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浅葱色の桜  作者: 初音
47/52

47.それぞれのやり方




 すっきりとした秋晴れの空を見上げて満足そうに微笑んださくらは、壬生寺の門をくぐった。


「総司、平助、土俵の準備は順調か?」


 二人は、門を入ってすぐのところで入場受付の準備をしていた。


「あの通り、もうすぐ終わりますよ」総司が境内の中央を指した。隊士らが額に汗を浮かべながら土を盛り、土俵を作っている。歳三が「そっちの方、凹凸ができてるぞ!」などと指示を飛ばしている。


 佐々木の死、それに続く佐伯の死で壬生浪士組の中には重苦しい空気が流れていたが、今日はそうも言っていられなかった。

 かねてより、壬生寺の境内で相撲の興行が行われることになっていたのだ。相撲を取るのは、あの小野川部屋の力士たちである。

 彼らは大坂相撲を本拠としていたが、例の一件で壬生浪士組とのつながりができたことをきっかけに、京の都でも興行を打とうということになったのだ。

 小野川部屋としては、新たな土地での新規客開拓が見込め、壬生浪士組としては、「壬生浪だってたまには娯楽の提供もするんですよ」という近隣住民への汚名返上効果を見込んでいる。また、観覧料は折半することになっており、商家からの借金ではなく、純粋な収入として金が入ってくるというのが壬生浪士組にとっては願ってもないことであった。


 すでに力士たちは壬生に入っており、屯所では勇や源三郎が力士たちの接待をしている。

 さくらもその接待役の一員であったが、会場の様子が知りたいという小野川の要望を受け、壬生寺に来たというわけだ。


「予定通り、八つ(午後二時頃)には始められそうだな」さくらは土俵の様子を眺めながら、にこりと微笑んだ。




 一方で、全員が相撲興行にかかり切りでは、これを好機とばかりに不逞の浪士が悪さを働いてしまう。ということで通常通り巡察をしている者たちもいた。


 その面々は、芹沢を筆頭に、山南、斎藤、平山、以下数人の平隊士である。

 ”近藤勇率いる壬生浪士組”は小野川部屋と和解したが、やはり小野川部屋の心情としては、直接力士に手を下した芹沢、その場に居合わせた腰巾着の筆頭である平山に対してはわだかまりのような気持ちを持っていた。

 芹沢自身も気まずいのか、珍しく自ら巡察役を買って出た。


 そしてお目付け役のような形で供についたのが、山南と斎藤である。


 芹沢たちは葭屋町よしやまちにある大和屋という生糸商に目をつけていた。

 一昔前より外国との生糸の交易は盛んになっていたが、この大和屋というのは生糸を買い占めることで物価を吊り上げ私腹を肥やし、その資金を過激派尊攘浪士に横流ししているという情報があった。


 あまり褒められたやり方ではないが、その流している資金を壬生浪士組に提供せよと迫ることで、物価の吊り上げ、尊攘派への金銭流入を阻止するというのが、芹沢の立てた作戦であった。


「なんだ、山南、文句でもありそうな顔だな」


 芹沢は山南に対し不満げな表情を見せた。


「いえ、概ねその通りだと思います。まずは生糸の値段を適正な価格に戻さねばなりませんし。ただ」

「ただ?」

「その、資金を我々に寄越せと迫るのはいかがなものでしょう。それでは民の怒りの矛先が尊攘派からこちらへ向くだけだ。金のことなら、今日の相撲興行でいくらか実入りがありますし」

