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浅葱色の桜  作者: 初音
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7.宮川勝五郎

 


 1848年 秋





 周助たちがまず最初に向かったのは、宮川という豪農の敷地内にある道場だった。

 源三郎が拠点にしているのは少し離れた村にある佐藤彦五郎という名主の道場だったので、さくらは少し落ち込んだ。


 敷地に入ると、向こうから少年が駆け寄ってきた。


「近藤先生、こんにちは」


 少年はさくらと同じ年頃のようで、体は大きく、なんだか強そうだった。


「おう、勝五郎じゃねえか」

「はい、今日もよろしくお願いします。すぐ父を呼んできますね。あれ…そちらは?」少年はさくらを見た。


 少し無愛想というか、とっつきにくい感じのする少年だった。年に似合わぬ強面がそう見せているのだろうか。


「ああ、紹介するよ。娘のさくらだ」周助がさくらを指した。

「近藤さくらです」さくらはスッとお辞儀した。


 少年は驚いたようにさくらを見ていた。


「おう、そうだ。確か勝五郎はさくらと同い年だったな」周助が思い出したように言った。

「え?」少年とさくらが同時に周助を見た。


「15…なのですか?」少年が言った。さくらは黙ってうなずいた。

「おれも15です。宮川勝五郎といいます」


 勝五郎はにこりと笑った。笑うと先ほどまでの顔とは違い、親しみやすい温かい人物のように見えた。


「さくらさんは、今日はどうして日野まで?」

「出稽古に混ぜてもらうためです。いつもは試衛館で稽古をしているのですが、今日は父の出稽古についてきました」


 勝五郎は口をぽかんと開けてさくらを見つめていた。


「剣術を…するのですか?」やがて、ぽつりと言った。その顔にはありありと「女子なのに?」と書いてあるように見えた。



 女子が剣術をやる、と聞いたら誰でも驚くことはさくらは十分わかっているつもりだった。

 しかし、つい最近キチに「不可能」だの「恥」だのと言われたばかりで、さくらはこのことに敏感になっていた。



 ―――どうせこいつも「バカバカしい」などと思ってるんだろう。



「女子が剣術をやったらいけないのですか」さくらは痛烈に言い放った。「父上、先に道場に参ります」


 勝五郎に背を向けると、さくらは足早にその場をあとにした。

 勝五郎は何が起きたのかわからない、という顔をしてその場に立っていた。


「悪いな。なんであいつあんなにピリピリしてんだ」周助は勝五郎に向けて苦笑いした。

「いえ、構いません。あ、父に知らせて、おれはそのまま使いに出かけるので、これで失礼します…」


 勝五郎は踵を返して家の方に向かっていった。














 稽古の後、さくらはあてがわれた客間で休んでいた。

 障子を開けると、温かい日光が差し込んでくる。周助はまだ道場にいるので、今は部屋にひとりきりだ。

 縁側に座って庭をながめながら、さくらはぼんやりと、先ほどの少年のことを思い出した。


 よくよく考えてみれば、勝五郎が言ったのは「剣術をするのですか?」ということだけで、その表情を見て勝手に怒ったのはさくらである。

 少し申し訳ない気持ちになって、次に会ったら謝ろうかと考えていたその時、「さくらさん!」と声がした。


 キョロキョロと声の主を探すと、勝五郎がこちらに向かってきていた。


「勝五郎さん…?何か…?」さくらは不思議に思ってたずねた。

