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浅葱色の桜  作者: 初音
44/52

44.大坂力士乱闘事件(前編)



 文久三(一八六三)年六月


 将軍家茂の東帰が決まった。

 当初の目的は公武合体実現のうえでの攘夷、ということであったが、「開港した港をすべて閉じ、来日している外国人を全員追い出す」という意味での「攘夷」を成し遂げることは叶わなかった。

 

 最初からそんなことはどう贔屓目に見ても無理である。と、後世の人間が外野から物を言うのは簡単だ。

 むろん、渦中の人物らはそうではない。壬生浪士組は隊士全員の連名で鎖港を進言する嘆願書を提出したりもした。なんの足しにもならなかった。


 もともと清川が結成した浪士組は、この将軍東帰に合わせて江戸へ戻る予定であったが、今や浪士組は京都守護職会津藩の預かり。松平容保が京にいる限りは、と壬生浪士組は京都滞在を延長することに決まった。


 そういう世情にあって、過激な尊攘派浪士は「弱腰の幕府連中に天誅を下すのは今が好機」とばかりに、京都の一歩手前、大坂に流入していた。その取り締まりをし、入京を食い止めよというお達しが大坂奉行所から会津藩を通し、壬生浪士組へ下った。


 下坂の顔ぶれは少数精鋭。芹沢、勇、さくら、源三郎、山南、総司、新八、平山、野口、斎藤、島田、といった具合である。

 歳三以外の局長、副長級幹部が全員含まれているのだから、気合の入れようが伺える。事実、大捕り物を演じる気概でさくら達は大坂へやってきた。

 この頃は、だいぶ捕り物のなんたるかもさくら達は心得ているつもりだった。大坂の地理に詳しい島田を案内役に立て、事前に大坂奉行所から得ていた情報をもとに対象の人物を探す。見つけたら周りを取り囲み、捕縛。抵抗するようであれば、斬ることも辞さない。


 そういう覚悟でいたさくら達にとって、顛末は拍子抜けするものであった。

 狙いを定めていた浪士は存外あっさりと見つかった。大坂に入ったばかりのようで、長州のなまりが丸出しである。こそこそと京行きの船着き場に向かう浪士三人組の前に、勇が立ちはだかった。


「壬生浪士組局長、近藤勇だ。大人しく縄につけば命までは取らない」と言いながらもその左手は刀の鞘をぐっと握っている。

「みっ、壬生浪じゃ!」浪士らは踵を返して逃げようとしたが、振り返った先にももちろん”壬生浪”が控えていた。


 さくらは抜き身を構え、浪士らの前に立った。


「抵抗するなら斬り捨てるが、構わぬか?」

「おのれ、壬生浪」


 逃げ切れないと悟った浪士の一人が、さくらを斬り捨てて前に進もうと考えたようで向かって来た。

 さくらは瞬く間に浪士の動きをかわし、刀の切っ先を彼の喉元に突きつけた。その首筋に、すっと血が垂れる。


「沖田、永倉」さくらは男の目を見据えたまま、背後にいる二人に声をかけた。

「こいつはもう抵抗せぬ。縄をかけてくれ」

「承知」


 浪士はへなへなとその場に崩れ落ちた。総司と新八が駆け寄り、慣れた手つきで浪士に縄をかけていく。縄のかけ方、という江戸の道場では学ばなかったような技術も京に上ってきてから身に着けていた。


 この間に、残る浪士も勇や源三郎、斎藤が捕縛していた。

   




