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浅葱色の桜  作者: 初音
46/52

46.三人の犠牲者



 さくら達が寝泊まりしている前川邸には、竹刀を振っても天井にぶつからない表長屋があり、壬生浪士組の隊士らはそこで剣術の稽古をしていた。これは前川邸に住む者も八木邸に住む者も合同で行われた。ただ、最近は長屋では手狭になりつつあったので、八木邸の敷地に道場を建設中だ。


 道場で師範代を務めていた経験のある勇やさくら、総司、新八、斎藤をはじめとする近藤派が主に稽古をつけていた。そうしている間にも、芹沢は八木邸で梅とよろしくやっているようである。


「そこ!休まない!」

「お前、今素振りを怠けていただろう!ちゃんと皆と一緒に百回振らないか!」


 そんな厳しい言葉をかけるのはだいたい総司かさくらだった。特に総司は江戸にいた頃と同じく、できない者の気持ちがわからない故の厳しい稽古になっていて、隊士らの評判は今ひとつだった。


「沖田先生の稽古は本当に厳しいよなあ」

「沖田先生はまだええわ。厳しさがわかりやすいからなぁ。それよりも、近藤局長が『じゃあ、あと五百本やったら飯にしようか』って笑うて言うやつの方が俺はよっぽど苦手や」

「わては斎藤先生が苦手や。あの目つきだけでなんや怒られてるような気ぃになる」

「島崎先生の方がタチ悪いで。女やって話ほんまなんか?一度も勝てたことあらへんさかい、俺の矜持はズタズタや……」

「てめえら、うだうだ言ってると百本増やすぞ!」


 一番怖いのは土方副長だ、というのが隊士らの共通認識であった。



 稽古が終わると、各々井戸で汗を流し、八木邸の者はそちらに帰っていく。が、今日は帰らぬ者がいた。


「近藤局長、失礼してもよろしいでしょうか?」


 勇と、たまたま勇の部屋に居合わせたさくらは不思議そうに互いを見、勇が「構わんよ」と声をかけた。


 現れたのは佐々木愛次郎だった。


「どうしたんだ佐々木くん。改まって」

「実は、折り入ってご相談が」

「うむ。何だい?」

「私は今八木邸に寝泊まりしておりますが、これを前川邸に移らせていただくことはできませんでしょうか?」


 なんだそんなことか、と勇は拍子抜けしたように言ったが、理由を聞いてみるとそう簡単な話ではなかった。

 なんでも、「佐々木が梅に対して色目を使った」と芹沢に難癖をつけられたそうだ。


「濡れ衣です。私には外に将来を誓い合った女子もいますし。それに、『そっちがその気なら、お前の女を貰い受けるぞ』と脅されて……」

「それは穏やかじゃないな。移ること自体は構わないが……そういう理由だと知れたら余計に芹沢さんの機嫌を損ねやしないか……」勇は腕を組み、うーんと唸った。

「おおかた、お前にお梅さんを取られるんじゃないかという芹沢さんのほぼ被害妄想だろうな」さくらがやれやれといったように言った。


 やがて勇は「うん、いつも寝ていたところに雨漏りがあって、布団が台無しになったことにすればいい」と何とも頼りない理由を提案した。





 その日の午後、さくらは八木邸にいた。

 目を見張る速さで出来上がっていく道場の建設現場を眺めるのが面白くて、このところよく来ていたのだ。


「いよいよできるんやなあ」


 背後から声がして見やると、梅が一人で立っていた。

 梅は当たり前のようにさくらが座っていた隣の岩に腰掛けた。


「まあ、芹沢さんにご利用いただけるかはわかりませんがね」さくらは皮肉っぽく言った。


 気まずい沈黙が流れた。


「芹沢さんと一緒じゃないんですね」


 梅は今やほとんど八木邸に住み着いていた。そして常に芹沢と一緒にいたから、梅が一人でいるのが珍しくて、さくらはそんなことを言った。普段宿所の違うさくらがそんなことを言う筋合いはないのかもしれないが。


「うちかて四六時中一緒にいるわけやおへん」


 そりゃそうですよね、と言うとまた静かになってしまったが、さくらは佐々木のことで探りを入れてみようと思って口を開いた。


「お梅さんは、芹沢さん以外の男に岡惚れすることはないんですか?」

「なんやのそれ。うちに恋愛相談どすか?それとも、うちのことなんや疑ごうとるんどすか?」


 さくらはうっと言葉に詰まったが、ここはそういうことにしておこうと「恋愛相談です」と言った。


「なんや、おかしな話やわあ。うちはあんさんみたく勇ましゅう女子やあらへんし、年の功かて島崎はんの方が重ねてらっしゃるやろ」


 言葉の端々でぐさぐさと心をえぐられる思いだったが、さくらは顔に出さないように笑顔を見せた。


「それもそうですね。ですが、参考までに」

「あほなこと聞かんといて。うちは芹沢先生のものになったんや」

「じゃあ、逆に他の男から色目を使われたことは」


 梅はこれでピンときたようだ。


「島崎はんも回りくどいことしますわなあ。佐々木はんのことやろ?だぁいじょうぶ。芹沢先生には言わん」


 信じていいのだろうかと思いつつも、さくらは頷いてしまった。


「うち見てん。佐々木はんが芹沢先生に言われてるとこ。確かにあの人は浪士組では珍しく整ったお顔されてはりますからなあ。すれ違うだけでも色目使てるように見えんのやろな。せやけど、うちに言わせればあの人が一番うちに興味示さへんよ」

