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浅葱色の桜  作者: 初音
33/52

33.残留



 翌日、浪士組の面々は、再び新徳寺に集められた。


 全員の前に立った清川は、コホンと咳払いをして、仰々しく話を始めた。


「先日皆に署名してもらった建白書を、御所学習院に提出致した。この建白書が受理され、朝廷からの許可が降りた暁には、我々は江戸に戻り、尊王攘夷の魁として、帝の御意思のもと、攘夷を決行する!」


 一瞬だけ、間が空いた。だが、浪士たちはすぐにざわざわと隣や後ろに座っていた者と話し始めた。

 ある者は「尊王攘夷の魁」の部分に、そして大多数の者は「江戸に戻り」の部分に対し、驚きを隠せない様子である。


「おい、どういうことだ、説明しろ!」


 平の浪士に降格したが故に何も聞かされていなかった殿内が声を上げた。清川はその声を聞き、待ってましたと言わんばかりににんまりとした笑顔を見せると続きを語り出した。


「先だって、生麦村でエゲレス人の起こした事件があったのはご存じであるな。その後始末をめぐっての幕府の姿勢はいかにも及び腰である!そこに付け入り、夷狄が軍艦を差し向けんとしている。我らは横浜に赴き、奴らを追い払うこととするのだ!」


 この場にはもちろん、鵜殿や山岡、佐々木といった幕臣もいるというのに、この発言はわざとなのか、失言なのか。どちらにせよ、清川はこの言葉で自分の首を絞めることとなる。

 まだ事態を飲み込みきれず、引き続きザワザワとしている浪士たちの中で、さくらは隣に座る勇を見た。


 勇は意を決したような頑とした目でさくらを見、頷いた。


「清川様!」


 そう言って立ち上がった勇の低い声は、広間中にこだました。


「何だね。君は確か…?」清川は目を丸くして勇を見た。

「近藤勇と申します。恐れながら申し上げます。我々は、上様の警護のために京に参った身。それが、上様がまだご上洛もされていないというのに江戸へ帰るとはいかがなものでしょうか」

「事情が変わったのだ。上様とて、本懐は攘夷であるはず。異国を打ち払うために江戸に戻るのであるぞ。何の問題があるというのだ」


 さくらも立ち上がった。


「島崎朔太郎と申します。清川様、先ほどおっしゃいましたね。幕府は及び腰だ、と。それが何を今更『上様とて、本懐は攘夷』ですか。あなたの尊王攘夷の志は結構。だが、それを成し遂げたいがためにこのように大勢を巻き込んで、私利私欲を満たそうとするのは違うのではないですか」

「私利私欲だと…!私は天子様のために!そなたは、天子様を愚弄する気か!」


 次に、歳三が立ち上がった。


「その前に上様を愚弄してるのはどっちだ。あんたのやり方は汚ねえって言ってんだよ」

「な、なんだと…」


 先ほどまでの自信満々な表情がすっかり消え失せた清川に対し、勇が言った。


「我らは、京に残ります」


 これには、再び場がざわめいた。

 清川が、吐き捨てるように言った。


「ならば、勝手にすればよろしい。君たち三人が残ったところで何ができる。私とて、三人くらい抜けたところで痛くも痒くもないわ」

「三人ではありません」


 声を上げ、立ち上がったのは山南であった。

 続いて、源三郎、総司、新八、左之助、平助が立ち上がった。


「九人です」山南は勝ち誇ったような顔を見せた。

「十四人だ」


 その声に一番驚いたのは、他ならぬさくら達であった。


 立ち上がったのは、芹沢と、新見、平山、平間、野口の五人だった。


「尊王攘夷おおいに結構。だがな、ご公儀を馬鹿にするとロクな死に方しないぜ」


 芹沢の射るような視線に充てられた清川は、とうとう何も言い返せないようであった。


 芹沢はふんっと鼻を鳴らすと、新見たちに「行くぞ」と声をかけて広間を出ていってしまった。

未だその場に突っ立っていたままのさくら達は、その様子を茫然と見ていたが、やがて芹沢が振り返った。


「島崎、近藤、お前らも来るんだよ」


 ハッと我に返った九人は、芹沢について行く格好で広間を出た。


「なんだあいつ、後から出てきたくせに」


 歳三がそう呟くのを、さくらは聞き逃さなかった。





 新徳寺を出ると、人気のない八木邸の離れにさくら達は戻っていった。


「芹沢さん、どうして…?」さくらはなぜ、芹沢達が残ることに決めたのか、不思議で仕方なかった。

「お前らが昨日話してるのが聞こえたんだよ」


 昨日、というのは、さくら達が鵜殿と山岡に建白書にまつわる疑念を話しに行った後のことであろう。


 鵜殿や山岡ら浪士の取締役も、清川がこのような計画を練っていたことは寝耳に水だったそうだ。

 京に到着し、例の建白書に対し同じような疑念を持った鵜殿が、清川を問い詰め、白状させた。


「上様警護のために参ったが、このまま清川の好きにさせるわけにはいかぬ。結果としては同じことであるが、奴の言う通り、まずは江戸に戻ろうと思う。その上で、浪士組と清川を切り離し処遇を決めるつもりだ」


 鵜殿は、さくら達にそんな話を打ち上けた。


 ちなみに鵜殿ら取締役の間では秘密裏に、すぐにでも清川を斬るか、あるいは泳がせるかで意見が割れていた。どちらにせよ清川が表立って真意を暴露する前に、幕府の面子のためにも”あくまで幕府主導で”江戸へ取って帰るという計画でいた。まさか清川が、すぐ翌日に浪士を集めて江戸帰還の話をするなどとは思いもよらずに、だ。