「ここにいたんですね、よかった。いや、その、すいません、さっきのことが気になってて…おれ、なんか、気に障るようなこと言ったみたいで…」


 さくらは目を丸くした。

 謝るべきは自分なのに、この少年は先ほどのさくらの表情を敏感に読み取って、「気に障るようなことを言った」と心配しているらしいのだ。


「いえ、私こそ、無愛想なことをしてしまいまして…」さくらは謝った。


 が、勝五郎が実際のところどう思っているのか気になった。

 さくらは意を決したように、勝五郎を見た。


「勝五郎さんは、私が剣術をやると聞いて、どう思いました?」


 勝五郎は、少し戸惑ったような顔をした。やがて、こう答えた。


「正直、驚きました。でも、かっこいいなって思いました」


 今度はさくらが驚く番だった。かっこいいなどと言われたのは初めてだった。

 なんだかおかしくなって、ぷっと噴出した。


「え、おれ、またなんか変なこと…」

「変…そうですね。初めて言われました」


 戸惑っている勝五郎を見て、さくらはくすりと笑った。


「敬語、やめにしようか。同い年なんだし」


 勝五郎もにこっと笑った。独特な笑窪が印象的だった。


「それじゃあ、これからよろしくな、さくら」

「よろしく、勝五郎」





 2人は互いの目を見据えて、にっと笑った。

 後に数奇な運命をたどることになるなど、この時の2人には知る由もなかった。




















 2ヶ月後、勝五郎が、次兄と共に天然理心流に入門した。

 知らせを聞いたさくらはいつか勝五郎と試合をしてみたいと思いながらも、月日は過ぎていた。

 そんな折、さくらは周助の出稽古についていく形で日野に来ていた。

 初めて会った時以来、勝五郎には会っていなかったが、今回はまた宮川家の道場で稽古をするということで、さくらは楽しみにしていた。


 宮川家に着くと、道場の方から掛け声がした。


「お。やってるな」周助がにやっと笑うと、2人は道場の方へ向かった。


 道場には縁側がついていて、天気のいい日は戸が開け放してあるので、外からも稽古の様子を見ることができる。

 近所から集まった十数名の男が、素振りをしていた。

 さくらはその中に勝五郎がいるのを見つけた。


 すごい、とさくらは率直に思った。

 自分が始めたばかりの時は、竹刀をまっすぐに触れず、よく周助に注意されていた。

 しかし、勝五郎はまだ数か月経つか経たないかだというにもかかわらず、スッとまっすぐに木刀を振っていた。


「近藤先生、こんにちは。いや、こんなところからすみません」勝五郎の父で、宮川家の当主、久

 次郎がやってきた。

「いいんだいいんだ。俺たちが勝手に見にきたんだから。おいさくら、着替えてこい」


 さくらはぼんやりと勝五郎を見ていた。勝五郎はさくらに気付き、にこっと笑って手を挙げた。


 稽古着に着替えながら、さくらは先ほどの勝五郎の素振りを思い出していた。

 自分がああやってきれいに素振りができるようになるまでには、相当の時間を要した。それを考えると、勝五郎の成長速度には目をみはるものがある。


 ―――私も、がんばらないと。


 さくらはぎゅっと袴の紐を結び、道場に向かった。














「さくらはさ、なんで剣術をやろうって思ったんだ?」勝五郎は聞くともなしに聞いた。


 数日後、2人は多摩川のほとりに寝転んでいた。

 出稽古に来ると毎日稽古ばかりで、さくらは日野のことをよく知らなかった。そのことを話すと、勝五郎が「じゃあ天気もいいし、息抜きに散歩しないか」と、この多摩川に連れてきてくれたのだった。