「そ、そうなんですか……」


 やはり取り越し苦労ではないか、と一息ついたところで、梅はにんまりと笑みを浮かべた。その笑顔は確かに、女のさくらから見ても色っぽい。


「それで、島崎……さくらはんの恋のお悩みは?」

「私の話はよいのです」

「なんや、相談いうたやないの」

「それはそれです」

「山南はんは、たぶん鈍いえ」

「なっ」

「ふふっ。図星やったん。なんとなくそうかなあ思うただけや。誰にも言うてへんから安心しよし」


 再び、「信じていいのだろうか」という疑念が渦巻いたが、信じるしかなかった。



 いずれにしろ佐々木は梅に色目を使ってはいないという裏が取れたので、さくらと勇はいざとなったら佐々木の無実を証明――はできないまでも、応援を――してあげよう、という話をした。



 が、手遅れだった。

 佐々木が、許嫁の女と共に遺体で発見されたのだ。


 身元を確認するために、さくら、新八、斎藤が現場に派遣された。千本通の辺りで、伏見に向かう時によく利用する道から少し外れた藪の中だ。


 確かに、無残に変わり果てた姿で佐々木は無造作に転がっていた。

 複数の人間にやられたと思しき、あらゆる箇所の刀傷があった。腰を薙いだような傷と、後頭部の傷が特に大きいから、そのどちらかが致命傷になったと思われる。


「こりゃあ、一発で死にきれなかっただろうなあ、かわいそうに」新八が悔しそうな表情で、遺体に向かって手を合わせた。

「まあ、せっかくのきれいな顔が無事だったのがせめてもの救い、かもな」さくらは開いたままになっていた佐々木の目を閉じてやった。


 傍らには、女の遺体があった。こちらは見たところ無傷だったが、息はなかった。だが、着物は乱れていた。よくよく調べてみると、体のあちこちにあざがあった。


「舌を噛み切ったんじゃないですか」


 斎藤の提言で、さくらは「失礼しますよ」と女の口を開けた。確かに、斎藤の言う通り舌を噛みちぎって亡くなったようである。


「この女性の名前、知ってるか?」

「確か、あぐりとかいう名前で近く佐々木と祝言を上げるつもりでいたとかいないとか」新八が曖昧な答え方をした。


 それ以上は、なんの手掛かりもなかった。




 さくら達には、芹沢が一枚噛んでいるのではないかという考えがよぎったが、下手に疑う前に証拠を集めようということになった。


 翌日から巡察の際に目撃情報を聞いてみるも、「あんな美男美女がそないなことに……気の毒でかなわんなあ」などと感想を述べられるに留まり、有力な情報は得られなかった。ただ、あぐりが界隈では評判の美人だったということだけは痛いほどわかった。


「このあたりで美人いうて有名なんは、あと、前に菱屋におったお梅さんか」


 そんなことをちらりと口にした商人がいた。


「お梅さんなら、今うちにいますよ……」さくらは苦笑いした。

「そやそや、今は芹沢いう局長はんと懇ろやったなあ。そういうたら、亡くならはる前日にそこの蕎麦屋で佐々木はんとあぐりはんともう一人男の人が入っていくのを見たで」

「本当ですか!何か手掛かりがあるかもしれません、ありがとうございます!」


 さくらは勢いよく礼を言うと、一緒に巡察をしていた平助、島田らと共に蕎麦屋に行ってみた。

蕎麦屋の女将の話では、確かにあぐりと男二人が連れ立って入店したらしい。そのうち一人はあぐりの許嫁すなわち佐々木というのは察しがついたが、もう一人がわからない。


「よく思い出してください」平助が懇願した。

「そや。佐伯さん、言うてました」

「そ、それでどんな話を……?」

「なんや、なんとかいう局長?が、あぐりさんを妾にしたがっているから、逃げた方がいい、ってその佐伯いう人が言うてましたよ」



 佐伯が何か事情を知っているのは間違いない。そもそもなぜ今まで自分から言い出さなかったのか、ということも含めて、知っていることをすべて話してもらおうとさくら達は意気込んだ。が、八木邸に行っても佐々木の姿は見当たらない。