 数日間滞在して浪士を探す予定だったが、初日で捕まえてしまったので一行は暇を持て余すことになった。


「新地で飲むか」芹沢が提案した。


 さくらは否が応でもあの日のことを思い出してしまった。芹沢を酒を酌み交わすことは、正直言って避けたい。


「芹沢さん、そうは言っても浪士を奉行所に引き渡して、その後いろいろ取り調べもあります」勇がやんわりと提案を却下した。

「全員で行く必要はねえだろ。代表して近藤、あと井上、行ってこいよ」

「では、私も」

「島崎はこっちに来い」


 体よく芹沢と別行動を取れると踏んださくらの思惑は真っ先に芹沢に否定された。

 どうしようか、と勇と芹沢を交互に見、いや、ここははっきりせねばと決めた。


「いいえ。仕事が先です。後で追いつきます故私は近藤局長たちと行きます。行こう、局長、井上さん」


 勇と源三郎を他人行儀に呼び、今は仕事中なのだという意思の固さを示したさくらは半ば強引に勇たちと奉行所へ向かった。





 だが、さくらはこの後、芹沢らと行動を共にしなかったことを少しだけ後悔することになる。

 後悔、とは少し違うかもしれない。ただ、自分がいれば、止められたかもしれない。否、どちらにしても止められなかったかもしれない、そんな葛藤が渦巻いた。


 昼間の捕り物が霞むほどの面倒な揉め事を、芹沢は起こしてしまったのである。


 事の発端は、芹沢たちが揚屋に行く途中で淀川の橋を渡ろうとした際に、反対側から歩いてきた一団との些細な言い争いだった。


「道を開けろ」


 芹沢はすごんだ。すでに舟遊びを楽しんだ後とあって、酒気を帯びていたから気も大きくなっている。目の前に立ち塞がっていたのは屈強な力士の一団だったが、芹沢はいっさい物怖じしない。


 幅の狭い橋だったので、どちらかが片側に寄って道を空けなければどちらも前に進めない。

 それだけのこと、と思えることかもしれないが、どちらも譲らずその場は膠着した。


 本来であれば力士というのは士農工商の商よりも下、もしくはどこにもあてはまらないあぶれ者、という位置づけであったが、一握りの力士たちは名を上げ、地位を上げ、武士たらんとする者もあった。

 芹沢と対峙したのはこの"一握り"の力士を排出した実績もある、由緒正しい小野川部屋の者たちだった。故に、浪人風の姿をした芹沢たちを見下すのも自然。

 そうした事情を知らぬ芹沢らも、当然ただの力士は自分たちよりも下、と思っている。


 互いに、所詮力士、所詮浪人、と思っているから譲らない。


 痺れを切らした芹沢は、例の鉄扇でもって先頭にいた力士を殴り倒した。


「な、何をする!」力士らはたじたじとなって後ずさった。

「我ら会津藩御預壬生浪士組。無礼致すは会津藩に楯つくも同じだ」


 

 この台詞を聞いた力士たちは悔しそうな表情を浮かべながらも、道を開けた。

 これにて話は終わるはずだった。が、まだ続きがあった。



 無事に住吉楼という揚屋に到着した芹沢たちは、例によって二階の大部屋で芸妓の酌を受けながら酒を飲みふけった。


「斎藤さん、もう大丈夫なんですか?」芹沢らの様子を眺めながら、総司は斎藤に声をかけた。もとはといえば、船酔いした斎藤のために皆で上陸しこの住吉楼に上がってきたのだった。

