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浅葱色の桜  作者: 初音
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40.御前試合

 



 壬生浪士組には、徐々に人が集まっていた。

 人が集まると、誰かまとめ役が必要になってくる。なし崩し的に芹沢が組頭、ということになってはいたが芹沢は浪士組運営の実務をテキパキとこなすような男ではなかった。遅かれ早かれこういう日はやってくるものだが、「役職決め」でさくら達はもめた。


 江戸からやってきた十四名に最初に入った斎藤と佐伯を加えた十六名がこれから「幹部」として組を引っ張っていこう、というところまでは満場一致であった。もっとも、今の段階ではこの取り決めは皮算用と言わざるを得ない。今後「平隊士」の人数が多くなることを見越してのことであったが、現時点では平隊士の人数よりも幹部の人数の方が多かった。ちなみに「隊士」というのはいつまでも浪人とか浪士とか名乗るのが憚られたために浪士組の組員をそう呼ぶことにした。全体でいえば未だに「壬生浪士組」なのだが。


 とにもかくにも、ここからが火種である。幹部十六人の中で誰がより偉いか、という話でさくら達は平行線を辿った。


 まず新見が、いわゆる「どや顔」でこう言った。

「芹沢さんが筆頭局長、私と近藤殿が局長ということで如何かな」


 局長という呼び名は松平容保直々の提案で、広沢も所属している会津藩の「公用局」から取ったものだ。壬生浪士組も会津藩の「局」の一つである、というところから来ている。


「なんですか、その筆頭っていうのは」さくらが訝し気な表情で尋ねた。

「芹沢さんはれっきとした水戸の出身。貧乏道場の主だからといってようやく浪人身分を名乗っているそちらとは違う。ただ、最初に京に残ると宣言したのは近藤殿。その顔を立てての采配だ」


 さくらは胃の腑にずっしりと重い物がのしかかってくるような心地がした。

 一緒に大坂に行き、揃いの羽織も作り、なんとなく新見たちとも打ち解けてきたと思っていたわけだが、腹の中ではこんなことを考えていたのか、と。


 ――ここへ来て、身分のことをやり玉に挙げるとは新見さんも汚いな。


 歳三もさくらと同じ思いのようであった。


「聞き捨てならねえな。そも、なんでそれをあんたが決めるんだよ」と、食ってかかった。

「異論があるというのか」

「大ありだ。せめて、芹沢さんと近藤さんの二人がただの局長、でいいじゃねえか」

「まあまあ、土方くん」そう止めたのは、他でもない勇だった。


 このよそよそしい呼び方は歳三の発案である。いよいよ「外部の人間」が入ってくるのにあたり気を引き締めるべく、公衆の面前で「トシ」とか「歳三」とかいう呼び方はやめろ、と試衛館生え抜きの面々に歳三が言い含めたのであった。それでなんとなく、皆互いに名字で呼びあうようになった。


「新見さんの言うとおり、芹沢さんの方がいい家柄の方だ。これから何かと表に出る機会も多い。その方が都合がいいこともあるだろう」


 勇が、かなり無理をしてそう言っているのがさくらには容易にわかった。講武所の指南役試験に落ちた時のことを、勇も忘れるはずがない。さくらが女であることを理由に味わう辛苦と同じく、勇も身分のことで同じような思いをしてきたはずなのだから。

 しかし、今は勇の「大人の対応」に胸中で拍手を送るほかない。

 そして、ぐいぐいと場を仕切っている歳三の様子に舌を巻きつつやりとりを見守った。


「それならば、副長は私・土方と、山南、島崎で務めさせていただく」

「副長だと?」

「大将、つまり局長の三方さんかたにはでんと構えてもらいたい。面倒な雑用や実務は引き受けさせてもらいますよと言ってるんです」


 これには歳三の思惑があった。浪士組を意のままに動かすには、大将ではなく副将に甘んじる方が都合がいい、というのが歳三の持論である。そして、その持論はもちろん試衛館の面々には共有済みだ。年の功でいえば源三郎もこの任に当たるべきだと歳三は誘ったが、「私はそういうのは苦手だから」と縁の下の力持ちになることを選んだ。