「はっ、そんなはした金でうちの荒くれ連中は養えねえぞ。それに、俺たちゃ別に町のやつらに好かれるためにこんなことやってるんじゃねえんだ」 


 山南は反論するだけ無駄だ、と思いそれ以上何も言わなかった。芹沢が暴挙に出れば止めるまで。しばらくは様子を見ようと決め込んだ。



「主人はいるか。この店を改めさせてもらう」芹沢の声が響いた。


 奥の方で、女中が「み、壬生浪!」と声を上げ、他の女中に「シッ」とたしなめられているのが見受けられた。

 やがて一人の男が出てきた。


「芹沢せんせやないですか。えろうすんまへんなあ。主人はあいにく留守にしてますよって」


 名乗っていないのに、芹沢の名を呼び、取り繕うような笑顔を見せる。

 上洛から約半年。壬生浪士組、ならびに芹沢の名も少しは知れるようになっていた。


「留守だと?」


 芹沢は少し考えこむような素振りを見せ、男にこう告げた。


「主人に伝えろ。天誅を目論む連中に資金を流しているだろう。そういう連中に流す金があるなら俺たちが京の治安維持に使ってやる、とな」


 芹沢はチャキ、と音を立てて鯉口を切った。すぐに目の前の男を斬り捨てるわけではないが、従わなかったらどうなるかわかっているな、という無言の脅しとなった。


「ご主人殿は、いつお戻りに」山南が尋ねた。目だけは笑っていない笑顔は、「嘘はつかせぬ」と言わずとも語っていた。


「へ、へえ、夜には戻らはります……」



 下男はすっかり怯えた表情で答えた。


 それを聞いた芹沢らは、満足げに大和屋を後にした。






 滞りなく始まった壬生寺相撲興行の方は、今まさに最後の見せ場、というところだった。


「行けーっ!東ー!」さくらは我を忘れて叫んでいた。

「西、ヘマすんじゃねえぞ!」左之助の声が響く。


 さくら、新八、総司は東の組に、左之助、歳三、平助は西の組に、小遣い程度の金を賭けていた。「勝手な金策」は禁じられていたが、今日は無礼講である。



 対象となるのは五試合であったが、ここまで二勝二敗。

 次の一戦で本当の勝敗が決まるとあって、一同は手に汗握っていた。

 壬生浪士組の者だけでなく近隣の住民も呼んでいたものだから、寺の境内だというのに各々の声援で異様に騒がしかった。


「白熱してますねえ」


 さくらの横に、巡察から戻ってきた山南が立った。


「わっ、山南さん、お疲れ様でした。こっちはすっかり楽しんでしまっていて……」さくらは申し訳なさそうに言うと、土俵に視線を戻した。

「それは何より。近隣の皆様との親睦を深めるという大事なお役目ですから」


 ふわりと微笑む山南に、自分たちは賭けをしているのだとはなんとなく言えないさくらなのであった。


「それはそうと島崎さん」山南は急に声を潜め、さくらに顔を近づけてきた。

「えっ、な、なんですか?」

「今夜、お手隙ですか」

「は、はい、特に用事はありませんが……」


 いったい何だろうと、さくらはどぎまぎしながらも山南の言葉を待った。


「先日から目をつけていた大和屋ですが、主人が今夜戻るという話でした。芹沢さんが強引なやり方をする前に、こちらで穏便に済ませたいと思っています。一緒に来ていただけますか」


 あ、仕事の話か、と内心拍子抜けしたが、さくらは「ええ。構いませんよ」と答えた。そして、くすりと笑みをこぼした。


「何か?」山南が不思議そうに尋ねた。

「いえ。山南さんは、本当にお優しい方だなと思って」

「買いかぶりですよ。私たちの仕事は、京の治安を守ることですから」


 その時、「西い~!富士ノ海の勝ち!」という行司の声が聞こえた。


「ああっ!負けた!!」さくらは落胆の色をにじませながら叫んだ。

「やっりぃ~!新八っつぁーん!総司いー!島崎さーん!一人一朱(一両の十六分の一)、よろしくな!」


 左之助がにっしっし、と笑いながら言うのでさくらはやれやれとため息をついた。

 ふと山南を見ると、声を殺してくっくっと笑っていた。


「賭けてたんですか」

「ええ、恥ずかしながら負けてしまいましたが」

「ならば、今度原田さんたちに何かおごってもらいましょう」




 相撲興行は盛況のうちに幕を閉じ、日が暮れた。


 平隊士や下っ端の力士たちは壬生寺の片づけに精を出し、勇や歳三、源三郎は小野川らとの親睦を深めるということで島原に繰り出した(今日の収入をすべて使いきらないよう、さくらは勘定方の河合と共に釘を刺した)。


 そして、さくら、山南、総司、斎藤といった面々で、大和屋に向かった。


「ご主人はいらっしゃいますか」


 山南が朗々とした口調で言った。すぐに昼間の下男が出てきて、浅葱色の羽織集団に一瞬ぎょっとした顔をしたが、芹沢がいないとわかるとほっと胸を撫でおろしたようである。


「へえへ、帰ってきてますよって、奥へどうぞ」


 下男はあっさりとさくら達を奥の間へ通してくれた。


「昼間は門前払いだったのにな」斎藤が、ポツリとつぶやいた。



 やがて奥の間に通されると、主人の庄兵衛と名乗る男が入ってきた。


「いやあ、皆さんお揃いで」にっこりとした不自然な笑みをうかべて、庄兵衛は恭しくさくら達に挨拶した。


山南も同じく対外用の笑みを浮かべると、一気に要件を話した。


「夜分に申し訳ありません。本日参ったのは他でもない。単刀直入に言いましょう。生糸の買い占め、ならびに物価の変動に影響するような値のつけ方をおやめいただきたい。この頃生糸が高くなったせいで困窮する商家も多いのです。さらに、あなたが儲けたお金が過激な尊王攘夷派に流れているという話。我々は、彼らの取り締まりを行う身として、これを看過することはできません」


