん」で一瞬収束して「あ」で再び噴き上がる。

 針が振り切れた感情に引き摺られて、幼い少女の魔力が暴走したのだ。


 魔力も、それが引き起こした風も、魔力を持たぬ山賊達の目に直接見えるものではない。しかし渦巻く風は、威力が安定していないからこそ、少女の泣き喚きの声に合わせて激しく空気を掻き毟る、鎌風の鋭い音を際立たせる。バチンと石(つぶて)を弾く音も、寸断される草の緑も、耳に聞こえ、目に見えるものだ。そしてその重さと威力は、吹き飛ばされた自分達の仲間が証明した通りである。

 明らかに、山賊達は(ひる)んでいた。


「ッいらんことしやがって! おい! 殴るなりなんなりして、あのガキ黙らせろ!」


 それでも最初に声を張り上げたのは、流石というべきか(かしら)の男だった。しかし命じられた男達は互いに目を見交わし、頭と少女の間で視線を行き来させただけで、誰も足を動かさない。勢いだけで暴力を振るい、そして一方的に勝つことに慣れた男達は、だからこそ一度勢いを削がれると、その勢いを取り戻すのに時間がかかった。頭の男すら檄を飛ばす声だけは変わらないようだが、自ら前に出ようとはしないのだ。


「な、殴るなりって、だって、あんなですぜ?」

「飛び込んで殴り飛ばして気絶させりゃあいいんだよ! そのデカイ(なり)で何ビビッてやがる!」


 自分の怯みを隠すように頭の男は野太い声を張り上げたが、追随する声も動きもやはりない。男はギリギリと歯噛みして一歩足を前に踏み出し、更に部下達を怒鳴り上げようと息を吸い込んだ。


 少しの間を置き、山賊達が聞いたのは自分達を背中から打ち据えるような、炸裂音と激しい悲鳴だ。それは聞き覚えのある太い男の声で、しかし聞いたことがないほど悲痛な叫びであった。



 その時、頭の男が得たのは、迷いもよどみもない一連の動きだった。

 まず、一歩前に踏み出そうと足を地面から浮かせたところで、それを狙い澄ましていたかのような体当たりを後ろから腰に受けた。つんのめるように僅かによろめいた体を、体重を乗せて強く踏み込んだ足で支えながら、首をねじ曲げた男が見たのは、此方につっこんできた魔術師の女の姿である。

 女の姿勢は低い。しかもバランスが悪い。足より前に出た腰の位置は高く、そこから折れた上半身だけが更に前に飛び出て、頭と腰の高さがほとんど変わらない。

 止まることを考えない、ただ前に飛び出すためだけの前傾姿勢は、当然男の体にぶつかったところで止まれるわけもない。しかし姿勢が安定した巨躯をそれ以上押しのけることもできないため、結果として女は更に斜めにバランスを崩しながら男の体に自身の体を擦り付けるような動きで、その脇を駆け抜けることになる。

 いや、そうなるだろう、と自分の脇腹より低い位置まで沈んだ女の黒髪の後頭部を見下ろしながら頭の男は予測する。が、その目の前で女の体が急旋回した。

 原因はわかる。頭部だけが、急激に前進の勢いを失ったためだ。しかし体は変わらず前に行こうとし、結果、頭を基軸に弧を描くように体だけが前に飛び出して半周を描く。そして、その遠心力に引き摺られる形で頭部も男の体から遠ざかる。()()()()()()()()()。じゃら、と何かがこぼれる音も。

 魔術師の女が、頭の男を見た。男も、女の顔を見た。猿轡の外れた口に千切れた布の切れ端を咥え、縄の痕だけが残った右手を地面について姿勢を整えた女は、男が「は?」と思った瞬間には地面を蹴っている。そして男に飛びかかると、左手にすくっていた()()()()()()の中身を自分の平手ごと思いっきり男の股間に叩き付けた。


 閃光。破裂音。焦げた臭い。

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