「それならば、平山も副長にしてもらおう」

「おっと、船頭が多いと船が沈みますよ」歳三がすかさず新見の提案を遮った。

「そちらから三人も”副長”を出しておいて何を言う。それに、島崎殿」新見はさくらに冷ややかな視線を向けた。

「あなたの剣術の腕前に我々も一目置いているのは確かだ。ここまでのお働きも我々と遜色ない。だが、女子が上に立つというのは、やはり下の隊士らに示しがつかないのではないですか?」


 さくらはキッと唇を噛んだ。最初にさくらを持ち上げる発言をしたことも含めて、新見の言い分にはぐうの音も出ない。これから、様々な考えを持ったものが入隊してくるだろう。世間の常識でいえば、「女子がいるなんて」と言われる方が多数派だ。ここまで勇たちだけでなく、芹沢らでさえもさくらの存在を受け入れていること自体、奇跡的と言ってよかった。

 歳三を見やると、苦々しげな顔で僅かに頷いた。


「わかりました。確かに、”副長”が三人いるというのも船頭が多すぎるきらいがあるでしょうし」


 自分が女だから、ではなく飽くまでも「船頭が多すぎる」ことを理由に身を引いたのは、さくらのなけなしの「大人の対応プライド」だった。




 こうして、一応きちんとした組織として船出した壬生浪士組のもとに、会津藩の本陣・黒谷での御前試合の話が舞い込んだ。藩主・容保の発案によるもので、壬生浪士組の手並みをぜひ拝見したいということだった。

 ”副長”となった歳三と山南の初仕事は、この御前試合の人選決めとなったのである。



 黒谷に壬生浪士組の面々が全員呼ばれるのは初めてのことであったため、皆緊張の面持ちで門をくぐった。

 黒谷、というのは通称であるが正式には金戒光明寺というれっきとした寺であり、千人にものぼったと言われる上洛会津藩士が寝泊まりできるくらいの宿坊があった。

 その広大な敷地内で、御前試合が始まろうとしている。

 容保の隣にはガチガチに緊張した勇と、今日ばかりは背筋を伸ばした芹沢、そして尊大な表情を浮かべた新見が座っていた。勇は試合に出る気満々だったが、「局長」という立場から、容保のもとに侍ることになったのだった。


 最初に試合場に躍り出たのは、入隊したばかりの川島勝司という男。

 棒術が得意だというので歳三が左之助と戦わせようとしたが、左之助も川島も互いに「棒術と槍術では戦い方が違うから御前試合には向いていない」と言うので、新入りの紹介ということも兼ねて川島が一人で棒術の型を見せる運びになった。


 御前試合、というよりは芝居の演武のような川島の番が終わると、続いては柔術の披露ということで、これまた新入隊士の佐々木蔵之介、愛次郎の兄弟が登場した。彼らもまた、勝敗というより型の披露に重きを置き、見るものの拍手喝采をさらった。



 その後は、浪士組の大多数を占める剣術使いの試合である。まずは、歳三と平助の試合だ。


 ――歳三のやつ、強いて言えば勝てそうな平助を選んだな


 と、さくらは苦笑いしながらその試合を眺めた。長年自己流で剣を鍛えた歳三は、強いことには強いがきっちりとした試合となると十分な力を発揮できない。あえて他流の平助を選んだのは、対天然理心流では分が悪いと思ったからだろう。


 もちろんそれはさくらの推測だが、思惑通り歳三が平助の胴を薙ぎ払う一本を入れ、歳三の勝利に終わった。


 続いては、斎藤対新八である。

 この若き二人の強さを、さくらは十二分に知っていた。どちらが勝ってもおかしくない程二人の実力は拮抗している。


 当人たちもそれがわかっていたのだろう。始め、の合図がかかっても二人は動かずに互いの出方を伺っていた。見ている方がやきもきするくらい、何も動きがなかった。

 やがて先に動いたのは新八だった。ダッと片足を踏み込み、一気に斎藤の間合いに入る。斎藤は新八の剣を目ざとく捉えると、パシン、と払ってそのまま籠手こてを打って抜けた。


 後々、新八は「これは御前試合だ、ということを忘れていました。殿に見せるための試合だというのに何も動きがないのはいかがなものかと思い立って動いたのですが、その焦りを斎藤に突かれてしまった。あいつはかなりの使い手だ」と語っていた。



 三戦目は芹沢派の中から、平山と佐伯が選ばれた。平山はもちろん、佐伯も神道無念流を学んでいたようで、これまでの二戦とは違い同流派対決となった。

 この二人が真面目に試合をしているのを見るのはほとんど初めてだったが、なかなかやるな、とさくらは思った。二人とも豪快な剣さばきで、しばらくは竹刀と竹刀のぶつかり合う音が響いた。「御前試合」の性格を考えると、この試合が一番御前試合らしい試合だったかもしれない。

