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1.馬車の中にて

多少なりとも残虐描写が苦手な方には向きません。お控え下さい。

 地面がぐらぐらと揺れている。

 視界は薄暗く、僅かに煙っている。

 鼻腔には重みのある甘い香りが充満していて、息をする度に肺が重くなる。

 後頭部にあるじぃんとした痺れが心臓と同じリズムで脈打っている。

 ひとつ脈打つ度に重さと鋭さを増す痺れが、実は痺れではなく痛みだったと()()()()()頃。

 ヴィカは自分の置かれた状況を理解した。


 ヴィカは魔女だ。

 見た目こそ小娘を装っているが、只人(ただびと)の寿命を上回るほどには生きている。ただし魔女としては若年で、人間よりは強力な魔力にもまだ弱点が少なくない。

 例えばそのひとつが、月に一度訪れる女性特有の血の(さわ)りである。全ての魔女がそうであるわけではないが、ヴィカのように血を媒介にして魔術を行使することの多い魔女にはよく見られる欠点のひとつだ。

 月に一度魔力のバランスを失い、他から力を取り入れることも、体内に力を蓄積することもほとんどままならなくなる。その期間は少し魔力が強いだけのただの人間と変わらなくなってしまう。

 たった3、4日程度のことと言えばそれまでだが、しかし魔女としては致命的だ。魔力以外に身を守る術を自分が持っていないことくらい、ヴィカも自覚している。

 そこで定住地を持たない流浪の魔女であるヴィカは、月障期(げっしょうき)はいつも大きな街の大きな宿に泊まり、期間中は部屋に籠もることにしていた。「大きな街」ほど治安の良い宿が見つかりやすく、「大きな宿」ほど金額に応じた高い秘密保持性を有することが多いからだ。


 今までそれで失敗したことはなく、今回もまたそのはずだった。見誤ったと(ほぞ)をかんでももう遅い。

 押さえつけられ後頭部を殴られる間際、見知らぬ男たちの向こうに見えたのは、間違いなく大金を握らせたはずの宿屋の主人夫婦の下卑た笑みだった。予測よりも2日早く訪れた障りに慌てて宿を決めたからと言い訳しても仕方なく、結果ヴィカは人買いに売られて馬車の中である。見る目のなかった自分の責任だが、覚えていろよあいつらともぼんやりした頭で思う。


 霞がかかったように思考がまとまらない。逃げる術をと考えた先から、宿に置いた荷物はどうなったかと思い、あの宿潰してやると誓った先から、ああ甘い匂いがすると意識が拡散する。

 全て馬車内に満ちるこの甘く香る煙のせいだ。両手両足を縛られ床板に転がされているヴィカはのろのろと首をひねり低い天井へと目を向けた。

 天井につるされた香炉が馬車の進みに合わせて左右に揺れている。絶え間なく甘い煙を溢れさせる香炉口の奥に紫を帯びた朱色の灯火が見えた。それは心身の倦怠感を増大させ、思考の不明瞭化を促す特殊な香に特有の、色であり、香りである。

 本来なら、この香のような吸気から血中に融けて身体に影響する(たぐい)のものは、血に魔力を流すことに長けたヴィカのような魔女には効果を発しない。単純に、香の力に魔女の魔力で打ち勝てるからだ。――本来ならば。

 だが今の、人間にしては魔力があるだけの小娘に過ぎないヴィカには抵抗の術がなかった。系統だった意思を奪われながら、しかしそれでも、おかしい、とヴィカは思考する。

 馬車の箱形荷台に押し込まれているのはヴィカだけではなかった。恐らく10人前後だろう。ヴィカの目で捉えられる範囲のみだが、どうやら皆彼女と同じように手足を縛られている。同じ境遇の商品候補なのだろう。男も女も見えた。

 どう考えても――。

 そこまでヴィカが思考を紡いだところで、一際大きな揺れと共に馬車が止まった。


 馬車から降ろされたヴィカ達は、自力で歩くように足の拘束を解かれた代わりに首を紐で繋がれて逃げられないようにされた。馬車の中につってあった香炉が外され、男たちのひとりが煙を(くゆ)らせながら引き摺られるように歩くヴィカたちの列の隣に並んだ。香の効果を途切らせぬためだろう。

 それでも煙の充満していた馬車の中よりは大分ましで、ヴィカは頭の中の靄が徐々に薄れていく気がする。四肢には最低限の力しか籠もらないが、ひとまずは十分と言えた。

 ヴィカの見立て通り、彼女と同じように捕らえられていた者は彼女を含めて9人いた。しかし見る限りヴィカほどに意識を回復させている者がいないのは、やはり弱ってはいても魔女との差であろう。他の者と同じように茫洋としているふりをしながら、ヴィカは周囲に注意を向けた。


 そこは、木々に囲まれた場所だった。途中からずっと馬車は傾斜を登っていたから、恐らく山の中だ。

 道は舗装されていた。公道なわけがないだろうから、そのための金を私費で投じた者がいるということだ。

 引き立てられていく先にある建物は山中にあるとは思えないほど立派な館だった。一目にも手入れが行き届いているとわかる、品さえ感じられる、まるで貴族の邸宅のような。


 おかしい、などと言うものではなかった。おかしいと思うこと自体がおかしかったと、ヴィカは内心で認めた。おかしいと感じる自分の認識がそもそも最初から間違っていたのだ。


 ヴィカが最初に違和感を感じたのは、あの思考を奪う香の使い方だった。木板を合わせただけの馬車の中に煙を充満させるほどと言えば、隙間から漏れ出す分も考えるとかなりの量を消費することになる。

 あの香は、作るには特殊な手間と時間がかかり、買うには流通量が少ない上恐ろしく高価な品だ。四肢を拘束するだけでは不安な相手を捕らえる時などに用いる。例えば魔力持ちの人間などだ。ヴィカ一人のために馬車中に香を充満させるとは考えにくいと思った時から予想していたことだったが、幾分意識がはっきりしてきた今、ヴィカには明確に感じ取ることができた。魔力を持つ者同士は基本的に共鳴する。ここに捕まっている9人全員が、魔力持ちだ。


 ヴィカは間違っていた。自分たちは人買いに売られ、それは奴隷商品として更に売られるためだと、勘違いしていた。確かに魔力持ちの人間は奴隷として高く売れる。それが9人ともなれば儲けとしては素晴らしいものになるだろう。だが、それでもつりあいが取れないのだ。

 9人全員が十分な量の魔力を持ち、健康で、仮に女は処女で、仮に男は童貞で、買い叩かれることもなく無事に売れたとして、それでも使用した香の方が遙かに高い。

 極めつけは、今だ。ヴィカを引き立てる男たちは、今も焚かれ続ける香の影響を全く受けていないように見える。しかし彼等からは魔力の存在を感じない。ただの人間だ。ならば、ただの人間が香の影響を受けずにいる方法はひとつしか考えられない。香の効力を削ぐ専用の丸薬を服用しているのだ。そしてこれもまた、恐ろしく、高価である。


 たとえ裕福なのだとしても、ただの奴隷商人が用意できる範疇を超えている。


 惜しみなく使われる高価な香と薬。

 捕らわれているのは魔力持ちだけ。

 山奥にもかかわらず舗装された道と豪華な屋敷。


 そして屋敷の裏口から引き入れられた奥の部屋で彼女たちを出迎えた男を見た時、ヴィカは確信した。

 ただ奴隷として売られるよりずっと厄介なことに巻き込まれた、と。

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