 さくら達はといえば、この衝撃的な話に驚き、憤り、八木邸に戻るなり「緊急会議」を開いた。


「せっかく来たのに、もう帰っちゃうんですか?まだ清水の舞台を見に行ってないですよ」総司が開口一番、そんなことを言ったので一同は拍子抜けした。

「だよなあ。それにほら、島原の女を拝んでからでも遅くねえんじゃねえか?」左之助が同調した。

「バカ野郎、そういう問題じゃねえんだよ。どうすんだ、勝っちゃん。清川、斬るか」

「土方くん、落ち着いて。今清川を斬ったところで何の得にもならない」

「だがよ、サンナンさん、このままハイそうですかって江戸に戻って、あいつの言いなりになるなんて俺はごめんだぜ」


 歳三の発言は、全員の気持ちを代弁していた。

 武士になるということは、主君への忠誠を誓い仕えること。いくら背後に帝がいるとはいえ、このままではさくら達の主君は将軍ではなく清川になってしまう。


「それなんだが」


 勇が少しだけ言いづらそうに、だがはっきりと切り出した。


「残らないか?京に」


 そう言った勇の顔は清々しい程の笑顔で、お気に入りのおもちゃで遊ぶ子供のようでもあった。


「賛成だ」さくらがニヤリと口角を上げた。

「俺たちは俺たちで、一旗揚げようってか」歳三も続いた。

「いいですね!残りましょう!そしたら清水の舞台も見られますし、金閣のお寺もいいですよねえ」

「僕は五重塔も見てみたいなあ」

「総司と平助だけずるいぞ。俺も連れてけ」

「もちろん、左之助さんも一緒に行きましょう」

「お前たち、そういう話は後にしなさい」


 逸れた話題を源三郎が軌道修正し、「それでどうします?」と勇に尋ねた。


「残るといっても、残ったところで何ができるのか…」山南が眉間に皺を寄せた。

「上様の警護だろ」歳三が、当たり前だろ、とでも言いたげな表情で言った。

「それはそうなのだが…」

「なんだよサンナンさん、じゃあ江戸に戻るってのかよ」

「いや、もちろん、江戸に戻るという選択肢はない」


 山南が力強く言ったので、勇が「決まりだな」と笑った。


 さくらは皆の目を見て、意を決した。

「先のことがどうなるかはわからぬが、私たちは京に残って、『将軍警護の浪士組』を続けよう!」

「あ、さくら、おれが言おうと思ったのに!」

「はっは、お前にばかりいい所を持っていかれる私ではないぞ」


 さくらと勇はくすり、と笑った。

 こんな内輪の間での話し合いで格好つけたところで仕方ないのであるが、胸の内に燃えるような興奮を、口に出さずにはいられなかった。




 この一連のやり取りを、芹沢は聞いていたようである。


「あの清川ってやつぁ気にくわねえ。島崎、お前の肝っ玉を見込んで、一緒にやってやるよ」

「ありがとうございます。芹沢さんがいれば百人力です」


 さくらは芹沢に笑いかけた。下諏訪宿での一件はあったものの、さくらにとって芹沢はやはり命の恩人であり、侍の先輩であり、頼もしい同志であった。

 少なくとも、今は、そうであった。




 一方その頃、新徳寺の小部屋では、鵜殿、山岡、佐々木ら浪士取締役が頭を抱えていた。


「山岡!なぜ建白書の内容をよりにもよってあの島崎らに知らせたのだ!」


 佐々木が声を荒げた。


「遅かれ早かれ、清川殿の策略は皆の知れるところとなったわけでしょう。それならば、事前に言うも言わぬも同じことかと存じますが」山岡がさらりと答えた。

「何を言う!事前に言ってしまったから、奴らに考える時間を与えてしまった。それであのような勝手な真似を!」

「事前に言わずとも、今頃彼らはここに来て、自分たちは京に残りたいのだが、と申し出ていたでしょうよ。どちらにせよ同じことですよ」


 山岡の言葉に佐々木はぐぬぬ、と言葉を詰まらせた。

 二人の会話を聞いていた鵜殿が重そうな口を開いた。


「近藤らはまだしも、心配なのは芹沢だ。彼らはこれから、無頼ぶらいの浪士ということになる。本来ならば、面倒を見てやる必要はないのだが、いかんせん、元は『幕府が連れてきた』浪士たちだろう。何かあった時に、怒りや責任の矛先がこちらに向いてくるようでは困る」


 その場にいた他の取締役たちは、確かに、と眉間に皺を寄せた。

 その様子を見た鵜殿は、我が意を得たりといった顔をして部屋の襖の向こうに「入れ」と声をかけた。


 現れたのは、殿内と家里であった。

 全員が、驚いて口をぽかんと開けたまま、二人を見た。


「こやつらに、今一度機会を与えようと思うてな」鵜殿は笑顔を見せたが、その目は笑っていなかった。殿内と家里は伏し目がちになって何も言わずその場に座っていた。


「あの者らが作る浪士組に入って、不穏な動きをすることがあれば逐一報告してもらおう。頼めるな」

「はっ。承知致しました。精一杯務めさせていただく所存にございます」殿内が仰々しく挨拶をすると、未だ開いた口をふさがらぬ幕臣たちをよそに、鵜殿は「励めよ」と満足げに言った。

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