 庄兵衛の額に汗が浮かんだ。


「さあ、なんのことやら。確かにうちは外国から生糸を仕入れていますが、不当に買い占めるようなことはしておりまへん」

「そうですか。では、調べさせていただきます」


 えっ、と庄兵衛が狼狽の色を浮かべた時には遅かった。


 山南の言った「穏便に」というのは飽くまでも暴力には頼らないという意味であって、強制的に店の中を改めることは「穏便」のうちに入るものだった。


 さくらは帳簿を出させるべく女中部屋へ、総司は店の二階に上がり、斎藤は蔵へ向かった。

 だが、持ち場についたのもつかの間、


「主人はいるか!この店を改める!」


 と店の入り口の方から声がした。聞きなれた声だ。



 一番入口に近かったさくらが飛び出していった。

 案の定、芹沢、以下新見、平山、野口、八木邸に住む平隊士らがそこに立っていた。


 顔が赤い。酒が入っている。


 まずい、とさくらは思った。


「芹沢さんっ!どうしてここに」さくらは一応とぼけてみた。

「どうしてここに、はこっちの台詞だ。この時分になればここの親玉が戻ると思ったから来てやったんだよ」

「それならば山南さんの指示のもと私たちで調べています。芹沢さんのお手を煩わせるわけにはいきませんから、ここは私たちにお任せください」

「ってえことは、いるんだな?それで、しらばっくれていると」

「しらばっくれているかどうかはわかりません。今山南さんが事情を聞き出そうとされています。私たちはその間に帳簿や蔵を改めているまで」

「そんなまどろっこしいことしたって、あいつに痛い目を見せなきゃわからねえだろ。やれ」


 芹沢は顎でくいっと後ろに合図すると、新見が持っていた松明を店の中に投げ入れた。


 火はたちまち壁から燃え移り、あっという間にあたりは熱気に包まれた。


「芹沢さん!!何故にこのようなことを!」


 さくらの声を無視し、芹沢たちは踵を返して店を出ていった。


「誰か!水を!」


 女中が二人出てきた。一人はさくらが喉でも乾いたのかと思ったのか、湯飲み一杯分の水を入れて現れた。


「火事です!そっちのあなたはすぐに皆に知らせて!逃げてください!あなた、桶にいっぱいの水を!」

 

 ひいぃっと悲鳴を上げて、女中たちは右往左往した。

 水を、とは言ったもののすでに水で消火できる範囲を超えていた。さくらと店の入り口の間にはすでに火の手が上がり、正面から出ることはできなかった。


「島崎先生!」


 入り口の向こうから、総司の声がした。


「総司か!?」

「はい、二階から飛び降りました!幸いまだ裏の方は燃えていません。私は火消しの手配をしますから、山南さんたちと逃げてください!」


 総司には見えていないとわかりつつも、さくらはこくりと頷き、女中たちを奥へ追い立てながら山南と庄兵衛のいる部屋へ走った。


「火事です!表はもう無理です。裏から逃げてください!」

「火事やて!?なんでまた!」

「まさか、芹沢さんが……!」


 山南が信じられないというような顔をしたが、さくらが首を一度縦に振ると、苦々しげな顔をして立ち上がった。


「わかりました。とにかく今は身の安全が最優先。ご主人、裏口まで案内してもらいますよ」



 さくらと山南、そして大和屋で働く奉公人たちや妻子も逃げ出した。

 全員、命に別状はなかったが、店はごうごうと燃え盛る炎につつまれていた。



「ああ、わての店が……そや、く、蔵は大丈夫やろか!?」


 庄兵衛は鉄砲玉のように駆け出し、蔵へ向かった。

 さくらも山南も、斎藤が心配だったので加勢の意味でそちらへ向かった。



 蔵の前には斎藤と、十数人の商人体の男たちがにらみ合っていた。


「あんたら、正気か」斎藤が淡々と言った。

「そや。この際や。ここのせいでわてらは商売上がったりやったんや」

「今なら罪もあんたら壬生浪がかぶってくれはるしなあ」


男たちは、手に手に松明を持ち、威嚇するように斎藤を見ていた。斎藤は涼しい顔をしたまま、その場に現れたさくら達をちらりと見やった。


「ならば俺に止める謂われはない。もっともあんたらがこの騒ぎに便乗しているというのは知れているがな」


 その言葉に、松明を持った男たちは斎藤の視線の先を振り返った。庄兵衛がいるのを見ると、「ひっ」と怖気づいたような顔を浮かべた。


「お前ら、やめたれ!正気の沙汰やない!」庄兵衛が訴えた。

「う、うるさいうるさい!正気の沙汰やないのはそっちや!」

「もう後には引けん!やってまえ!」


 男たちは蔵に松明を投げた。斎藤は蔵の前から離れ、さくら達と合流した。


「そちらの火は誰が」

「芹沢さんだ」

「やはりそうですか」



 往来に出て大和屋の向かい側の家を見ると、屋根の上に芹沢がいた。手にしている酒瓶から、ごくごくと飲んでいる。


 さくらはいてもたってもいられず、屋根を上り、芹沢のもとへ向かった。


「芹沢さん、火を消してください」

「なんだあ?島崎か。今沖田が火消しを呼んでいるからじき止まるだろう」

「私があなたにこれを言うのは、二度目です」


 芹沢の目の奥に、光が宿ったように見えた。


「なあ、近藤さくらよ」


 そう呼ばれ、さくらは驚きに口ごもった。


「たった半年で、俺たちゃ随分遠くへ来たもんだ」


 その言葉の意図が、さくらにはわからなかった。

 火災の明かりで煌々と照らされた芹沢の頬には、うっすらとした傷跡が浮かび上がって見えた。






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