 最終的に、軍配は平山の方に上がった。



 四戦目、さくらはいよいよ自分の番がやってきたので、額に巻いていた鉢巻をぎゅっと結んだ。頭に通り抜ける風がすうすうと染みる。江戸を出発してから髪結いに来てもらう機会がなかったために最近ではほとんど総髪になっていたが、この御前試合を機にさくらはまた月代を入れていた。

 対戦相手の源三郎と並び、まずは容保の方を向いて正座して頭を下げる。


「天然理心流、免許皆伝、井上源三郎と申します。此度はお招きいただき恐悦至極に存じます」

「同じく、天然理心流、免許皆伝、島崎朔太郎と申します。此度のお招き、有り難き幸せに存じます」


 それから二人は向き合い、互いに礼をした。始め、の合図で試合が始まった。

 さくらも源三郎も、互いの目をじっと見つめ、出方を伺った。



 その様子を見ていた容保は、勇と芹沢に声をかけた。


「二人とも天然理心流か。近藤、お主の縁の者だな」

「はっ。二人とも江戸の道場で共に腕を磨いた仲でございます」勇が恐縮しきって答えた。

「特にあの島崎の方は近藤の義姉弟に当たるのですよ」芹沢が付け加えた。


 勇は慌てたように芹沢を見た。音声でいえば「きょうだい」なので「あね・おとうと」の姉弟きょうだいとはもちろんわからないが、それでもヒヤヒヤとするのであった。


 勇としては、今回の御前試合にさくらを出すことに若干のためらいがあった。もちろん、さくらが一介の武士として殿の前で剣術を披露できるまたとない機会であったし、実際にさくらの腕前を見てもらいたいという気持ちもあった。しかし、さくらが目立てば目立つ程、女だと知れる危険性も高まる。上洛時の鵜殿や山岡のような寛大さでもって受け入れられる保証はどこにもなく、勇はバレる可能性を不安視していた。


 容保はさくらを見ると、意味ありげに「島崎か」と呟いた。

「女子のような声であったな」


 勇は最悪の事態を想定した。もしバレたら、江戸へ強制送還か、さくらが処断されるか、さくらだけでなく自分も連座することになるかもしれない。などなど。

 見た目は完全に男のようであるが、声の高さだけはごまかせない。さくらも意図して声を低めてはいたが、男のそれ程低くはない。見た目の印象から放たれる声の異質さに、容保は驚いたに違いない。


「あの者が、もし本当に女子だと申し上げたら殿はいかがなされますか」


 さすがに、勇は芹沢を睨み付けた。以前さくらが「芹沢さんは皆に私の正体をバラしては反応を楽しんでいるようなのだ」と言っていたことがあったが、まさか容保に対してもそんなことを言うとは思ってもみなかった。


「はっはっはっ。女子があの立派な月代を入れるか。それに、島崎の方が優勢に見えるぞ」




 事実、さくらと源三郎は鍔迫り合いにもつれ込んでいたが、さくらの振りかぶった竹刀をなんとか源三郎が受け止めた格好でそのようになっていたのだった。


「さくら、本当に強くなったな」

「ふふ、そうだろう」


 誰にも聞こえない程の小さな声で二人はそんな会話を交わした。源三郎はさくらの竹刀を振り払うと、一気に面を打とうとしたが、さくらは飛びのいてそれを避けた。一瞬で体制を立て直すと、平晴眼に構える。