「私の名前がなんでさくらって言うのかわかるか?」


 勇は「いや…」と首を振った。

 さくらは自分の名前の由来を話した。近所の悪ガキにからかわれて、1度は稽古をしたものの、稽古そのものは投げ出してしまったことも話した。


「稽古をやめた時、私の名前の由来なんてすっかり忘れてた。そのまま毎日適当に遊んで、適当に寺子屋に通って…」


 さくらは言葉を止めた。どうして、母上のことを思い出す時はいつも、空はこんなに澄み切ってるんだろう。


「12歳の時、母上が死んだ」

「え…」勝五郎は息をのんだ。


 さくらはまた一部始終を話した。勝五郎は黙って聞いていた。


「ごめん…つらいこと思い出させちゃって…」勝五郎は消え入るように言った。

「いいんだ、もう。だから、私は男よりも強い女になるのだ。それが母上の望みだから。そして、名実ともに、天然理心流4代目になる」


 勝五郎は目を丸くして、やがてくすりと笑った。


「おれもバカだけど、さくらもバカだなー」

「何だと?私は今深刻な話をしていたというのにバカとは何だ!」


 勝五郎はまだ笑っていた。


「まあまあ、そんなに怒るなよ」勝五郎は再び寝ころんで、空を見上げた。

「さくらは女のくせに、道場を継ぎたいと思ってる。おれは農民のくせに武士になりたいと思ってる」


 さくらは耳を疑った。


「武士…?」

「そう。おれは剣の腕を磨いていつか武士になる。それで、この国のために働く」


 さくらの怒りなど吹っ飛んでしまった。


 農民の勝五郎が武士になる。

 女のさくらが道場を継ぐ。


 世間的にみれば、どちらも不可能だ。


 しかし、その不可能に挑戦しているさくらだからこそ、勝五郎のセリフを頭ごなしに否定することなどできなかった。


「さくら」


 勝五郎は落ち着いた調子でさくらの名を呼んだ。


「おれたち、絶対、お互いの夢を、実現させるんだ」


 さくらは力強くうなずいた。















 しかし、その半年後、さくらの夢を脅かすきっかけとなる出来事がおこった。

 勝五郎はあれから目覚ましい成長ぶりを見せ、入門から1年も経っていないのに天然理心流の目録をもらってしまった。

 さくらは目録を取るのにその倍の期間を要していたので、友人である勝五郎の快挙にも関わらず、否、友人だからこそ、さくらは悔しかった。

 そして、悔しい出来事はそれだけではなかったのである。


 ある夜、さくらは宮川家に泊まっていた。

 試衛館にはキチがいる。だからなんとなく帰りたくない。

 だからいっそのこと、日野に留まってしまえばいいではないか、という悪知恵が近頃ついていた。

 もちろん、本当ならそんな理由は通じないわけだが、「もう少し日野に残って稽古したい」と体よく言い訳をした挙句、周助だけ試衛館に帰って、さくらは宮川家や井上家を泊まり歩く、ということがこのところ増えていたのだ。


 勝五郎の部屋の真ん中には衝立が立てられていて、手前に勝五郎が、その向こうにさくらが眠っていた。

 床についてからしばらくすると、隣の部屋から物音がするので勝五郎は目を覚ました。

 するとまもなく襖が開き、長兄の久米次郎が入ってきた。

 さくらも目を覚まし、2人は何事かと久米次郎を見た。


「父上の部屋から物音がするんだ。最近ここらで空き巣が出るらしいから、うちにも来たのかもしれない」


 父上、つまり宮川久次郎は、今日は不在だった。

 久次郎の部屋は久米次郎の部屋の隣にある。


 3人は久米次郎の部屋に入り、息を潜めた。


「すげえ、金目のものがこんなに」


 数人の男が小声でそんな話をしているのが聞こえてきた。

 久米次郎は自分の刀を手に取ると、つばに親指をかけた。


「いいか2人とも、一気に飛び込んで追い払うんだ」久米次郎が慎重に言った。

「はい」とさくらは答え、持ってきていた木刀をぎゅっと握った。臨戦態勢はばっちりだ。


 ―――天然理心流は実戦剣法。初めて使う時が…


「待ってください」


 勝五郎が急にそう言ったので、さくらは危うく木刀を落とすところだった。


「兄上、今ここで飛び出して斬り込めば、相手も必死に立ち向かってきます。少し様子を見て、油断したところで飛び込めば、やつらも混乱して本来の力を発揮できないでしょう。そこを狙っては…」


 久米次郎は目を丸くして勝五郎を見た。


「うむ…確かにそうだな…少し待とう」


 程なくして、物音がひと段落した。

 じっと耳を澄ますと、「こんなところか」という声が聞こえてきた。


「今です、兄上」


 久米次郎はおう、とうなずくと、バッと襖をあけた。


「この盗人!覚悟しろ!」


 盗賊は2人だった。うまいこと金目のものを風呂敷に包み終えて、すっかり安心していたのだろう。2人はヒッと声を上げると、風呂敷包みを落としてしまった。


「この野郎!」久米次郎はさっと剣を抜くと、一気に振りかぶった。


 さくらと勝五郎も木刀で立ち向かった。

 盗賊の1人がうめき声をあげた。久米次郎の剣が当たったらしく、肩から血を流していた。


「くそ、覚えてろよ!」無傷の方が吐き捨てるように言うと、結局盗賊は盗もうとしたものを全部落としたまま、庭へと抜けた。

「おい、逃がすか!」久米次郎も慌てて2人を追いかけようとした。


「待ってください!」


 またしても勝五郎が止めに入った。久米次郎はぴたりと足を止めた。


「勝五郎、このままでは賊を逃してしまうぞ!」

「しかし兄上、窮鼠猫をかむともいいます。向こうは怪我をしているし、結局何も盗られていないのですから、これ以上追う必要もないでしょう」


 その言葉を聞いて、久米次郎はぐっと押し黙った。苦々しそうに剣を収めると、「そうだな…」とつぶやいて、盗賊が盗み損ねた品々を片づけ始めた。


 さくらは慌てて久米次郎を手伝った。

 この数分間、勝五郎の機転と落ち着きに、ただ舌を巻くばかりであった。

 自分なら、このような判断はできなかっただろう、と、さくらは感心すると同時に少し落ち込んでいた。





 この話は瞬く間に日野界隈に広まった。

 そして、この出来事が、勝五郎やさくらの人生を左右するきっかけになったのだった。







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