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16.永久を心に、別れの言葉

 言うまでもなく、ヴィカに魔獣と契約するつもりなど微塵もない。身に過ぎた力などいずれ破滅が約束された劇物だ。

 しかしだからと言ってこの魔獣を完全に自由にすることも、そしてまた自分以外の誰かがこの魔獣と契約する可能性を見過ごすことも、ヴィカには躊躇(ためら)われた。未来においてどのような惨劇の原因になるとも知れないからだ。

 もしそうなった場合、いや、そうなったということをヴィカが知った場合、果たして彼女の心はどれほどの痛撃を受けるだろうか。なぜならその「原因」を世に芽吹かせたのはヴィカであるし、未来の可能性を予見しながらも目をつぶったのもヴィカである。そんな時がもしやってきたとすれば、自分が、態度だけは無関係を貫けても心には長く尾を引く重荷を背負う(たち)に違いないであろうことは、自身のことだからこそ容易に想像できた。


 したがって、魔獣に誓いを課すヴィカの狙いはふたつあった。しかしそのどちらも、突き詰めれば結局は同じひとつの願いだ。


 ――自分の未来の命の安全のために契約から逃れたい。

 ――自分の未来の心の安寧のために魔獣の自由を契約以外の方法で制限したい。


 すなわち、保身である。



 さてところで、誓いの軽重を決めるものとは一体何か。

 法や形式や誠実さだと答えるのは()なき者達の証だ。そしてこの場合の「力」とは、いわゆる「魔力」と呼ばれるそれである。


 誓言とは、つまるところ誓いを立てる本人自身を対象とした呪言の一種だ。力を持つ者が発する言葉であるほど、その誓いは重くなる。法も形式も誠実さも度外視して、その言葉自体が厳しい枷になる。

 そしてその力が強ければ強いほど、その誓いが重ければ重いほど、裏切り者への罰は重篤さを増すのである。


 つまり、だ。

 ヴィカにとって、魔獣が誓いを守り続けるか、それともいずれ破るかは問題ではない。どちらでも構わない。()()()()()()()()()()のだから、ただ魔獣が「誓う」と口にした瞬間に彼女の狙いは全て果たされたと言える。


 「命を奪うな」という制約は無論あらゆる惨劇を避けるためにあり、「私以外の血を許さず」という制約は、他の誰とも契約をさせないためにある。もしこの誓約を破った暁には、魔獣は自身の力の強大さゆえに取り返しのつかない深刻な痛手を負うはずだった。

 例えば、退治されるべき魔獣として討伐されやすいほどに。あるいは、契約したところで大した役には立たないほどに。


「――いいこだね」


 今目の前にある脅威を封じた確信と安堵がヴィカの表情を緩めた。偽りのない声の柔らかさは優しさをゆえとするものではなかったが、魔獣はぱちぱちと瞬いた後一度目を伏せ、それからまたすぐに上目遣いでヴィカの顔をうかがい見た。

 仕草の意味を考えることはせずに、ヴィカは背中を押し付けていた壁から身を引き剥がす。途端に背中全体から冷えを感じるのは、びっしょりと濡れて張り付いた服地のせいだ。


「さあ、それじゃあ」


 大扉に刻まれた魔方陣を視界に呟く。

 待っていてもいずれあの扉は開くに違いない。だが、それを待つのでは不都合だ。ヴィカは、魔獣との一切の関わりを断ちたい。ひとつの接点もなかったことにしたい。生きてここにいたことを、生き残った者がいたことを、誰にも決して知られたくない。だから当然、魔獣に扉を壊してもらうなどという方法もなしだ。


 幸いにして、手はあった。

 いまだ少しよろめく足で、ヴィカは壇上を歩いた。床板の割れ目を避け、左手のない死体の隣を通り、ひしゃげ潰れた檻を避けて、跪いた先は魔術師の男の(むくろ)の脇である。生前の糸目が嘘のように見開かれた両目から断末魔の苦しみを読み取ることはできなかった。

 ただただ虚ろに濁った両眼に映り込む自分の顔から目を背け、ヴィカは魔術師の首に両手を伸ばす。指先の不快なぬるつきに顔を顰めながらも、男の首裏をまさぐり、やがて見つけた留め具を外した。そうして彼女が手にしたのは、魔術師が使っていた拡声のための魔具である。

 そして立ち上がり、再び膝をついたのは半ば消えかけた魔方陣の傍らだ。


「なに、を?」


 声は離れた場所からかかった。魔獣である。

 ヴィカが目を向けると、魔獣は元の場所から一歩も動かないまま、しかし落ち着かない様子で彼女の方をうかがっていた。


「来てもいいよ」


 少し考えてから、ヴィカが許可を与えてみると、正に跳ねるような勢いで立ち上がった魔獣はすぐにそばまでやってきて、ヴィカを真似るようにしゃがみ込む。待っていたらしい。