「ヤッ!」


 さくらは一気に源三郎の喉元に竹刀を突きつけた。

 源三郎は応戦しようとしたが一歩遅かった。


「勝負あり!島崎殿!」


 審判がさくらの側に手を上げた。


 二人はすっと離れると、お辞儀をして「ありがとうございました」と言って退場した。



 トリを務めるのは総司と山南である。浪士組の中でも誰もが認める最強の二人だ。

 その二人の準備中、審判と共に検分役補佐を務めていた会津藩士・山本が容保たちのいる場所に馳せ参じた。


「近藤殿」


 勇は自分が声をかけられたことにひどく驚き、バッと振り返った。


「はい、私ですが」


 答えると、山本は勇の横にしゃがみ込み、小さな声で尋ねた。


「さくら、とは何のことでございますか」先ほど何気なく交された源三郎たちの会話を聞いてしまっていた山本はそう尋ねた。


 勇はもう顔面蒼白になってしまったが、そうだ、こういう時のためにさくらは「朔太郎」というのではないか、と思い直した。


「島崎"朔太郎"のことでしょう。皆江戸にいた頃はサク、と呼んでいましたから」勇は冷静に答えた。

「ほう。偶然ですな。私の母も佐久さくという名前でして。女子の名前と同じ呼び名とは、島崎殿は嫌がらなかったのですか」


 この場に歳三がいれば、と勇は思った。歳三ならああ言えばこう言うでこんな場を切り抜けられただろうに、と。

 勇はとっさにこう答えた。


「全く、偶然でございますね。ですが我々の周囲にはおサクさんという女子がいなかったものですから、そのような女子の名前があることも存じませんでした。故に島崎もあまり気に留めてはいなかった様子」

「なんだ山本、さてはあの者が女子だと疑っておるのか」話を聞いてしまっていた容保が割って入った。勇は内心「終わった」と思った。そして、絶対に余計な事を言わないよう、芹沢に目で合図した。さすがの芹沢も下諏訪宿の時とは違い今は素面で判断力もある。先ほどはスレスレな発言をしたものの、決定的なことを言いそうな様子はなかった。


「そのようなつもりでは」山本は少し慌てたように言った。

「ここであの者の身ぐるみを剥ぐわけにもいかぬからな。山本、お主の妹は確か、男勝りで鉄砲の心得もあるような女子だと申しておったな」

「はっ。お恥ずかしゅう話でございますが」

「勇ましい女子というのはどこにでも一人はいるものだな。面白い試合を見せてもらった故、あの者が男なのか、女なのか、考えるのはまたの機会にしよう」

「はあ…」


 その時、別の藩士が山本を呼びにきたので話はそれきりとなった。

 勇は「助かった…」と内心安堵し、先ほどよりは落ち着いた気持ちで最後の試合を眺めた。



 総司は、天才だとか最強だとか言われながらここまでやってきた。

 試衛館にいた頃、門人に稽古をつけてもできない者の気持ちがわからないから、自然その教え方は厳しいものになる。

 その総司と手合わせをしてそれなりの確率で勝てるのは、勇と山南だけであった。

 特に、山南が試衛館に初めてやってきた時に負けて以来、総司は対山南となると明らかにいつもより闘志を燃やした。


 故に弟の成長を見守るがごとく、この試合の行方を一番楽しみに見ていたのは、他ならぬさくら、勇、歳三、源三郎の天然理心流生え抜きの面々である。


 始まると、すぐに動いたのは山南だった。


 八相の構えから袈裟懸けに振り下ろす。総司はそれをさっと交すと間合いを取った。そして、突き技を繰り出すための平晴眼に構えた。先ほどさくらが勝利した時と同じ流れで総司の勝利が決まるかに見えた。

 だが、繰り出した総司の突きを目にもとまらぬ速さで横に払うと、山南も間合いを取った。

 総司は渾身の突き技がかわされたとあって戸惑いの表情を一瞬浮かべたが、すぐに体制を立て直し、山南に向き直った。


 その場にいる全員が固唾を飲んで様子を見守る中、総司と山南はほぼ同時に動いた。


 総司の仕掛けた技はやはり突き技、対する山南は定石を外した下段からの攻撃。


「そこまで!勝負あり!沖田殿!」審判の声が響いた。


 子供のようににんまりと微笑む総司を見て、さくらも思わず笑みを零した。やはり弟分の清々しく嬉しそうな顔を見るのは気持ちがよいものだ。一方で、山南の鮮やかな剣さばきに見惚れてもいた。



 容保が立ち上がったので、全員そちらを向いて跪き、こうべを垂れた。


「壬生浪士組の諸君、各々良い試合を見せてくれた。余は感激したぞ。これからもその腕を磨き、公方様のために共に良く働いてくれることを期待しておる」



 その言葉を聞きながら、さくらは顔に力を入れて零れ落ちそうになる嬉し涙を必死に堪えた。

 女の身で、浪人の身で、江戸の小さな道場からやってきた身で、一国の主からこのように声をかけてもらったのだ。



 武士になる。

 その夢に向かって、確かな一歩を踏み出したのだと、さくらは思った。





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