「佐伯はん?そう言うたら、ここ二、三日見てませんなあ。島原に行く言うてたから、居続けでもしてるんと違いますやろか」


 八木家の女中は、そんなことを言った。

 その話をもとに、とにかく探しに行こうとさくら、歳三、総司が島原に向かった。


「居続けする金なんかあるのか?」道すがら、さくらは疑問を投げかけた。居続けというのは、くるわに泊まり込むことで、相手が下級の遊女だとしてもそれなりの金はかかる。

「うーん、佐伯さん、というより、芹沢さんの金策があれば無きにしも非ず、とは思いますが……」総司が首を捻った。

「実はとっくに佐々木と一緒に殺られてるんじゃないか?死体が見つからねえだけでよ」

「歳三、縁起でもないぞ」

「だがよ、佐伯、佐々木、あぐりって女が一緒にいるところが目撃されてんだ。あの三人に何らかの繋がりがあることは明らかだろう」



 残念ながら、歳三の勘は当たってしまった。

 島原から程近い田んぼで、佐伯は遺体となって見つかったのである。

 無残な姿となった佐伯の体を、少し広くて人気のないところに引き上げ、三人は調べ始めた。


「島崎先生、これ」総司が佐伯の肩のあたりを指した。細い長方形の痣ができている。

「これって……」

「鉄扇で叩かれた跡か?となると、まさか芹沢の仕業か……?」歳三は驚きに目を見開いてさくらと総司を見た。さすがの芹沢でも、仲間を殺めるようなことはしないだろう、と三人の意見は一致していたが、反面、嫌な予感もしていた。


 それからさくら達は島原で目撃情報を聞いて回った。ここでは比較的壬生浪士組の面々は顔を知られていたから、「うちの佐伯又三郎を見ませんでしたか」と聞けば、皆見たか、見ていないか、を簡潔に答えた。


 そして、とある見世の女将がこう言った。


「三日ほど前でしたやろか。いつもの面々でしたわ。芹沢はんと、新見はん、あ、今はお名前違うんやったっけ? あとは、佐伯はんに平山はん。なんや、佐伯はんがえろう怒られてましたえ」

「だ、誰に……?」さくらはごくりと唾を飲んだ。

「そらもちろん、芹沢はんや。あの人、お酒入ると声が大きゅうなるやろ?丸聞こえでしたえ」

「内容は」歳三が鋭い視線を女将に向けた。

「なんや、『なんであいつらを逃がした』とか、『女の方は生かして連れてくればよかったのに』とか」

「あいつら、とは」

「さあ、そこまでは」


 それ以上は、女将からは引き出せなかった。

 だが、「あいつら」が佐々木たちのことで、特に「女の方」はあぐりであろうということは容易に想像がついた。



 屯所に取って返して、酒が抜けている日の高いうちに事情を聞こうと、さくらと源三郎は平山に、歳三と総司は新見に、山南と左之助は芹沢に、それぞれ話を聞きにいった。

その中で、まずまともに証言らしい証言をしたのは平山であった。


「佐々木が、芹沢さんにいちゃもんつけられてた話は知ってるか」


 そこまでは知っていたので、さくらは「ええ」と頷いた。


「それで、あいつら、佐々木とあぐりって女だが、駆け落ちしようとしてたみたいだぜ?それを佐伯が手引きしたんだ」

「なっ」


 さくらと源三郎は息をのんだ。佐々木がそこまで思い詰めていたのかと、さくらは胸が締め付けられる思いがした。


「それでなぜ、佐々木とあぐりさんが死なねばならぬのですか」さくらは声を震わせた。

「佐伯が、あぐりを手籠めにしようとしたからだ。邪魔な佐々木を斬り、あぐりに乱暴をし、あぐりは舌を噛んだって寸法だ」


 俄かには信じがたかった。

 佐伯というのは、剣術の腕こそ確かであったが、普段はすっかり芹沢の腰巾着のひとりとなり、コソコソと目立たぬ男という印象であった。それが、こんな事態を引き起こすとは。


「平山さん」源三郎がゆっくりと言った。

「なぜあなたはそんなに詳しく知っているのですか」


 平山の表情に、一瞬動揺の色が浮かんだ。


「島原で飲んでいたら、自分でぺらぺらとしゃべりやがったんだ。気が大きくなったんだろうな」

「それで、佐伯さんを殺したのは」


 源三郎は平山に笑顔を向けたが、目は笑っていなかった。源三郎のそんな冷ややかな笑顔を、長い付き合いだというのにさくらは初めて見た。


「知らないね。俺は田中さんみたくなりたくないからな。面倒ごとに巻き込まれそうになる前に、さっさと女のところに行くのさ」




 三者の話を聞き終えた六人と、勇、平助、左之助、斎藤が集まり、話を総合した。

 山南が、苦々し気な顔で芹沢の話した内容を告げた。


『佐伯は佐々木を殺した。だから斬った。法度に背いたからだ。“仲間内の争いはご法度”という規則を作ったのあんたらと仲良しの土方だろう。何の文句がある』


 と、悪びれもせず言ってのけたらしい。



「くそっ。それじゃ芹沢をしょっ引けねえじゃねえか」歳三が、ダンっと大きな音を立てて畳に拳をついた。


 皆、同じ思いだった。


 諸悪の根源はわかっているのに、追い詰められない。


 飽くまでも芹沢は局長として「仲間殺し」を犯した隊士を処断したのだ。


 一同はなんとも言えない「つかえ」を感じながらも、至極真っ当な話としてこの件は落着させるしかなかった。









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