 正直に言って近さに()じたが、もうすぐ遙か遠くに離れるのだと我慢する。


 魔方陣の上に散らばった椅子や床の残骸を払いのけた後、丁度真ん中に首飾り型の魔具を置く。

 それから払いのけた残骸に目をやり、中から金属の破片をひとつ拾い上げた。魔獣がひきちぎった枷の一部である。ヴィカは先の尖った断面を上にして握り直すと、そのまま右の掌の傷口にあてがい一息で横に引く。


「っ」


 溢れる量を増した血液を、揃えた左の人差し指と中指で拭った。ぐっと傷口に指先を押し込むようになぞれば、目が覚めるような痛みの代わりに指先が赤に塗れる。

 真新しい、また唯一許された血の匂いに魔獣の目が輝いたが、ヴィカが反射的に「許可しない」と鋭く告げると目に見えて肩を落とした。命令への服従は誓約の内容に加えていなかったが、自主的に従うというのなら否もない。命を守れる僕、であろうとしているのだろうかとちらりとだけ思う。

 そんなことを考えながら、ヴィカは赤く濡れた指先を床に押し付けた。そのまま指先を滑らせると、掠れた朱線が床に尾を引く。朱線が完全に途切れる度に、傷口を抉り直し、落ち着きなく身動ぐ魔獣からあえて目を背けながら、ヴィカはそうして魔方陣を繋ぎ直した。途切れた外線を円状に繋ぎ、消えた文字をなぞり、不要な文字を消し、新たな文字を加える。魔具の持ち主であった魔術師の気配を完全には消し去らぬよう、しかしヴィカの望む術を発動させられるよう、魔方陣を組み替えた。

 陣を完全に組み直す頃には、ヴィカの両手は散々たるもので思わず溜息が漏れる。それから、その手に爛々とした視線を注ぐ魔獣に気がついて二度目の溜息をつきかけたが、思い直したように右手を掲げる。


「口を開けて、舌を出しなさい」


 従順な魔獣の舌の上に手を翳し、ぐっと一度拳を握った。


「褒美の先払いです。もちろんお前は、主の命を守れる()()()ね?」


 数滴の滴りをおさめた口をしっかり閉じ、ややして上下する喉の動きに、ぞわぞわと背筋が震えるのを押し隠して告げる。

 言葉の続きを待つような視線に、ヴィカは紡ぎ直した魔方陣を指差した。


「私が去った後、この部分を完全に破壊しなさい。ここにどんな魔方陣があったか、いえ、魔方陣があったことすら、誰にも気づかれないように。周辺も同じようにして」

「さる……」

「ええ、一度」


 ヴィカは魔方陣の中に膝を進める。同じように動きたそうにした魔獣には、決して線を踏み越えないよう厳命した。


「あの扉はいずれ開かれるでしょう。それまでお前はここで待ちなさい」

「それからは?」

「誓いを守ると言ったのでは? それ以外のことは、自分で考えなさい。主の命をきけない僕もいらないけれど、自分で考える頭もない木偶も必要ない」


 魔獣は爪の先で床を弱く引っ掻く。

 ヴィカはまた、少しだけ声を和らげる。


「私はお前の力を知りたい。強さを、賢さを、優秀さを知りたい。私に、教えてくれるのでしょう?」

「……わかった」


 いいこ、とヴィカが褒めると、魔獣は両目を細めた。笑っているように、というにはやはり全体的に表情に乏しかったが、目元にほんのりと薔薇色が浮かんで見えたのは照明のせいだったのだと、思うことにする。


「では、そろそろお別れとしましょう」


 ヴィカは金属片を両手に握り直す。

 魔獣はもう何も言わなかった。


「試験、頑張りなさい」


 こくりと頷く魔獣の姿を横目に、ヴィカは両手を振り下ろす。

 彼女の血を帯びた金属の先端は首飾りの中央の大きな石に真っ直ぐ打ち下ろされ、カッと鋭い音が鳴り響いたかと思われたと同時、ひび割れた石の内側から溜め込まれていた魔力の塊が風と共に噴き上がった。

 大気が白く染まって見えるほどの光が辺りを包んだ。魔方陣もまた一瞬で発光し、白い空気の中で青い電光が音を立てて弾ける。

 その中で、ヴィカは、風と光に目を庇いもせずにこちらを見つめ続ける魔獣の姿を見た。

 囁くような声は、果たして彼に聞こえただろうか。


()()()()()



 ――バン! と耳鳴りを起こすほどの音がこだまして、次の瞬間には光も風も、そして魔女も嘘のように消えていた。

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