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12.違和感の理由

 ――あ、と開かれた口の合間から、真っ赤な舌と真っ白い歯列がのぞいて、消える。またのぞいて、また、見えなくなる。



 煌々と真上から照る照明は、魔獣の姿をその色味まで含めて余すところなく照らし出していた。


 とりわけ目を引くのは、その髪と目だ。

 細い首を半分ほど隠す髪筋はつややかで、白髪ではなく白銀(しろがね)と呼ぶべき光沢を放っている。しかし、凍てついた氷のような、と形容するには、毛先にいくにつれ微かに色を強くするほのかな赤みが邪魔をした。夕焼けを映した雪原の色――詩的に例えるならば、そうとでも呼ぶのがふさわしいだろう。

 色違いの双眸は、右が青で左が緑だ。じっと見れば、それぞれ瞳孔は虹彩よりも深い色をしていることもわかる。生き物の目をもって「生きた宝石」と讃える類があるが、それもさもありなんと言えた。濡れた虹彩が光を反射して生まれる揺らぎを持ったきらめきは、乾いたただの宝石(いし)には出せない(たえ)なる輝きだ。


 美は相乗するものだ。良きも悪きも、あらゆる効果をいや増すものだ。

 染みひとつない、毛穴ひとつうかがえない白い肌もそう。

 子どもらしいふっくらとした頬や、あどけない口許もそう。


 可憐で、いとけなく、美しい姿をしているからこそ、乾きかけた彼のものではない血痕はよりその凄絶さを増したし、本来ならばもっとも「生きた」魅力を添えるはずの感情の彩を宿さない双眸は、心臓を竦ませ、肺を握り込む力を強くする。


 つまりは総じて。

 あまりにも、おかしい。


 ヴィカが予感したのは、一瞬先の我が死である。

 「一瞬」というのは文字通り瞬きひとつほどの時間のことで、断じて、子どもの形をしていると思えば空恐ろしいほどの美貌を、呆然と観察する時間のことではなかったはずだ。


 それが現実はどうしたことか。嗅覚が麻痺し吐き気が治まって、涙すら落ち着くほどの時間、ヴィカはまだ生きている。

 その間、魔獣がなしたことと言えば、口唇の開閉を無意味に繰り返すことだけだ。ちらちらとのぞく整った歯列でヴィカの肉を囓りとるわけでもなく、癖のように喉元を掻く血まみれの手で腹を引き裂くわけでもない。


 恐怖と混乱一色だったヴィカの胸の内には、小さなさざなみが生まれていた。そして波の狭間からは、押し殺されていた理性の欠片が、水底からぽつりと姿を見せるあぶくのように浮かび上がってくる。


 本当に、それは無意味なことか。

 本当に、それは癖なのか。


 だが、ヴィカが疑念から推論を導く前に、答えは向こうから差し出される形となった。

 ずい、と魔獣が彼女の方に身を寄せてきたのである。


「っ、」


 鋭く息を吸い込んだ喉が、不出来な笛のような音をたてた。

 反射的に身体が逃げを打つが、へたった腰は役に立たない。腰から上だけが仰け反るように動いて、俯せ姿勢から半身を返したヴィカは、結果として魔獣と半ば正面から向かう合うような形になった。

 それに対して魔獣に大きな動きはなかった。ただ、下目づかいにヴィカを見つめながら、カリカリと片手で自らの喉元をひっかいているばかりだ。


 その時、漸くヴィカの理解が追いついた。回転の遅い脳味噌め、と自らを罵るゆとりが自分の中に生まれている事実に驚きながらも、それでもなおヴィカの胸を占める大半は分類できない感情の混沌だ。


 より正しくは「身を寄せた」のではなく「首を差し伸ばした」魔獣は、僅かに顎先を突き上げた結果の下目づかいでヴィカを捉えながら、またぱくりと口を開閉した。封じられて、声のでない口を。

 ひとの肉を容易く裂く爪が、どれだけ掻いても自らの喉を傷つけないのも当然のことだ。その爪は肉に至る前に、その間にある術布の表面を虚しく空滑りしているだけなのだから。


 その時の自分の行動の理由を説明するのは、ヴィカにも難しい。混乱していた、の一言で片付くような気もする。たとえ僅かな時間でも命を先延ばしにできるなら、という気持ちはもちろんあっただろうし、うまくすればもしかしたらという期待さえあったことも、完全には否定できないだろう。

 あるいは臆病を自認するヴィカらしくなく、けれども何より魔女らしく我が身に勝る好奇心に負けたのかもしれない。


 とにかく、身を起こして座り直したヴィカは、そろりと両手を差し出された首に伸ばしたのだ。


 場所を譲るように手を下ろした魔獣は身動ぎひとつしなかった。ただし、じっと視線だけは注がれ続けているように感じるのはヴィカの錯覚ではないだろう。

 意図して魔獣の目を視界に入れないようにしながら、ヴィカは指先で術布の表面をなぞった。薬剤に触れたように皮膚がぴりぴりとするのも、布というよりガラスを触っているような触感も、布と指の間を隔てる壁たる術の存在を明確にする。

 短い躊躇いを見せた後、ヴィカは両手指を魔獣の喉に回した。子どもの首は、彼女の両手でもほとんど覆えてしまう。ヴィカでも(くび)れてしまいそうな細い首。

 所作だけなら害意を疑われても仕方がない。恐れたような反撃が来なかったことに少しだけ肩の力を抜くと、ヴィカは両手の親指を爪を立てるようにして術布に押し付けた。ぐっと力を込め、同時に体内の魔力を親指に寄せ集めていく。

 万全の魔力量でも、万全の方法でもない。術とすら呼べない力押しだったが、今のヴィカにとれる手段はこれくらいしかなかった。魔獣自身がほとんどの拘束術を破砕している以上、今残っているのは弱い残滓だろう、という読みもあった。

 常に比べれば遙かに少ない魔力を二点集中で押し込んでいく。やがて、パキン、という微かな音と共に指先の抵抗が消え、代わりにざらりとした布目の感触が現れた。

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