「ええ。ご心配おかけしました」

「でも、お酒はやめといた方がいいですよ?また気分が悪くなるかもしれないし」

「もう平気です。どちらにせよ酒を飲んでいる場合ではないようですが」


 斎藤はそう言うと、窓の外をくいっと顎で指した。総司もハッとして、窓際に駆け寄った。


 外を見ると、先ほど橋の上で出会った力士たちが――人数は昼間の数倍であったが――八角棒を手にこちらを睨んでいた。


「あらら、よくここがわかりましたねえ」総司は動じる様子もなく、呑気な調子で言った。

「降りてこいや、壬生なんとかか知らんが、たかだか浪人風情にやられた藤吉の無念、晴らしてくれる!」

「お前らのせいで、藤吉は今度の興行に出られねえんだ!」


 力士らは口々に叫んだ。藤吉とは先ほど芹沢に鉄扇で叩かれた力士のことであろう。鉄扇の当たり所が悪く、”今度の興行”の欠場を余儀なくされてしまったらしい。


 なんだなんだ、と新八も近づいてきて窓の外を見た。


「相当殺気立ってるぞ。まずいんじゃないのか」

「ふん、あれくらいで怪我とは、大した力士じゃねえな」


 総司と新八が振り返ると、ゆらりと芹沢が立ち上がっていた。

 芹沢はそのままゆったりとした足取りで階段の方に向かっていった。平山と野口は「よっしゃ、いっちょ行きますかあ」と陽気に言いながら後を追っていった。


 新八は再び窓の外に目をやると、「まあ、こういうのは受けて立つのが男ってやつだな」と言って立ち上がった。


「俺も行く」斎藤も続いた。



 残された山南、総司、島田は一瞬黙り込んだが、すぐに山南が冷静な意見を述べた。


「確かに、このままだと彼らは店の中に押しかけてくる。店にも迷惑だ。島田君、万が一のために近藤先生たちに知らせてきてくれませんか。もう京屋さんに着いている頃でしょう。沖田君は、私と一緒に川原の方面に逃げるふりをして、なるべく店から彼らを引き離そう」

「さすが、山南さん。優しい」総司はいたずらっぽく微笑むと、窓から飛び降りた。山南も続いた。


「あれ、山南さん、一番乗りですよ」

「ならばちょうどいい。あちらへ」


 揚屋のしきたりで、刀は玄関先で預けることになっている。その刀を回収するのに時間がかかっているのであろう、芹沢らはまだ往来に出ていなかった。

 丸腰の山南と総司は、川原の方に向かって走り出した。


「なんや、あいつら逃げよったぞ!」

「追え!」


 意外にもすばしっこい力士たちはあっという間に二人に追いついた。にやりと笑う顔が提灯に照らされる。


「丸腰の私たちをその棒で叩きのめそうっていうんですか。ひどい話ですね」総司が挑発すると、「何を!」と力士が向かってきた。


 総司はさっとしゃがみ込むと、力士の腕に頭突きを食らわせ、八角棒を奪った。


「沖田くん、大丈夫か」山南が声をかけた。彼もまた、すでに八角棒を奪っていた。

「もちろん。試衛館の木刀の方が重いですし」

「言い得て妙だな」


 多勢に無勢だったが、すでに住吉楼からは離れて広い場所に出ていたから、二人はぶんっと八角棒を振り回した。


 普段の稽古と違うのは、相手が分厚い肉布団を身にまとった力士であることだった。通常の打撃も、突きも、あまり効いていない。

 形勢は不利になっていた。山南と総司は今、七、八人はいようかという力士に囲まれている。


「鉄扇一本で大けがさせた芹沢さんってやっぱりすごいや」総司は少し息を上げながらも、そんなことを呟いた。

「沖田君、そっちの四人を頼むよ」

「山南さんこそ、そっち、お願いしますよ」


 襲い掛かってくる二人の力士を、総司は八角棒で薙ぎ払った。しかし、想像以上に素早い動きで力士に間合いに入られ、肩に一撃を食らった。


「沖田君!」

「はは、私もまだまだですね。真剣なら死んでいました」


 一瞬にしてその眼差しは鋭くなり、総司は棒を平晴眼に構えた。得意の突き技が複数人相手には向いていないのは十分承知していた。が、それを繰り出そうと力を込める。複数同時よりも、一人一人確実に仕留めることに方針を転換したのだ。

 その時であった。


「総司!山南さん!」


 力士たちに視界を塞がれ見えなかったが、新八の声であった。次の瞬間、総司の目の前にいた力士らが二人、「ぐっ」とうめき声を上げて倒れた。肩から血を流している。


「まったく、無茶をする」新八は右手に抜き身の刀を持ち、左手には総司の刀を持っていた。斎藤も同じく、片手で自分の刀、もう片方の手で山南の刀を持っている。


 二人はそれぞれの刀を持ち主に手渡した。


「ありがとうございます、永倉さん」

「斎藤君、芹沢さんたちは」


 山南の問いに、斎藤は自らの背後を指し「あちらにも十人程。芹沢さんたちが応戦しています」と答えた。


 壬生浪士組側が全員武器を得て場に揃ったところで、形勢は一気に逆転した。






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